転章 ※
文字数 3,101文字
※若干の暴力描写あり。苦手な方は回避してください。飛ばしても話は通じます。
その部屋は、漆黒の闇の中に沈んでいた。
壁も床も闇色に塗られた室内には、いかなる名工の手によるものか、見事な螺鈿細工を施された調度品が過不足なく調えられていた。
わけても見事なのは、部屋の中央に設えられた、高さ5尺はあろうかという台座だった。
正確に六角形に作られた台座の表面には金箔と朱塗りの煌びやかな装飾が施され、台座から伸びた脚は、優美な曲線を描きつつ床へと伸びている。
その上には、掌大の球体が安置されていた。
それはゆっくりと瞬いているようにも見える。
だが、それが発する光は暗く、周囲と同じ闇色をしていた。
周囲の闇を吸収し、闇色の光を発し続けているようにも見える。
それはまさしく、ランブル が所有する「命の灯」と対照を為すものだった。
衛星のように朧な光がぐるりと絶え間なくその周囲を巡り続けている。
静まり返った室内に、カツン、と靴音が響いた。
扉を抜け、現れたのは長身の女が1人。
彼女は灯りひとつない漆黒の室内を迷うことなく台座へと進む。
この室内においては――否、彼ら闇の者にとって、闇こそが光だった。
漆黒の闇の内に在ってこそ、闇は輝き、光はその影のように、時折うっすらと滲むのみ。
「…………」
女は台座の上で闇色に輝く球体へと手を差し伸べた。
球体の周囲を走る光に触れる寸前で動きを止めた彼女の口元に、酷薄な微笑が浮かぶ。
「――――嵯峨様」
背後から、静かな声が掛けられたのは、その時だった。
現れたのは、髪を短く刈り揃えた小柄な若い女だった。
嵯峨、と呼ばれた女は振り返ることなく無言で応えた。
「鈴が戻りましてございます」
「――首尾は」
問うた声は女性としては低い部類に入る。
やや掠れたその声は、聞く者の耳に微かに糸を引くかのごとき余韻を残す。
「それが――」
「悪い報せなら、聞きとうないぞ」
静かだが感情を感じさせない声音でそう言うと、嵯峨は振り向いた。
長い黒髪がさらりと揺れる。
「任務には失敗したとのこと。ただ、もうひとつ御報告しておかねばならぬ事が……」
「何だ?」
「鈴が申しますには――光の継承者に遭遇した、と」
「……バルドか」
再び、切り揃えられた髪の下で柳眉が上がる。
「あれは何処に」
「次の間に待たせて御座います。連れて参りましょうか」
「――いや、良い。私が行こう」
そう言うと、靴音を残し嵯峨はその部屋を後にした。
従者がゆっくりと開いた朱塗りの扉を抜け、嵯峨は室内に足を踏み入れた。
先程の部屋のそれとは比較にならないほど簡素な造りの部屋の隅に、恭しく額ずいた姿でいるのは、リンである。
「鈴。顔を上げて良いぞ」
静かに呼びかけたその声に、リンはおずおずと俯せていた顔を上げた。
その瞬間、バシッという音とともに、何かに頬を打たれ、彼女は床に叩きつけられた。
唇の端から零れた赤い鮮血が白いドレスに滲む。
「――――っ!」
「任務に失敗したと聞いたが」
何事もなかったかのようにリンを蹴り倒した脚を戻し、嵯峨は冷徹な声でそれだけを言った。
「…………お赦しを」
そう呟きながら身を起こしたリンの身体めがけ、嵯峨は再び足を振り下ろす。
「……っ」
唇を噛み、身を丸めてただ堪えるリンを、冷酷な微笑を浮かべて嵯峨は見下ろした。
「しくじってもなお、生きているとは何事だ? 死をも怖れぬ覚悟があると誓ったは、嘘であったか?」
「嘘ではありませぬ……お許しを」
赤く腫れ上がった頬を抑えながら床に額ずき、リンはひたすら許しを請う。
そんな彼女に、嵯峨は全く感情を感じさせぬ冷ややかな視線を送った。
「まあ、よい。それよりも何やら面白い者に遭ったと聞いたが?」
