24.静寂(しじま)①

文字数 1,280文字

 ユイを掴んだまま、亮介は転げるように扉の向こうに飛び込んだ。
「――っ、はぁっ」
 ユイと二人で床の上に倒れ込み、荒い息を吐き出す。肺が重い。激情に押されるように無理矢理走ったせいで、頭が酸欠を起こしてクラクラする。
「……あっぶねえ」
 後から入ってきたマスターが慌てたように扉を閉める。バタンと大きな音が響いた後、マスターが小さく呟くのが聞こえた。
「あんた達、大丈夫?」
「………………」
 しばらく扉を押さえていたマスターが、様子を伺うように声を掛けた。だが亮介もユイも、すっかりと息が上がってしまっていて、ひと言も発することができない。そんな二人の状態を眺め、マスターはふうと息を吐いた。
「……今、水を持ってくるからちょっと待ってなさい」
 マスターが苦笑交じりにそう言って通り過ぎていくのを、亮介はぼんやりと見送った。仰向けに白い天井を見上げながら、隣に意識を馳せる。ユイの方からも、自分と同じくらい荒い呼吸音が聞こえてくる。廊下の奥からは、ガタガタと荷物を漁るような音が聞こえた。
「――ほら、二人とも。とりあえず水飲んで落ち着きなさい」
 数分ほど、ただ転がっていただろうか。ようやく戻ってきたマスターの声に、亮介は首だけを回してそちらの方角を眺めた。マスターが水のペットボトルを二本、床に置く。
「……あっちはどうなったかしら」
 マスターが気遣わしげに扉の方を見やるのとほぼ同時に、かちゃりとドアノブが回る音がした。
「お待たせ、終わったよ」
 扉が開いて、声が聞こえる。
「良かった、無事だったのね」
 ほっと息を吐いて、マスターが戸口へと向かいながら亮介の方を振り返る。
「ちょっと店の方見てくるわ。戻るまで、その部屋にいてちょうだいね」
 そう言い残して、向こう側へと姿を消した。パタンと小さな音がして、室内に静寂がやって来る。

 静かだ。
 ユイと自分の呼吸する音だけが耳に届く。その音が段々と落ち着いていくのを聞きながら、亮介はゆっくりと上体を起こした。
「……」
 手を伸ばしてペットボトルを手に取ると、亮介はそれをごくごくと一気に飲み下した。冷たい水が疲れた身体に染み渡る。
「ユイ……大丈夫?」
 少し迷ってから、亮介はこちらに背中を向けて横たわっているユイに声を掛けた。ピクリとその肩が揺れる。
「あの――」
「……なんで助けたの」
 ぼそりと発された低い声は、叫んでいたせいで掠れてしまっていた。けれどそのどこか尖った声に、亮介は言葉に詰まる。
「……前は、俺、逃げちゃったから。でも……、その後めちゃくちゃ後悔して。だから、今度は……同じ事をしないようにって、思って……」
 初めて言葉を話す子どものように、たどたどしく亮介は話した。ひと言ひと言、自分の思いを表す言葉を探しながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。
 背を向けたままのユイは、何も言わない。どんな表情をしているのかも、亮介からはうかがい知れない。
「…………あの時は、ごめん」
 静かに亮介は言った。
「謝っても許してなんかもらえないだろうけど、でも……、ごめん」
 亮介の絞り出すような謝罪に、しかしユイは何も言わなかった。
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