23.力の解放②

文字数 3,008文字

 睦月が瞑想を始めると同時に、レイもまた意識を集中させた。
「ハヤチ」
勇人(はやと)だっつってんだろ」
「準備を始める。まずはさっきの符でリョースケの中の光の気を増幅させて、ゴーレムの方にそれを流す。それで多少は弱体化するはずだから、そのタイミングでハギワラか――無理なら僕があの連結部を切る。ゴーレムがリョースケから分離したら、即座にリョースケを連れて逃げること」
 一気にそこまで言って、レイは口を噤んだ。それから、迷うように一度目を伏せると、再び口を開いた。
「……もしハギワラが間に合わなければ、その時は力尽くでゴーレムを抑える。そうなったら、ハギワラとリョースケを引っ張って逃げるんだ。いいね」
 数分で何とかすると睦月は言った。だがそれは決して簡単なことではないだろう。睦月がバルドの力を引き出すことに苦心惨憺していることは、レイも何となく聞き知っている。
「……あいつは……いや、わかった」
 訊ねかけた言葉を呑み込み、マスターが頷く。
「――始める。ハヤチはこれ持ってて」
 押しつけるように渡されたのは、数枚の呪符だ。
「呪符?」
「アレを消そうと思ったら、相当な光量が要る。リョースケを確保しつつ、君は君自身の身を守れ」
「……」
 亮介とその傍らの塊に一歩近づき、レイは静かに呪を唱えた。それに応じてぽう、と呪符が黄金の光を発する。
「……ったく、お人好しめ」
 その背中を眺めて、ぼそりと呟く。かり、と頬を掻くと、マスターは呪符を握りしめ――ふと、その視線がカウンターの上に留まる。
「――――!」
 先程まで『胤』の解析を進めていた術式が、点滅している。新たな解析が進んだらしい。
「……」
 ゆっくりとそちらへ歩み寄る。レイはまだ、呪を唱えている最中だ。浮かび上がった呪を読み取るくらいの時間はあるだろう。
「…………これは」
 読み取った術式に、声が漏れる。目を上げ、レイの様子を探ったその時。

 ぶぉん、と闇の塊がほんの一瞬、震えたように見えた。

「レイ!」
「――見えてる。大丈夫だ」
 静かな声にほっと息を吐き、マスターは今解析されたばかりの術式について知らせようと口を開いた。
だが、その時。
「……マスター。リョースケ、は……!?」
 カウンターの奥の扉がかちゃりと開き、そこからユイが顔を出した。その視線の正面に、闇の塊が蠢いている。
「ひ……っ、いやぁ!」
 全身を硬直させ、ユイが引き攣った悲鳴を上げた。