「――は……っ、光の継承者に遭遇致しました」
「何処にて?」
「封印の地にて、アレク・ランブルの補佐と称して同行していた男が――――」
「そ奴は、確かにバルドと名乗ったのだな?」
「は、間違い御座いません。彼の方に戦乱を起こす意図あらば、身を以てしても止めようぞ、と」
リンのその言葉に、それまで感情の色のなかった嵯峨の顔に、鉄のように冷たく酷薄な笑みが刻まれた。
「そうか……奴らは、既にあの男を手中に収めたか」
クク、と喉の奥で楽しげな笑いを漏らすと、嵯峨は氷のような視線をリンに向けた。
「――鈴」
主の声に、はい、と震える声で応え、リンはさらに深く頭を下げる。
「あの忌々しい裏切り者を葬り去れ。今度こそやれるな?」
「は……はい。しかし……」
有無を言わさぬ主人の声に狼狽えるリンを楽しげに見やり、嵯峨は「まあ、しかし」と口角を歪める。
「相手は光の継承者だ、おまえ1人では心許なかろう。
そうだな――紫月をつけてやろうか」
紫月、と聞いて、俯いたリンの眉が微かに寄せられる。
「有り難きお心遣いですが……」
「まだ何かあるのか?」
言葉を遮った女の氷よりも冷たいその視線に、背筋を振るわせ、リンは慌てて首を振った。
主人の前には、反論はもとより、ましてや戯言ともつかぬ敵の首領の言付けなど、とても伝えることなど出来はしない。
「……いえ、何もございません……」
「疾く去ね。次にしくじれば、判っておろうな?」
冷酷そのものの声音を投げつけると、嵯峨はリンを一顧だにせぬまま、部屋を後にした。
そのまま元の部屋へと向かう主の背に、従者が声を掛ける。
「宜しいのですか」
「構わぬ。どのみちあれには無理だろうて。しばらくの間、奴らの目を逸らすことが出来ればそれで良い。
それよりも、影華」
「はい」
「あの件の準備は進んでおろうな?」
「は。まもなく」
「楽しみだ。のう、影華?」
「はい」
ふふ、と冷たく笑う主の背に傅き、従者は頭を垂れた。
「――つまり、綺麗さっぱり忘れてると」
手元の資料を机に置き、アレクは言った。
「……纏めたわね。私の1ヶ月に亘る調査結果を。たった一言で」
「他にどう言えって?」
憮然とした友香の文句にアレクは笑いながら足を組む。
「それで、どうするんです?」
佳架の声に、友香が振り返る。
「睦月だって今の生活があるし、忘れてるなら無理に思い出さなくても」
「危険さえなければ、そうするのが一番なんだがな」
と肩を竦めたアレクの言葉に、そうですね、とその後を引き継いで佳架は口を開く。
「向こうにも今回の一件は伝わってしまってるでしょうからね。
まあ――、すぐには見つからないとは思いますけど」
そうね、と友香は頷くと、にやりと口元をあげてみせる。
「誰かさんが格好つけるから」
揶揄するような口調に、言われた本人は苦笑混じりに肩を竦めた。
「止めなかったんだから、おまえも共犯だろ」
「ワタクシ、上官命令には忠実なもので」
「おまえなあ……よく言うよ」
平然と断言した友香に溜息を吐いて、アレクは話を元に戻した。
「とにかく、だ。どうあっても、向こうはセルノを復活させる気だと考えておいた方が良い。
――友香、おまえは睦月に護衛を付けてくれ」
「ええ。うちの連中に交代で付いてもらうことにします。
副官には総員体制を取れるように準備しておくようにも言ってあります」
「OK。とりあえず、もうしばらくそれを続けてくれ。まだ外部には伝わらないようにな」
「了解」
「それから、佳架。
警備長に厳戒態勢の準備をするように伝えろ。情報部にも、ほんの少しでも異変があればすぐに報せるようにとな」
「はい」
部屋を出ていく部下達を見送ると、アレクは小さく息を吐いた。
肩の力を抜いて頭に手を当てる。
