第10章 決意①
文字数 2,357文字
「――」
小さくため息をつく。
睦月は寝台から起き上がると、窓辺によってカーテンを引き開ける。
早朝の少しよそよそしい光が室内に満ちた。
着の身着のままでは居づらかろうと用意された服に着替えながら、睦月は眼下の景色を眺める。
薄桃色の日の光に照らし出される草原と田園地帯。その向こうの森。若葉の少し蛍光色がかったような緑と、まだ少し白っぽい空。リゾート地に来たような美しい風景だ。チチチチチッと小鳥の鳴き交わす声が聞こえる。合間に聞こえる、ボーボーという調子外れな声は鳩だろうか。
夢から覚めたのは、まだ暗いうちだった。いろいろ考えている内に、気が付いたら空が白み始めていた。多少はうとうとしたものの、まだ頭が少しぼんやりとしている。
しかしその代わりに、考えは固まったように思う。
昨日からの出来事、バルドの夢、アレクの言葉、そして――自分自身の事。
なぜここに連れてこられたのか。バルドの思い。アレクたちの仕事。自分のなすべきこと。
「――うん」
自らを勇気づけるように大きく頷くと、睦月は窓辺を離れ、歩き出した。
*
昨日と同じように、朝食を持ってきたアレクと差し向かいで食事をとる。
「この後、俺はセルノの廟に行ってくる。多分すぐに戻るだろうが、その間、お前のことは佳架に頼んであるから、何かあったら言ってくれ」
「――あ、あのさ、そのことなんだけど」
意を決して睦月はそう切り出した。アレクが首を傾ける。
「僕も、行きたい……んだけど、いいかな」
睦月の言葉に、アレクの黒い瞳が探るように睦月を覗き込む。気圧されそうになりながらも何とか踏みとどまり、睦月はその視線を正面から受け止める。
昨夜の時点で、アレクは睦月がこう言いだすことを半ば予期していたはずだ。そうでなければ、あんなことは言わないだろう。
ならば、この反応はおそらく試されているのだ――睦月自身の意志の強さを。
「自分の立場をわかってるか? もし何かあれば二度と元の世界に戻れなくなるぞ」
ややあって低い声で反問したアレクの口調には、どこか挑発するような響きがあった。
「今日行くのは、俺も行ったことのない場所だ。どんな危険があるか、事前の予測もできない」
静かに、アレクはそう口にする。
「場合によっては、このまま身体に戻れずに死ぬことになる。それでも行くのか?」
直截なその物言いに、睦月はわずかに体を退いた。しかし昨夜の夢を思い出して、自らを奮い立たせる。
「それは……僕だって怖いよ。だけど僕が本当にバルドの生まれ変わりだっていうなら、今は体に戻れたとしても、その先また巻き込まれるかもしれないんだよね?」
「……ああ、そうだな」
「なら……、どっちみち巻き込まれるっていうなら、せめて何に巻き込まれているのかくらい、自分の目で確かめておきたい。それに――」
睦月は言葉を探す。うまく考えを伝えるには、何から話せばいいだろうか。
先を促すように、アレクは無言のまま睦月を見つめている。
「昨日、新しい夢を見たんだ。若い頃のセルノとバルドの夢だった」
睦月の言葉に、アレクがわずかに眉を寄せる。
「二人は水盤を使って世界を見ていた。どこもかしこも戦場で、捕虜の扱いは最悪で、それを見てセルノはひどく怒ってた」
漆黒の瞳が赤く燃え上がって見えるほど、その怒りは明白で、それをバルドは戸惑いとともに受け止めていた。
「あの夢は多分、バルドの後悔なんだと思う。止められるときにセルノを止めなかったことを、あとになってからバルドはきっとすごく悔やんだんだ。だから今度こそ、止められるうちに止めようと必死なんだと思う。僕を巻き込むことは分かっていて、それでも動かずにはいられなかったんだ」
それは、確信。
『力を貸してくれ』と、あの時、≪彼≫はそう言った。
