17.地ならし①

文字数 3,375文字

 コンコン、とノックの音が室内に響く。やや重苦しくなりつつあった部屋の空気とは裏腹な軽い音だ。
「入れ」
 待ちかねていた様に――実際待ちかねていたのだが――アレクが声を掛けると、ドアが開く。
「失礼しま……す?」
 ドアの隙間から顔を覗かせた中山友香は、室内に揃った男たちの顔ぶれに小首を傾げた。
 アレクからの呼び出しを受けて司令室を訪れてみれば、秘書官からは奥の部屋に行くように言われ、不思議に思いながらも開けた扉の内側にはアレクだけでなく、監察部の副長を務める二人の幼なじみまで揃っている。
「……」
 ポーズだけ見れば、室内の状況にただ戸惑っているようにも見える。だが、その口元と目元が僅かに引き攣った所を見ると、友香がある程度正確に状況を理解しただろうことが窺える。
 そんな彼女に、ぽん、と自分の隣の座面を叩くことでアレクが入室を促した。こぢんまりとした部屋には、ソファベッドと背の低い円卓に、椅子が二脚。円卓の方の椅子にはロンとハリーがそれぞれ腰を下ろしており、ソファベッドの一角にアレクが座っている。その三対の視線がいずれもどこか沈鬱な色を浮かべて自分を見つめているとなれば、これはもう絶対にろくな用件ではない。室内の得も言われぬ空気に踵を返したくなる己を宥めながら、友香は無言でそろりと足を踏み出した。
 普段はもっぱら影の仮眠――白昼堂々のサボタージュとも言う――に使われている部屋だ。重要な案件の密談という本来の用途に使われるのは、友香が知る限り、着任してから初めてのことではなかろうか。
「ええと、それで……なんでしょう?」
 おずおずとソファに腰を下ろす。思わず丁寧語になってしまった友香に、アレクが微かな苦笑いを浮かべた。
「そんなに身構えるな」
「それは無理でしょ。何なの、怖すぎる」
 平生ならば、友香にとって誰よりも気の置けない三人だ。だがその彼らが揃いも揃って重苦しい空気を背負って、わざわざ他人の耳の届かない場所に集まっているとなれば、話は別だ。
「リンのことよね? それが私と何か関わってるのね?」
 ハリーとロンが揃っているということは、おそらく彼らが抱える仕事――つまり監察絡みの話題だろう。その中で現在最も友香に近しいのは、リンというあの少女の件だ。くわえてアレクも含めたこの三人が内密に話を通すというなら、友香のプライバシーに関わる内容なのだと容易に推測することができる。
「兄さんの件?」
「いや、そっちじゃない」
 真っ先に思いついた可能性を即座に却下され、友香はぱちぱちと目を瞬いた。リンが自分や主について語り始めたという報告は聞いていた。だから紫月の素性が判明したのだろうと思ったのだが、それが違うというのなら、何だというのか。
「――リンちゃんがね、色々話をしてくれたんだけど……」
 話し始めたのは、ハリーだった。そこに、アレクが言葉を差し挟む。
「これは、明日の長官会議で報告してもらう内容だ。ただお前は先に聞いておいた方がいいだろうと、ここにいる全員一致で判断した」
「う……、うん」
 頷きながら、友香は正面右手に腰を下ろしたロンにそっと視線を向けた。ここまでひと言も発していない彼の伏しがちな表情は、何とはなしに怒りを抑えようとしているようにも見える。
「……」
 ちらりとのぞき見る視線に気づいたロンは、友香と目を合わせるとはぁ、と溜息を吐いた。
「……大丈夫だ」
 とてもそうは見えない。が、それを指摘したところで何が変わるわけでもないだろう。友香は曖昧に頷いて、ゆっくりと目を伏せる。胸元に手を当て、ゆっくりと何度か呼吸を整えた。
「――うん、大丈夫。話を聞きます」
 三人の視線を順に受け止め、友香はゆっくりと頷いた。