「――伝言が有効ならいいがな……」
険しく眉を寄せ、思案顔を浮かべてアレクはぽつりと呟いた。
その部屋は、漆黒の闇の中に沈んでいた。
壁も床も闇色に塗られた室内には、いかなる名工の手によるものか、見事な螺鈿細工を施された調度品が過不足なく調えられていた。
わけても見事なのは、部屋の中央に設えられた、高さ5尺はあろうかという台座だった。
正確に六角形に作られた台座の表面には金箔と朱塗りの煌びやかな装飾が施され、台座から伸びた脚は、優美な曲線を描きつつ床へと伸びている。
その上には、掌大の球体が安置されていた。
それはゆっくりと瞬いているようにも見える。
だが、それが発する光は暗く、周囲と同じ闇色をしていた。
周囲の闇を吸収し、闇色の光を発し続けているようにも見える。
それはまさしく、
衛星のように朧な光がぐるりと絶え間なくその周囲を巡り続けている。
静まり返った室内に、カツン、と靴音が響いた。
扉を抜け、現れたのは長身の女が1人。
彼女は灯りひとつない漆黒の室内を迷うことなく台座へと進む。
この室内においては――否、彼ら闇の者にとって、闇こそが光だった。
漆黒の闇の内に在ってこそ、闇は輝き、光はその影のように、時折うっすらと滲むのみ。
「…………」
女は台座の上で闇色に輝く球体へと手を差し伸べた。
球体の周囲を走る光に触れる寸前で動きを止めた彼女の口元に、酷薄な微笑が浮かぶ。
「――――嵯峨様」
背後から、静かな声が掛けられたのは、その時だった。
現れたのは、髪を短く刈り揃えた小柄な若い女だった。
嵯峨、と呼ばれた女は振り返ることなく無言で応えた。
「鈴が戻りましてございます」
「――首尾は」
問うた声は女性としては低い部類に入る。
やや掠れたその声は、聞く者の耳に微かに糸を引くかのごとき余韻を残す。
「それが――」
「悪い報せなら、聞きとうないぞ」
静かだが感情を感じさせない声音でそう言うと、嵯峨は振り向いた。
長い黒髪がさらりと揺れる。
「任務には失敗したとのこと。ただ、もうひとつ御報告しておかねばならぬ事が……」
「何だ?」
「鈴が申しますには――光の継承者に遭遇した、と」
「……バルドか」
再び、切り揃えられた髪の下で柳眉が上がる。
「あれは何処に」
「次の間に待たせて御座います。連れて参りましょうか」
「――いや、良い。私が行こう」
そう言うと、靴音を残し嵯峨はその部屋を後にした。
従者がゆっくりと開いた朱塗りの扉を抜け、嵯峨は室内に足を踏み入れた。
先程の部屋のそれとは比較にならないほど簡素な造りの部屋の隅に、恭しく額ずいた姿でいるのは、リンである。
「鈴。顔を上げて良いぞ」
静かに呼びかけたその声に、リンはおずおずと俯せていた顔を上げた。
その瞬間、バシッという音とともに、何かに頬を打たれ、彼女は床に叩きつけられた。
唇の端から零れた赤い鮮血が白いドレスに滲む。
「――――っ!」
「任務に失敗したと聞いたが」
何事もなかったかのようにリンを蹴り倒した脚を戻し、嵯峨は冷徹な声でそれだけを言った。
「…………お赦しを」
そう呟きながら身を起こしたリンの身体めがけ、嵯峨は再び足を振り下ろす。
「……っ」
唇を噛み、身を丸めてただ堪えるリンを、冷酷な微笑を浮かべて嵯峨は見下ろした。
「しくじってもなお、生きているとは何事だ? 死をも怖れぬ覚悟があると誓ったは、嘘であったか?」
「嘘ではありませぬ……お許しを」
赤く腫れ上がった頬を抑えながら床に額ずき、リンはひたすら許しを請う。
そんな彼女に、嵯峨は全く感情を感じさせぬ冷ややかな視線を送った。
「まあ、よい。それよりも何やら面白い者に遭ったと聞いたが?」
「――は……っ、光の継承者に遭遇致しました」
「何処にて?」