たとえ睦月が本当にバルドの生まれ変わりなのだとしても、今は何の力も持たない人間でしかない。
それでも。
一介の人間を強引に巻き込んでも、今度こそ、セルノを止めなくてはならない。
けれど、それが睦月の――生まれ変わった自分の新たな人生を破壊する可能性を、睦月とその周囲の人々の人生に重大な影響を及ぼしてしまうかもしれないことを、見て見ぬ振りもできなかったのだろう。
だからこそ、バルドは睦月に「力を貸してくれ」と頼むのだ。
それならば。
それならば、睦月は。睦月にできることは――
「何もわからずに、ただ巻き込まれて守られてるだけなんて嫌だ」
挑むように、まっすぐにアレクの目を見据え、睦月は言った。
「生まれ変わりとか、正直僕にはよくわからないし実感もないよ。けど、僕は僕だ。正直、まだ自分の進路だって決まってないし、神様みたいな人から見たら大した人生じゃないかもしれない。けど、それでも僕の人生だ。誰かの――前世の意志に振り回されるだけなんて嫌だ」
どちらにしろ巻き込まれることが避けられないのなら、自分の取るべき行動くらい自分で決めたい。
それが睦月の答えだった。
「力を貸してほしい」と前世の自分 が頼むのならば、睦月自身の意志で力を貸そう。
ただ否応なしに巻き込まれ、わけもわからず流されるのではなく、自分の意志で進むべき道を選び取る。
かつてのバルドのように――、できる時にできることをしなかった悔恨を味わわないために。
「――」
アレクは何も言わない。沈黙が滞留する。
きぃんと音のしそうな妙な緊張感が睦月を苛む。
まずいことを言っただろうか。所詮何の力もない癖に大口をたたくものだと思われただろうか。
そんな焦りが睦月の中に芽生え始めた頃、アレクの目がふっと緩んだ。
「OK。わかった」
にやりと人の悪い笑みを浮かべて、アレクが言った。その表情に、敢えて無言を貫くことで覚悟を試されていたのだと睦月は気づく。
小さくため息をつく。
睦月は寝台から起き上がると、窓辺によってカーテンを引き開ける。
早朝の少しよそよそしい光が室内に満ちた。
着の身着のままでは居づらかろうと用意された服に着替えながら、睦月は眼下の景色を眺める。
薄桃色の日の光に照らし出される草原と田園地帯。その向こうの森。若葉の少し蛍光色がかったような緑と、まだ少し白っぽい空。リゾート地に来たような美しい風景だ。チチチチチッと小鳥の鳴き交わす声が聞こえる。合間に聞こえる、ボーボーという調子外れな声は鳩だろうか。
夢から覚めたのは、まだ暗いうちだった。いろいろ考えている内に、気が付いたら空が白み始めていた。多少はうとうとしたものの、まだ頭が少しぼんやりとしている。
しかしその代わりに、考えは固まったように思う。
昨日からの出来事、バルドの夢、アレクの言葉、そして――自分自身の事。
なぜここに連れてこられたのか。バルドの思い。アレクたちの仕事。自分のなすべきこと。
「――うん」
自らを勇気づけるように大きく頷くと、睦月は窓辺を離れ、歩き出した。
*
昨日と同じように、朝食を持ってきたアレクと差し向かいで食事をとる。
「この後、俺はセルノの廟に行ってくる。多分すぐに戻るだろうが、その間、お前のことは佳架に頼んであるから、何かあったら言ってくれ」
「――あ、あのさ、そのことなんだけど」
意を決して睦月はそう切り出した。アレクが首を傾ける。
「僕も、行きたい……んだけど、いいかな」
睦月の言葉に、アレクの黒い瞳が探るように睦月を覗き込む。気圧されそうになりながらも何とか踏みとどまり、睦月はその視線を正面から受け止める。
昨夜の時点で、アレクは睦月がこう言いだすことを半ば予期していたはずだ。そうでなければ、あんなことは言わないだろう。
