第12章 言付け①

文字数 3,211文字

 静かに、睦月の身体を覆い出した白光に、リンは身を強張らせた。
「な、何?」
 睦月を捉えた手を離すべきか、逡巡したその一瞬。
「――――――!?」
 首筋に宛てたナイフのすぐそばで、眩いほどの白光が爆発した。
 小さく悲鳴を上げてリンは飛び退る。

 痛みを感じて目を落とせば、光に触れた右手が真っ赤な火膨れを起こしていた。

「何!?」
 見守る三対の視線の先で光は徐々に収斂し、睦月の周囲に集中する。

 その中心に立つ睦月の姿が、不意に二重写しのようにぶれたかと思うと、その姿は揺らぎ、代わって長身の青年が現れた。

 年の頃は二十代半ばだろうか。
 穏和な面立ちは、睦月とどこか似ていると言えなくもない。

「…………まさか、また」
「バルドか……」
 友香の呟きに、静かなアレクの声が応じる。
 その言葉に、リンが息を呑んだ。信じられないものに遭遇したという、まさにそんな表情を浮かべて目の前に現れた青年を眺める。
「……馬鹿な……!」
 しかし次の瞬間、少女は小さな舌打ちとともに、火傷を負った右手にナイフを翳して青年へと突進した。
 カッと床を蹴る音にアレクと友香ははっと息を呑み、彼女を止めようと足を踏み出す。

 だが。

「――――!」
 睦月が――否、青年の幻影が軽く手を翳した瞬間、リンの身体は目に見えない障壁にぶつかったかのように、勢いよく弾かれた。

 彼女の手を放れたナイフが床を跳ねる。
 カツンと高い音が石室に響いた。

 すかさず駆け寄ったアレクの手に、どこからともなく、蒼く光るひと振りの剣が現れる。
 それは呻きながら身を起こしたリンの喉元にまっすぐに突きつけられた。

「――動くな」
「く…………」
「――――娘」
 不意に、青年の幻影が口を開いた。
 その声に、睨み合っていたアレクとリンが同時に睦月――バルド――を振り返る。

「セルノに伝えよ。二度と、この世に争いを引き起こしてはならぬと。
 もしも再び戦乱を望み、罪を重ねる意図あらば、このバルド、身を賭してでもそなたらを止めようぞ」
 バルドの言葉に、リンはその幻影を睨め付ける。
「虐げられし我が一族の為に尽力くだされた彼の方の、何が罪か。我らは彼の方の御力を借り、今度こそ正義を為してみせる」
「罪無き多くの血を流さねば為されぬ正義など、欺瞞にあらずして、何ぞや。争いをもって平安を望むは、力ある者の驕りにすぎぬ」
 静かなバルドの言葉に、リンはキッと眦を尖らせる。
「ならばお訊き申し上げる。貴賤ある世界の、何が平安か!
 蔑まれし者の声なき声を拾うため、そなたは彼の方を助けたのではなかったのか。それともそれこそ欺瞞であったのか!
 未だ平安はならず、我らの雪辱は果たされぬまま。それなのになぜ、そなたは我らを止めると申されるのだ!」
 叫ぶようなその声には、怒りを上回る悲しみの色が見え隠れする。体を震わせながら絶叫する少女に、バルドは小さく首を横に振った。
「セルノを解放せしことならば、それは決して許されぬ過ちであった」
 静かな悔恨を秘めた声に、リンが息を呑む。
「……何をもって罪と言われるか!」
 喉元に突きつけられたアレクの剣を払い除けんばかりの勢いで、リンは叫んだ。震える声が、石室の中で幾重にも反響し、耳を打つ。

 だが、バルドはそれ以上何も言わなかった。
 彼を取り巻いていた白光がふと和らぐと同時に、幻影もまた、薄らぎ始める。

「お答えめされよ! 何をもって罪となされるのか!?」
 だが、悲痛ともいえるリンの叫びは石造りの壁に跳ね返されるだけだった。

 バルドの輪郭は再び睦月の姿に戻り、彼の頭上で輝く『命の灯』はその輝きを保ったまま、ゆっくりと彼の胸元まで降下した。

 未だうっすらと透き通った睦月の身体に白珠が触れた、その瞬間。

 空気がざわつき、揺らぎ、そうして白い光が再び強く瞬いた。
 先程の比ではない程の光の洪水に、リンははっと息を呑み、反射的に堅く目を閉じた。

 直感的に死を予感する。
 闇の者である自分があの光にさらされれば、跡形もなく焼き尽くされるだろう。

 死も怖れぬと、そう誓ってここまで来た。
 しかしそれでも尚、眼前に迫る死の白い影に、リンは粟立つような悪寒が背筋をぞくりと這いあがるのを抑えることは出来なかった。

