第7章 胤①

文字数 2,473文字


 不意に白光が降り注いだ。
 夜を昼に変えるほどに強烈なそれは、友香たちを襲っていた触手を一瞬で分解すると、闇の本体に向かって降り注いだ。鋭い刃物のような速度で降る光が、なおも膨張しようとする闇の表面を次々に削り落とし、分解し、消失させる。
 やがて、どろどろとした実体を持っていた闇は、まるで砂のように跡形もなく崩れ落ち、泡のように消え失せていく。薄らいだ闇の中に、気を失った少女の姿が見えるようになるまで、それほど時間はかからなかった。

「これは……」

 この光には、見覚えがある。友香は光の射す方を振り仰いだ。

 上空に、人影が浮いているのが見える。
「睦月……」
 闇があらかた霧散したところで、白光は不意に収束した。

 纏っていた闇が消え失せて、少女の身体が崩れ落ちる。
 とさり――と、まるで人形のような、重みのない音がした。

 上空に浮いていた人影が、ゆっくりと降りてくる。
「何や、一体……?」
 呆然と直人が呟いた。
 驚嘆のこもった視線をものともせず、降りてきた人物――萩原睦月――は屋根の上に倒れた「闇の者」の少女に近づいた。

 その身体からは、まだ消し炭のように薄い闇が立ち上っている。
 くたりと意識を失ったままの少女は、元々小柄な肢体がさらに一回り小さくなったように見えた。

「睦月……じゃない、ですね」
 友香の声に、睦月の姿をした人物は振り向いた。
「――この間の娘か」
 それは、友香とリン、どちらに向けた誰何だったのか。
 曖昧に頷いて、友香は言った。
「ええ。……残念だけど、あなたの伝言は向こうに通じていないようです」
「そうか」
 頷いて、彼はリンの身体を仰向けに返した。

 彼がその眉間に指をかざすと、リンの白い額に黒いしみがうっすらと現れる。やがて体が棘を自然に排出するように、眉間から黒い欠片がせり上がり、ぽとりと落ちた。
「…………?」
「闇の胤という」
 物問いたげな視線を感じたのか、それを摘み上げ、彼は答えた。

 身体にうっすらと纏った白光。落ち着いた口調と仕草。
 その口から紡がれる言葉は、やや古めかしいものの、間違いなく精界の言語だ。

 これまで観察してきた人物とは明らかに異なるその様子に、直人と京平は不審げに眉を顰め、上官に視線を送る。
 それを目顔で留め、友香は相手に先を促した。
「かつて、セルノが世界を闇で覆わんと作りだしたものだ。だが――」
 指先に乗せた黒い欠片を眺め、睦月――バルドは続ける。
「闇の胤の製法は、セルノしか知らぬ。
 ……継承者たるセルノにしか作れぬ、と言った方が良いか」
 その言葉に、友香は眉を顰めた。
「それは……彼が既に復活している、という意味ですか?」
「……そうだな。あるいは」
 言葉を切り、バルドは目を上げた。
「セルノの身体を削ったのかもしれぬな」
「セルノの身体……って」
 友香の戸惑いがちな声に、バルドは頷いた。
「我々の身体から転じた宝玉だ。あれからこの胤を削り取ったのかもしれぬ。
 だがそうでないなら、あやつが既に器を得ているのかもしれぬ」
 淡々と答えるバルドの横顔からは、いかなる表情も読みとることが出来ない。
「闇の胤……と言いましたね。それは何なのです?」
「言っただろう。闇を生成するための媒介だ。人の子に埋め込むことで、その者の闇を吸収し成長する。
 効果は――今、身をもって知ったな?」
「人の身体に埋め込んで、闇を吸収する……?」
 バルドの、そして自分の口にしている事柄の恐ろしさに、友香の声が震える。
「そうやって……あれを作ったと? この子の身体から?」
 対照的に、彼女と、そしてその部下達の視線を受けて頷くバルドは、淡々とした表情を浮かべていた。
「そうして精製される闇は、極めて密度が高い。光を討つにはこれ以上ないほどにな」
 言葉とともに、彼の手が仄かに光る。
 その掌中にあった漆黒の欠片は音もなく霧散した。
「この子は……」
 そっとリンの身体を抱え上げ、友香はバルドを見上げる。
「命に別状はなかろう。ただ、精神力を搾り取られている、しばらくは動けまい」
 そう言うと、バルドは立ち上がった。


 睦月は、徐々に現実感を増していく世界を感じていた。
 誰かの視点で撮られたフィルムを見ているようだった視界が、徐々に自分自身の視界――自分自身の感覚に重なっていく。

 空気の匂い。
 残暑のなま暖かい夜気が、妙にリアルに感じられる。

 目の前には4人の人物がいた。
 意識を失って倒れた少女。
 その傍らに膝をついてこちらを見上げている娘。
 不審な表情でこちらを窺う、自分と同じ年頃の青年が二人。

 女性たちには見覚えがある。
 前にも会ったことがある、と睦月は思った。

 ――どこで?

 咄嗟に思い出すことが出来ず、彼はおぼろげな記憶の糸を辿った。
 暗い森。
 湖と砦。
 どこまでも広がる田園地帯の夜明け。
 そして――。

 思い出した。
 倒れた時に見た夢の中だ。
 やけにリアルだった、あの夢。

 ――それじゃ、これはあの夢の続き?

 そこまで考えて、睦月は気付く。
 倒れているのは、今日の昼に路地裏で消えた、あの少女だ。

 ――それじゃ、これは現実の続き?

 頭が混乱する。
 何が現実で、何が夢なのか。

「あなたに――訊きたいことがあります」
 膝を突いてこちらを見上げた髪の長い娘が言った。
 ――何て名前だったっけ。
 記憶を探る睦月自身の意思とはまったく無関係に、口が動いた。
「悪いが、時間がない。この体の主が目を覚ました」
 耳に届いたのは、間違いなく聞き慣れた自分の声だった。

 奇妙な違和感。

 自分は話していないのに、自分の声が聞こえる。
 聞き覚えのない言語なのに、何を言っているのか理解できる。

「待って、お願い!」
 呼び止める中山友香――そうだ、そんな名前だった――に、再び自分の声が返すのを、耳が拾う。
「セルノを――その力を利用せんとする者らを止めよ」
「だから! 待って!」
 必死の面もちでこちらに呼びかける彼女の声と姿が、ほんの一瞬揺らぐ。
「――バルド!」

 ――ああ、その名前は知ってる。

 そう思ったのを最後に、睦月の視界は暗転した。
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