18.黄昏に誓う②

文字数 2,178文字

 思考を整理しつつ、ぼんやりと眼下を眺め続けてどれくらい経っただろう。
「ん……?」
 ふと視界の隅に見慣れた顔を見つけ、アレクは身を乗り出した。
 武練場からこちらに向かう小道に、睦月がいる。訓練後なのだろうか。首にタオルを掛け、のんびりとした歩調で歩いているが、遠目から見ても顔色が冴えない様子だ。そういえば、このところ沈んだ様子だったなとアレクは思い返す。
「――睦月!」
 声の届く距離まで来たところで声をかけると、睦月は足を止めてきょろきょろと周囲を見回した。
「上だよ、上」
 声に反応して、睦月がこちらを見上げる。手を振ると、アレクの姿を目に留めた睦月が口を開く。
「アレク。そんなとこで何やってんの?」
「ちょっとな。上がって来いよ」
 そう言うと、頷いた睦月が本部棟へと小走りに向かうのをアレクは眺めた。

「こんなところに屋上があったんだね」
 地上三階建ての本部棟の最上階からもう一階分階段を上ると、そこに無骨な鉄の扉がある。これまで全くその存在を知らなかった扉を押し開けると、キイイとやや甲高い軋みが上がった。
「良い眺めだろ?」
 睦月を迎えたアレクは、鉄柵に身体を預けて笑う。
「すごいね」
 丘陵の頂に建つ本部棟の屋上には、視界を遮るものが何一つない。八方全てに開かれたそのパノラマに、睦月はきょろきょろとせわしなく首を回した。
 純粋に、ただただ美しい光景だ。眼下には城下町。その先には緑の田園地帯が広がり、川に沿って集落とおぼしきオレンジ色の屋根の塊が転々と作られている。視線を背後に転じれば、自分の部屋からも見える森が目に入る。その木々の合間に夕日を反射して赤く光るのは、おそらくミシレの湖面だろう。遮るもののない視界に広がる鮮やかな色彩は、まるで広い世界と一体化したような感覚を呼び起こした。
「あっち。もうすぐ日が沈む」
 アレクの指さす方角を見れば、真っ赤な夕日が地平線へと降りていこうとするところだった。その鮮烈な朱は地面と接するや、一層赤く燃え上がり、それからゆっくりと形を崩して融け始める。
「きれいだね。よく来るの?」
「ああ」
 頷いて、アレクは鉄柵に半身を預けた。
「初心を思い出しに、な」
「……初心?」
 問い返す睦月に口元だけで笑って、アレクは続けた。
「光と闇が手を取り合える世界を作る。この夕暮れ時の――あるいは朝焼けの空みたいに、光と闇が共存する世界を」
 見上げるアレクの視線の先では、今日の終わりを告げる陽光が鮮やかなグラデーションを作り出している。朱色が次第に薄まりながら薄紫へと変化していくその様は美しく、しかしよく見れば、彩度も明度も異なるいくつもの色が複雑に入り交じっているのがわかる。
「綺麗なだけじゃなく、反発することもある。それでも、共にある事はできる筈なんだ」
 真っ直ぐに空を見つめる視線は揺らぐことなく、その信念の強さを睦月に伝えた。
「……指揮官になったのは、それが理由?」
 詳しい経緯を聞いたことはない。だが、元々は彼の兄が家督を継ぐ筈だったと、この数ヶ月の付き合いの中で聞きかじった覚えがある。
「んー……まあ、そうだな」
 軽く髪を掻き上げながら、アレクは口元をわずかに綻ばせた。
「正確には、兄貴と代わることに決まってから、だけど」
 軽く伏せた目元に回想の色を浮かべ、言葉を紡ぐ。
 思いが過去に及んでいるためか、それとも開けた場所のなせる業だろうか。アレクの表情も雰囲気も、普段よりもリラックスしているような気がする。なにより、言葉選びがいつもよりも柔らかい。
「元々、兄貴の補佐をするのは分かってたから、俺にできる範囲で組織改革のアイディアを練ったりはしてた――ったって、今思えば所詮子供の浅知恵だったけどな。そういうのを兄貴に話してる内に、兄貴が、俺の方が適任だとか言い出して。気づいたら俺が継ぐことになってた」
「嫌じゃ、なかったの?」
 直截な睦月の問いに、アレクの口元に微かな苦笑が浮かぶ。
「驚きはしたし複雑な気分ではあったかな。副官と指揮官じゃ重みが違う。兄貴が優秀なことは知ってるし、正直、何で俺が、とは思った」
 静かな声で、アレクは過去の思いを口にする。
「けど、兄貴がそんなことを言い出した理由も何となく理解してたし、他に押しつける相手もいなかった」
 そう言ってから「いや、別にそれが不満だったわけじゃないけど」と軽く笑んで、アレクは続ける。
「でもそれからしばらくして、ちょっとした事件があってさ。選民思想がいかに容易く他人を虐げるのか、虐げられた者がどれほど苦しむのかを知った。いや……知識はあったんだ、目の当たりにしたことがなかっただけで」
 目を伏せた横顔を照らす夕陽が、目元に深い影を作っている。
「俺の本当の初心はそこから――だな」
 独りごちるようにそう言うと、アレクは再び夕焼けに染まる空を見上げた。ほんのわずかな間に陽はほとんど地平線に融けていた。残照が地平線を白く染め、天空に近い付近より先では薄紫から濃紺へと夕闇が広がり始めている。
「くだらない差別意識を変えるために、まずは俺の力で変えられる範囲だけでも変えようと思った――んだが、まさか変革に着手する前にこんな事態になるとは思ってもみなかったな」
 苦笑を浮かべ、アレクが言う。
「そう……なんだ」
 なんと返したらいいか分からず、睦月は視線を揺らした。
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