 踵を返し逃げ出したいという衝動を、唇を噛んでやり過ごし、一瞬の後に確実に訪れるだろう死を覚悟する。

 ちっと誰かが舌打ちするのが聞こえた。

「…………!」
 石室内部を真っ白に染める程の光を放ちながら、『命の灯』は睦月の体内へと取り込まれるかのように潜り込んだ。
 睦月の身体が一層強く光を放つ。それは、まるで最期を迎える星の爆発のように、苛烈で濃密な――

 今しもリンの身体を灼かんとしていたその激烈な白光は、しかしその指先が彼女に届くよりも先に、ふわりと動きを止めた。
 そしてふわりと――雲が風に流されるように薄れていく。

 一方、光の発生源では、発光したときと同じく唐突に光が消え失せる。目の裏に、強烈な光の残像を残して。
 同時に、睦月の姿も跡形もなく消え失せた。
「消え、た…………?」
 光の名残が未だ白く霞む室内を見回し、友香が困惑した面持ちで呟いた。

 その声に、リンはようやく自分が生きていることに気付く。いつの間にか、目をきつく閉じていたようだ。ゆっくりと目を開け――そして我が目を疑った。

 自分を取り巻くように、青い光が層を成している。
 幾重にも重なるその柔らかな光が、おそらく自分を死から遠ざけたのだろうと察するのに、時間は必要なかった。
 そして、その結界を作ったのが誰なのかも。

「……っ、何故、なぜ助けた!?」
 アレクが結界を解くのと同時に、リンの声が室内に響き渡った。
 屈辱に唇を噛むリンを、アレクは無言のまま、ちらりと一瞥する。

 あの光に触れていれば、間違いなく自分は死んでいた。
 闇の者であるリンにとって、強い光は凶器と同じだ。
 あれほどの激烈な光なら、幾千もの刃が降り注ぐように体中が灼かれ、切り刻まれるような苦しみの中で死んでいたはずだった。

 それなのに。

 みずから死を望んでいる訳では、決してない。
 だが、万一の事態があれば命を投げ出すことすら顧みない覚悟で、彼女はこの任務に身を投じていた。

 それなのに、みすみす敵に命を救われるとは。
 なぜ助けられたのか、その理由がわからない。
 だが、「命を捧げる」と主に宣誓した少女にとって、それは死よりも残酷な辱めのように感じられた。
 だから――、リンは自分が助けられた理由を――死ぬよりもさらに残酷な理由を探す。

 必ず理由があるはずだ。
 何か――そう、あのまま死を享受する以上に残酷な何かが。
 そうでなければ。一瞬の死よりも残酷な苦しみを受けるのでなければ、生き恥を晒している意味がない。

「――くくっ、ああ……、そうか」
 やがて、リンは漸く得心がいったという表情を浮かべ、くつくつと笑い出した。
 唐突な笑い声に、アレクも友香も不審げに少女を見やる。
「成程、自ら手を下したいということだな」
 放っておけば死ぬ筈の敵をわざわざ助けるなど、正気の沙汰とは思えない。いずれ思惑あってのことだろうと考えれば、他に理由など考えられなかった。

 そう――何ひとつ感じる間もなく訪れる死ではなく、もっと苦しみに満ちた死が自分を待っているのでなければ。
 何の見返りもなく他人の命を助けようとする者など、存在しないのだから。

「……そうだといったら、どうする?」
 リンの言葉に眉ひとつ動かさず、アレクは静かに問い返した。
「ちょ……っ指揮官!?」
 友香の声を、アレクは視線で制する。
 はっ、と吐き捨てるようにリンが嗤った。
「殺すがいいさ。好きなように嬲り殺せ」

 死など懼れはしない。
 主の命令に「命も捧げる」と誓った。その言葉に嘘はない。

 覚悟は出来ている。
 だが開き直ったような哄笑とは裏腹に、その声音はどこか痛ましげな響きを伴っていた。
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