 はじめは、その報告が自分とどう絡んでくるのか分からなかった。
 ハリーが話し出したのは、エイダという人物に関するリンの供述だった。リンにとって、姉のような存在だったらしい。
「リンちゃんの両親が亡くなってすぐ、エイダは嵯峨の手配で奉公に出ることになったらしい。おそらくは結びつきの強い彼女たちを引き離すつもりだったんだろう」
 待遇の良い仕事と喜んでいたエイダを、リンは寂しさを覚えつつも送り出したという。
 だが2年後、状況が一変する。
「手紙の指示に従って待ち合わせの場所で落ち合ったエイダは、赤ん坊を抱えていたそうだ。その子をリンちゃんに渡して、北に逃げるようにと言ったらしい」
 だが、そこに嵯峨が現れた。そして赤ん坊を人質に、リンは忠誠を誓うことを強制されたのだという。
「……それでその子は?」
「リンちゃんの嘆願で、母親の元に返されたそうだよ。その後のことは分からないけど」
 曖昧に頷いて、友香は一同を見渡した。ひとしきり聞いても、その出来事が自分とどう関わっているのかは不明のままだ。
「リンは、その親子を人質に取られてるってことね。だから、嵯峨には逆らえない」
「そう。二人を助けて欲しいと頼まれた」
「……でも、どこにいるのか分からないんじゃ」
 今の話からは、エイダという娘とその子供がどこへ奉公に出されたのかは全く分からない。そもそも「ランブル」といえど「闇の者」の勢力範囲については、さほど詳しいわけではない。樹海の側と言うから、地理的には「光の者」の活動圏と接していることになるが、いかんせん深く入り組んだ森が行き来を阻害しているから、反対側から回らねばならない。実質的には、最奥部に近い。

 はじめは、その報告が自分とどう絡んでくるのか分からなかった。
 ハリーが話し出したのは、エイダという人物に関するリンの供述だった。リンにとって、姉のような存在だったらしい。
「リンちゃんの両親が亡くなってすぐ、エイダは嵯峨の手配で奉公に出ることになったらしい。おそらくは結びつきの強い彼女たちを引き離すつもりだったんだろう」
 待遇の良い仕事と喜んでいたエイダを、リンは寂しさを覚えつつも送り出したという。
 だが2年後、状況が一変する。
「手紙の指示に従って待ち合わせの場所で落ち合ったエイダは、赤ん坊を抱えていたそうだ。その子をリンちゃんに渡して、北に逃げるようにと言ったらしい」
 だが、そこに嵯峨が現れた。そして赤ん坊を人質に、リンは忠誠を誓うことを強制されたのだという。
「……それでその子は?」
「リンちゃんの嘆願で、母親の元に返されたそうだよ。その後のことは分からないけど」
 曖昧に頷いて、友香は一同を見渡した。ひとしきり聞いても、その出来事が自分とどう関わっているのかは不明のままだ。
「リンは、その親子を人質に取られてるってことね。だから、嵯峨には逆らえない」
「そう。二人を助けて欲しいと頼まれた」
「……でも、どこにいるのか分からないんじゃ」
 今の話からは、エイダという娘とその子供がどこへ奉公に出されたのかは全く分からない。そもそも「ランブル」といえど「闇の者」の勢力範囲については、さほど詳しいわけではない。樹海の側と言うから、地理的には「光の者」の活動圏と接していることになるが、いかんせん深く入り組んだ森が行き来を阻害しているから、反対側から回らねばならない。実質的には、最奥部に近い。
「――それが、判明するかもしれない」
 言葉を継いだのは、隣に座るアレクだった。
「レイが連れてきた男がいるだろ?」
「ああ、あの歴史学者の。芦名さんっていったっけ?」
 嵯峨のところで「闇の胤」に関する古文書の解読をしていたが、数年前にそこから逃げ出して人界でひっそりとバーを開いていたという人物だ。少し前にゴーレムの一件で情報長と出会った後、開発長が気に入ったとかで、しきりに人界に行っては勧誘していたことは知っていた。だが、そのバーが紫月に見つかり強襲されたことで、レイの誘いに乗る決意を固めたらしい。
 今朝の定例会議にレイが連れてきたその男は、どこかつかみ所のない、不思議な雰囲気の人物だった。ただその立ち居振る舞いや語調からは、実直な人物だろうという印象を受けた。
「彼に、エイダの奉公先を知らないか訊いてみた。駄目元だったがな」
「それで?」
「エイダのことは知らなかったが……その代わり、ある『噂』について知っていた」
 アレクの伏せた目元が深い影を作っている。その横顔に不穏な何かを感じ、友香はこくりと小さく喉を鳴らした。
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