ゾゾゾゾゾゾゾゾゾ

「――何だ、急に!」
 ユイの悲鳴に反応するかのように、唐突に闇の塊が膨れ上がる。驚きながらも、レイは咄嗟に呪を唱え、闇を拘束している光の茨を強化した。
「レイ、そいつは周囲の人間の負の感情も餌にするぞ!」
「……そういうことか」
 ほんの一瞬、マスターの方へ視線を流したレイは、それだけで状況を把握した顔で頷く。
「その子を向こうに」
「言われなくとも」
 だが、マスターが動くよりも早く、ユイが悲鳴のような声を上げた。
「なにソレ……や、やだよリョースケが!! やだああああああああ!!!」
「ユイ!!」
 慌てて駆け寄るマスターの視界の隅で、闇の塊が一気に膨れ上がる。
Sol() solstitialis(夏の陽光), lux(清明) clara(たる) lunae(月光), lux() aeterna(きを照) quae() illuminat(す常世) tenebras(の光)!」
 間一髪、レイの唱えた呪が闇の勢いを殺したものの、ソレを縛る光の蔓は先程までとは比べものにならないほどに細く頼りない。
「いやああああっ」
「ち――っ、ハヤチ、その子を連れて行け!!」
「ユイ!」
「やだ、リョースケ! やだやだやだ!」
 マスターがユイの所に駆け寄るも、既にパニックを起こしたユイは、ジタバタともがいて思うように連れ出せない。その膨れ上がる恐怖心を――そしておそらく、マスターやレイ自身の焦りすらも吸い取って、それまでただの塊だった闇が、うぞうぞと人の形を取り始める。
「くそっ、ハギワラまだか!?」
 レイがちらりと視線を投げるも、深い瞑想状態に入った睦月はピクリとも動かない。
「ハギワラ! 急げ!」
 叫ぶ声に、ほんの一瞬、睦月の肩がピクリと動く。だが、それだけだ。
「……時間がない。とりあえず、ゴーレムをリョースケから引き剥がす」
 もはや後ろを振り向くことすらせず、レイはゴーレムに対峙した。大きく息を吸い、意識を集中させる。狙うのは、亮介との接合点だ。一気に光を流し込み、亮介とゴーレムを繋ぐ力の供給源を断たねばならない。
「Luce in princ. Lux cum tenebris est. Sed mali vim suam sub luce debilitant.」
 レイを中心に、金色の光が亮介の方へと伸びていく。もはや人型に限りなく近づいた闇の塊を取り巻き、その動きを押さえつけながら、亮介から細く伸びた影のような接合点を捻じ切るようにぎりぎりと巻き上げる。
「Impii vim suam sub luce debilitant!」
 闇の力を弱める呪を繰り返す。だが、未だ背後から聞こえるユイの悲鳴が、闇を活性化し続けるせいで、思うように効果が上がらない。
 それでも何とか、最も細い接合点を取り巻いた光が亮介とゴーレムを分離させた、次の瞬間。
「――全員、伏せろ!」
 唐突に湧き上がる嫌な予感に、レイは叫んだ。同時に、完全に人型になったゴーレムがゆっくりと――光の蔓を巻き付けたまま――その身を起こす。

ゾオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ

 音とすら呼べない咆哮を上げたゴーレムが、餌を検分するかのように、室内にいる人々を睥睨した。
「ハヤチ! 全員連れて逃げろ!」
 レイが叫ぶ。焦れば焦るほど、ゴーレムを活性化させてしまうと知りながらも、眼前の危機が落ち着きを削いでいく。
「Impii potestatem perdunt sub luce!」
 だがそれでも長年の経験が、かろうじてレイの冷静さを押し留めた。この場で戦えるのは、自分――天才と名高い、開発長レイ・ソンブラだけだ。
その矜持が呪を紡ぐ声に力を乗せた。ほんの僅か、怯むかのように、ゴーレムが動きを止める。
「Impii potestatem perdunt sub luce.」
 ゴーレムの動きを封じるために、呪を紡ぎ続ける。こうなれば、消耗戦だ。
「Impii potestatem perdunt sub luce……」
 額に汗が浮かぶ。ユイの悲鳴も、もはや聞こえない。ただ、目の前の相手に集中する。徐々に強まる校則に、ゴーレムが再び咆哮を上げて身をよじる。大きく状態を振り、ぱっかりと大きく口を開けてレイを見下ろした。

ゾオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ

 明らかに獲物を見定めたその叫びに、ぞっとするような恐怖を覚えながら、レイは呪を紡ぎ続けた。
少なくとも睦月だけは助けねば。ここで彼を失うのは、『ランブル』にとってあまりにも大きな痛手となる。焦りる内心を無理矢理押さえつけ、さらなる呪を紡ぐレイに向かってゴーレムが上体を傾け――
「……っ」

――ピタリと、その動きを止めた。

 唐突に訪れたその静寂に、誰もがただ状況を見つめていた。
 今しも、レイを頭から呑み込まんとしていたゴーレムが、何かにたじろいだように動きを止め、ジワジワと後ずさる。
「…………?」
 訝しげに振り向いたレイの視線の先で、仄かに白い光を纏った睦月が目を開いた。
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