7.探り合い

文字数 3,441文字

「――よかったのか」
 階段を下りきった所で、レオは前を行く男に声を掛けた。
「いいのよ。知らない方がってこともあるでしょ」
 そう女言葉で答えながら、男は階段下の扉の鍵を開く。
「どうぞ」
 男に促されるまま、レオは店内に足を踏み入れた。
 電灯がついてもまだ少し薄暗いその店の中には、小さなカウンターと、申し訳程度のテーブル席があるだけだった。ずっと締め切っていたせいで埃と湿気の匂いが充満している。
「何か飲む?」
「アルコールの入っていないものを頼む」
「お酒じゃないのね」
 カウンターの中でグラスを取り出しながら、マスターは軽く首を傾げる。
「下戸なもんでな」
「あら、飲みそうな感じなのに」
「よく言われるよ」
 苦笑しながら答えたレオに、マスターは烏龍茶を差し出した。そうして自分は、懐から煙草を取り出して銜える。
「で、何を聞きたいの」
 かちりと音がして、煙草に火が点る。
「いきなりだな」
「――あんた、『ランブル』のモンだろ」
 不意に男言葉に戻って、マスターが言った。ふう、と一口目の煙を吐き出しながら、レオを眺める。
「情報部あたりじゃないのか」
 語調の変化と共に、言葉も精界語に変わる。おそらくこちらが素なのだろう。
「詳しいな」
 相手の語調の変化にも平然と、レオは返した。
 この男が「闇の者」であることはレオも気づいていた。素知らぬ振りをしたのは、それこそ何も知らない人間――亮介がそこにいたからだ。
「大方、あの夜のことについて訊きたいんだろうが、大したことは話せないぞ」
 カウンターの中に置かれた椅子に軽く腰掛け、腕を組みながら、マスターが言う。
「ま、出来れば先にあんたの所属と名前を訊いておきたいがね。こっちとしても変な言質を取られて疑われるのは避けたい」
「……信用はないようだな」
「悪いが、こういう商売してるもんでね。用心深いんだ。まして相手が『ランブル(あんたら)』となれば、保険は多めに掛けといて損はない」
「どうも、そちら側には悪評が強いな」
 男の言葉に苦笑すると、レオは烏龍茶のグラスを口に運ぶ。
「情報部長官、レオ・チェンだ」
「……多分幹部だろうとは思ったが、長官殿とはね」
 呆れたように呟いて、マスターは煙草を吹かした。
「ま、俺個人にゃ私怨も何もないけどな。あんた達は自分の役目をこなしてるだけだってのも折込み済みだが、ま、長年積もったわだかまりってのはなかなか消えないもんだ」
「ああ、そうだな」
 レオが静かに頷くと、室内にほんの僅かに沈黙が落ちる。
「――で、何が訊きたい」
 少し間を空けて、マスターが呟くように問いかけた。
「その日、起きたことを」
「あんたが来たってことは、もう大方掴んでるんじゃないのか」
 と、彼は胡乱げな視線をレオに向ける。
「私が知ってるのは、ゴーレムのような闇の固まりがこの近くに現れたということだけだが」
「ゴーレム……か。なかなか上手いこと言うな」
 そう言うと、男はふう、と息を吐いた。
「俺がやったと思うか?」
「――いいや」
 挑発気味の声に、レオは穏やかに即答する。薄暗いカウンターの中で、男が小さく目を瞠った。
「そんなモンが出た現場に、『闇』の俺がいる。疑う理由はあると思うが」
「悪いが、ない。あんたが店を閉めてる間に、こちらもそれなりに調べさせてもらったからな」
 そう言って、レオは小さく笑う。
「あの夜にここで異変を目撃した何人かに話を聞いたよ。あんたは真っ先に異変に気づいて皆を逃がそうとしたそうじゃないか」
「……」
「まあ、真っ先に、という点は気にならないでもないが」
 かちり、と二本目の煙草に火が点る。埃の匂いが、煙草の匂いに塗り替えられていく。
「…………さすがだな。そのなりで、よくもまああのガキ共から話を聞きだしたもんだ」
 やがてぽつりと、マスターが言った。その言葉に、レオは笑う。
「この外見なら公権力だとは勘ぐられないからな。こういう街なら、却って動きやすい」
「ふん、そういうもんかね」
 トントンと手にしたライターでカウンターを叩きながら、マスターは呟く。
「話を戻すが。俺の印象も含めて、あんたはシロだろう。違うか?」
「………………」
 無言のまま、男は空になったグラスに酒を注ぎ、一気に煽った。
「――この店の前の通りは、悪ガキ共のたまり場になっててな」
