24.静寂(しじま)②

文字数 2,425文字

 ゆっくりと片腕を伸ばしながら、その方向へと上体を捻る。その動きが導く、ゆるりとした回転に合わせて片足を上げる。ふ、と息を吐きながら上体を倒し、片手が床に着くと同時に重心を移動させ、残ったもう片方の足のつま先も床から離す。
 指先から足の先まで。身体全体に意識を綿密に張り巡らせ、呼吸を統御する。舞うようにゆったりとした動きで型をなぞりながら、筋肉の動きを、関節の可動範囲をひとつひとつ確かめる。
 指先は、つま先は伸びているか。呼吸は絶えず巡っているか。
 そうするうちに、いつしか雑念は払い落とされ――意識がキンと研ぎ澄まされる。あるのはただ、自分だけだ。先程まで胸の中を荒れ狂っていた雑然とした思いが凪いで濾されて、徐々に思考がクリアになっていく。

 そんな友香を、睦月は壁際に腰を下ろして眺めていた。
 緊急に開かれた長官会議の後、睦月は新しく手に入れたバルドの力の扱い方について、友香から指導を受けた。その後、もう少し自主練をするという友香を残し、睦月は更衣室で着替えを済ませてから武練場に戻った。それから数十分ほど。睦月が戻ってきたことにすら気付かず、一心に身体を動かす友香を睦月は眺める。

 一通りの型をなぞり終えた友香は、徐々に速度を上げながら同じ型をなぞる。先程確認した動きを、筋肉の使い方を、関節の角度を、呼吸を一つたりとも損なわぬよう、研ぎ澄まされた意識で確かめながら。伸ばした腕は鋭い突きに。上げた足はしなやかな蹴りに。流れるように上体を反らせば、回転を掛けながらつま先がひゅんと風を切る。
 ゆったりとした優雅な動きは、スピードが乗るにつれて徐々に鋭く重くなっていく。その一切の邪念を取り去った迷いのない動きは、ただ純粋に綺麗だと睦月は思う。神楽のように神聖ささえ感じさせるその一連の動きに、睦月は見入った。
 こういう集中の仕方もあるのかと、そんな思いが過った。
「――?」
 武練場の扉が開く音に、睦月はそちらへと視線を向けた。
 開いた扉の外からふたつの顔が覗く。一瞬、友香に引き寄せられた視線が、ややあって、ゆっくりと睦月の方に向いた。何度か顔を合わせたことがある、監察部の副官――ロン・セイヤーズとハリー・オコーネルだ。
「――よ」
 音もなく睦月の横までやって来た彼らは、口元に指を当てるジェスチャーをしてから、口の動きだけで睦月と挨拶を交わす。友香は気付いた様子すらなく、一心不乱に演舞を続けていた。
 そのまま、三人で壁際に腰を下ろして友香の動きを眺めること、しばし。
「――何かあったか?」
 そっと――囁きよりも小さな声でロンが訊ねた。
「ん、ちょっとね」
 頷くに留め、睦月は言葉を濁した。この二人が友香と親しいことは知っているが、司令部のメンバーではない彼らにどこまで事情を伝えていいものかどうか、睦月には判断がつかない。
 だがそんな曖昧な答えにも、二人は納得したように頷いて、ゆっくりと立ち上がる。友香に声をかけるのかと思いきや、おもむろに準備運動を始めた。
 その間にも、友香の動きはさらに速度を上げていく。単純な型を追っていただけの動きが、いつしか複雑になっていた――まるで目の前の敵に対応しているかのように。重力すら感じさせない、しなやかで軽やかな動きで、友香の手が足が空を斬る。
 まるで野生の鳥のようだと、睦月は思った。
「――よっしゃ、手合わせすんぞー」
「ふゃっ!?」
 準備運動を終えたロンが発した唐突な声に、友香がビクリと跳び上がり頓狂な声を上げた。
「……ろ、ロン?」
「おう」
 ばっと振り返った視線の先に旧友の姿を見つけ、友香が目を丸くする。次いで、視線を動かした先にハリーと睦月の姿も認めて、友香はぱちぱちと瞬きをした。
「ハルも。睦月まで?」
「や。集中してたねえ」
 ひらひらと手を振るハリーに手を振り返しながら、友香は壁際に置いていたタオルを取り上げる。
「睦月、もう帰ったと思ってた。待たせてた?」
「ん? そういうわけじゃないよ。帰りがけに覗いたついでに見学させてもらってただけ」
 嘘ではない。一度着替えた後、そっと戻ったのは事実だ――その理由が、彼女の様子を気にするよう、アレクに頼まれていたからだとしても。
「いろんな集中の仕方があるんだと思って、勉強になったよ」
「えーやだな、恥ずかしい」
「何を今更」
 汗を拭いていたタオルで顔を隠す素振りをした友香の反応に、呆れたようにロンが返す。
「お前、散々俺らに見せてんじゃねえか」
「ロン達と睦月は違うんですー」
「ほーお? どう違うのかご教示願えますかね?」
「はいはいはい、そこまでー」
 パンパンと手を鳴らして、ハリーが間に入る。
「ローン。しょうもないとこで妬かないの」
「……んなんじゃねえし」
 一段低い声でぼそぼそと囁きあうやりとりが睦月の耳に届く。へえ、と思わず出歯亀気分になってしまうのは否めない。旧友達が何か話している状況に、当の友香が全くもって無関心な様子なのも、なんというか――まあ、興味深い。
「ま、いいや。手合わせしようぜ」
「私?」
 ロンの言葉に、水を飲んでいた友香が首を傾げる。
「おう。リハビリに付き合ってくれよ、公安長」
 にっと挑発的な表情を浮かべるロンに、友香もまたよく似た表情で口角を上げる。
「お相手つかまつりましょ。睦月はどうする?」
 水筒を床に置きながらの問いに、睦月は首を傾げた。
「そうだなあ、見学したいところだけど……そろそろ帰らないと」
 明日も大学の授業があるし、何より使い慣れない力を使った反動か、先程から瞼が重くなってきた。このままでは、彼らの手合わせを見ている間に寝入ってしまいそうだ。
「そう? それじゃ気をつけてね。何かあったらいつでも連絡して」
「うん。お疲れ様、またね」
 立ち上がると、睦月は荷物を持って戸口へと向かう。
「――指揮官には、僕らといるって伝えといてね」
 すれ違い様、そっと囁かれたハリーの言葉に、バレていたかと睦月は苦笑した。
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