「封印の地にて、アレク・ランブルの補佐と称して同行していた男が――――」
「そ奴は、確かにバルドと名乗ったのだな?」
「は、間違い御座いません。彼の方に戦乱を起こす意図あらば、身を以てしても止めようぞ、と」
リンのその言葉に、それまで感情の色のなかった嵯峨の顔に、鉄のように冷たく酷薄な笑みが刻まれた。
「そうか……奴らは、既にあの男を手中に収めたか」
クク、と喉の奥で楽しげな笑いを漏らすと、嵯峨は氷のような視線をリンに向けた。
「――鈴」
主の声に、はい、と震える声で応え、リンはさらに深く頭を下げる。
「あの忌々しい裏切り者を葬り去れ。今度こそやれるな?」
「は……はい。しかし……」
有無を言わさぬ主人の声に狼狽えるリンを楽しげに見やり、嵯峨は「まあ、しかし」と口角を歪める。
「相手は光の継承者だ、おまえ1人では心許なかろう。
そうだな――紫月をつけてやろうか」
紫月、と聞いて、俯いたリンの眉が微かに寄せられる。
「有り難きお心遣いですが……」
「まだ何かあるのか?」
言葉を遮った女の氷よりも冷たいその視線に、背筋を振るわせ、リンは慌てて首を振った。
主人の前には、反論はもとより、ましてや戯言ともつかぬ敵の首領の言付けなど、とても伝えることなど出来はしない。
「……いえ、何もございません……」
「疾く去ね。次にしくじれば、判っておろうな?」
冷酷そのものの声音を投げつけると、嵯峨はリンを一顧だにせぬまま、部屋を後にした。
そのまま元の部屋へと向かう主の背に、従者が声を掛ける。
「宜しいのですか」
「構わぬ。どのみちあれには無理だろうて。しばらくの間、奴らの目を逸らすことが出来ればそれで良い。
それよりも、影華」
「はい」
「あの件の準備は進んでおろうな?」
「は。まもなく」
「楽しみだ。のう、影華?」
「はい」
ふふ、と冷たく笑う主の背に傅き、従者は頭を垂れた。
「――つまり、綺麗さっぱり忘れてると」
手元の資料を机に置き、アレクは言った。
「……纏めたわね。私の1ヶ月に亘る調査結果を。たった一言で」
「他にどう言えって?」
憮然とした友香の文句にアレクは笑いながら足を組む。
「それで、どうするんです?」
佳架の声に、友香が振り返る。
「睦月だって今の生活があるし、忘れてるなら無理に思い出さなくても」
「危険さえなければ、そうするのが一番なんだがな」
と肩を竦めたアレクの言葉に、そうですね、とその後を引き継いで佳架は口を開く。
「向こうにも今回の一件は伝わってしまってるでしょうからね。
まあ――、すぐには見つからないとは思いますけど」
そうね、と友香は頷くと、にやりと口元をあげてみせる。
「誰かさんが格好つけるから」
揶揄するような口調に、言われた本人は苦笑混じりに肩を竦めた。
「止めなかったんだから、おまえも共犯だろ」
「ワタクシ、上官命令には忠実なもので」
「おまえなあ……よく言うよ」
平然と断言した友香に溜息を吐いて、アレクは話を元に戻した。
「とにかく、だ。どうあっても、向こうはセルノを復活させる気だと考えておいた方が良い。
――友香、おまえは睦月に護衛を付けてくれ」
「ええ。うちの連中に交代で付いてもらうことにします。
副官には総員体制を取れるように準備しておくようにも言ってあります」
「OK。とりあえず、もうしばらくそれを続けてくれ。まだ外部には伝わらないようにな」
「了解」
「それから、佳架。
警備長に厳戒態勢の準備をするように伝えろ。情報部にも、ほんの少しでも異変があればすぐに報せるようにとな」
「はい」
部屋を出ていく部下達を見送ると、アレクは小さく息を吐いた。
肩の力を抜いて頭に手を当てる。
「――伝言が有効ならいいがな……」
険しく眉を寄せ、思案顔を浮かべてアレクはぽつりと呟いた。