 しばしの後、遠くを眺めながら、彼はゆっくりと話し出す。いつしか、言葉が人界語――日本語に戻っている。人界で過ごす日々の記憶は、人界の言葉と共に彼の中に根付いているのだろうと、レオは口には出さぬまま推測する。
「さっきの亮介もか」
「ああ。ま、悪ガキったって、本当に悪さするようなのはほとんどいないんだ。大抵は、家やら何やらに居場所がないからって何となく集まってるって連中だった」
 そう言いながら、マスターは新しいグラスにウィスキーを注ぐ。
「その中に、トオルってのがいたんだが……、ってんなこた、もうとっくに聞いてるか」
「異変の直前、妙な薬を飲もうとした青年をマスターが止めた、とは聞いている。その青年のことか?」
「ああ」
「彼は」
「――死んだよ」
 レオの言葉に被せるように、早口で彼は答える。
「あんたが言う所のゴーレムってやつに喰われたのさ」
「……人を、喰うのか」
「喰うね。俺も危うくやられる所だった。あの時、どっかのガキがふらふら入って来なきゃ、俺がやられてただろうな」
 そう言ってから、男はふと目を上げる。
「ああ、そうか。アレがあんたんとこのモンだったわけか」
「……まあ、そんなところだ」
 睦月のことだろうと当たりをつけ、レオは軽く頷く。
「んじゃ、そいつに礼を言っといてくれ。あの化けモンの注意がそっちに逸れたおかげで、俺は何とか逃げおおせたわけだしな」
 肩を竦めて、マスターは灰皿に煙草を押しつける。
「その時のことなんだが。その化け物がどうなったか、最後まで見てたか?」
「いや。アレの注意が逸れた隙にそそくさと逃げ出したから、その先は知らん。……そういやそうだな、アレはどうなったんだ?」
「一応、崩れたということだが」
 苦笑混じりの言葉に、マスターが眉を寄せる。
「……煮え切らない返事だな。あんたんとこの若いのが見てたんじゃねえのか」
「崩れるところは見た、と言っていた。俺が聞きたいのは、その時にその場にいた人物のことだ」
「そりゃ、俺……じゃねえな。崩れたとこなんざ見てねえ。俺らの他に、誰かいたのか」
「……紫月、という人物に心当たりはあるか」
「…………」
 無言のまま、素知らぬ顔で烏龍茶を飲むレオを半眼で眺め、マスターはため息をつく。
「……知らないね。訊きたいことは、それだけか?」
 再び精界語に戻っての素っ気ない答えに、レオは小さく首を横に振った。
「――まだある。あんたが止めたという、薬のことだ」
「……変なことに興味を持つんだな」
 直截な問いに虚を突かれたように、男は眉を寄せる。
「若者達に話を聞いたときから気になってはいたんだが」
 静かにそう言うと、レオは男の横顔を眺めた。
「あんたは、異変の前からその青年――トオルと言ったか――を気にしていたそうじゃないか。何か気づいてたんじゃないのか」
「…………何かってのは」
「私の勘だが――その薬の正体とか」
 男はすぐには答えなかった。探るようなレオの視線をあからさまに避けて、背中を向ける。
「……クスリなんてモンに詳しく見えるか、俺が?」
「さあな。だがまぁ、その薬については知ってたんだろう」
 ザラザラと乾きものを皿に出しながら、マスターはちらりとレオの様子を窺った。
 その視線を受けて、レオが小さく溜息を吐く。

 いつまでも遠回りばかりしていても仕方ない。ここで手札を一枚切った方がよさそうだ。
「――『闇の胤』、というのではないか?」
 情報長の言葉に、長く、重い沈黙が続いた。レオもマスターも、一言も口をきかないまま、数分の時が流れる。
 カラリと、グラスの中で溶けた氷が崩れる音がした。
「…………やっぱり、そうだったか」
 やがて。
 胸中の空気を全て吐き出そうとするかのように長い溜息の後、マスターはそう呟いた。
「そんな気はしてたんだ。だがまさか本当に…………」
 独白のような言葉とともに、彼は頭を抱える。無言のまま、レオはその姿を眺めた。
 やがて、顔を上げた男は、真っ直ぐにレオを見据えた。強い決意の色が、その奥に光る。
「――わかった、話そう。本当にアレが使われているってんなら、俺にも責任がある。ただし――」
 男は真っ直ぐにレオに視線を合わせた。
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