ならば、この反応はおそらく試されているのだ――睦月自身の意志の強さを。
「自分の立場をわかってるか? もし何かあれば二度と元の世界に戻れなくなるぞ」
ややあって低い声で反問したアレクの口調には、どこか挑発するような響きがあった。
「今日行くのは、俺も行ったことのない場所だ。どんな危険があるか、事前の予測もできない」
静かに、アレクはそう口にする。
「場合によっては、このまま身体に戻れずに死ぬことになる。それでも行くのか?」
直截なその物言いに、睦月はわずかに体を退いた。しかし昨夜の夢を思い出して、自らを奮い立たせる。
「それは……僕だって怖いよ。だけど僕が本当にバルドの生まれ変わりだっていうなら、今は体に戻れたとしても、その先また巻き込まれるかもしれないんだよね?」
「……ああ、そうだな」
「なら……、どっちみち巻き込まれるっていうなら、せめて何に巻き込まれているのかくらい、自分の目で確かめておきたい。それに――」
睦月は言葉を探す。うまく考えを伝えるには、何から話せばいいだろうか。
先を促すように、アレクは無言のまま睦月を見つめている。
「昨日、新しい夢を見たんだ。若い頃のセルノとバルドの夢だった」
睦月の言葉に、アレクがわずかに眉を寄せる。
「二人は水盤を使って世界を見ていた。どこもかしこも戦場で、捕虜の扱いは最悪で、それを見てセルノはひどく怒ってた」
漆黒の瞳が赤く燃え上がって見えるほど、その怒りは明白で、それをバルドは戸惑いとともに受け止めていた。
「あの夢は多分、バルドの後悔なんだと思う。止められるときにセルノを止めなかったことを、あとになってからバルドはきっとすごく悔やんだんだ。だから今度こそ、止められるうちに止めようと必死なんだと思う。僕を巻き込むことは分かっていて、それでも動かずにはいられなかったんだ」
それは、確信。
『力を貸してくれ』と、あの時、≪彼≫はそう言った。
たとえ睦月が本当にバルドの生まれ変わりなのだとしても、今は何の力も持たない人間でしかない。
それでも。
一介の人間を強引に巻き込んでも、今度こそ、セルノを止めなくてはならない。
けれど、それが睦月の――生まれ変わった自分の新たな人生を破壊する可能性を、睦月とその周囲の人々の人生に重大な影響を及ぼしてしまうかもしれないことを、見て見ぬ振りもできなかったのだろう。
だからこそ、バルドは睦月に「力を貸してくれ」と頼むのだ。
それならば。
それならば、睦月は。睦月にできることは――
「何もわからずに、ただ巻き込まれて守られてるだけなんて嫌だ」
挑むように、まっすぐにアレクの目を見据え、睦月は言った。
「生まれ変わりとか、正直僕にはよくわからないし実感もないよ。けど、僕は僕だ。正直、まだ自分の進路だって決まってないし、神様みたいな人から見たら大した人生じゃないかもしれない。けど、それでも僕の人生だ。誰かの――前世の意志に振り回されるだけなんて嫌だ」
どちらにしろ巻き込まれることが避けられないのなら、自分の取るべき行動くらい自分で決めたい。
それが睦月の答えだった。
「力を貸してほしい」と
ただ否応なしに巻き込まれ、わけもわからず流されるのではなく、自分の意志で進むべき道を選び取る。
かつてのバルドのように――、できる時にできることをしなかった悔恨を味わわないために。
「――」
アレクは何も言わない。沈黙が滞留する。
きぃんと音のしそうな妙な緊張感が睦月を苛む。
まずいことを言っただろうか。所詮何の力もない癖に大口をたたくものだと思われただろうか。
そんな焦りが睦月の中に芽生え始めた頃、アレクの目がふっと緩んだ。
「OK。わかった」
にやりと人の悪い笑みを浮かべて、アレクが言った。その表情に、敢えて無言を貫くことで覚悟を試されていたのだと睦月は気づく。