24.静寂(しじま)③
文字数 1,878文字
「――で?」
問いかける唐突な声に、友香は汗を拭いながら首を傾げた。
ひとしきりロンと、それからハリーと、さらには組み合わせを変えつつ二対一での手合わせを数回済ませたところだ。
「何かあったんだろ」
不思議そうな表情を浮かべる友香に、溜息を吐いてロンが問いを重ねる。その言葉を聞いて、友香はああ、と苦笑した。
「バレてた?」
「あれだけ周り見えなくなってれば、さすがにね」
「むしろ何でバレてねえと思ってたんだ」
旧友達が呆れた表情を浮かべるのを眺め、友香は嘆息する。彼らとの付き合いも、間もなく二桁に突入する。候補生時代の日々を共に過ごした仲間達の目を誤魔化すことなど、できるわけもない。
「……だよねえ」
「で? 俺らには話せないことか?」
ロンの問いに友香は小さく首を横に振る。それから上目遣いでロンを見上げ――その表情にロンが僅かにたじろいだのには気付かないまま――、口を開いた。
「……紫月と交戦した」
別に、箝口令が敷かれるような機密事項でも何でもない。むしろ、紫月の監察襲撃時に応戦した彼らには告げておく必要もある。
さらりと告げた言葉に、今度はロンとハリーが瞠目した。
「――大丈夫だったの?」
先に訊ねたのはハリーだ。気遣うようなその声に、友香は頷く。
「情報長も一緒だったからね」
そう言って、友香はふふ、と笑った。
「ロンに怪我させた分位はやり返したかったんだけど、追い詰めたところで逃げられ――ふぁひふふほ」
「うるせえよ」
眉を寄せた険しい表情で友香の鼻を摘まんだロンが、睨めつけるように顔を寄せる。
「てめーな、その笑って誤魔化すクセ治せっつてんだろーがよ」
「相変わらずだねえ、君は」
揃って呆れた表情を浮かべる旧友達に、友香は困ったように眉尻を下げた。
「ほんと、もう……」
目を伏せて、口元に小さな苦笑が浮かぶ。その頬に、ロンが指先を伸ばしかけ――微かな逡巡の後に向かう先を変えて、頭にそっと載せる。
「その様子だと――やっぱり、お兄さんだった?」
「……分からない」
小さく首を振って、友香は答えた。
「少なくとも、見た目は兄さんに間違いないと思った。けど……、中身は違った、と、思う」
「よく似た別人てことじゃなくて?」
心配そうに訊ねる二人に、友香はそうじゃない、と応じる。
「けど、15年も経てば、顔だって変わるだろ?」
「兄さんにはね、この辺りに――」
と、友香は自らの髪を掻き上げて左のこめかみを示した。つい数時間前、会議の席でも同じ話をしたことを思い出しながら。
「大きな傷跡があるの。それが、あの人にもあった」
それは、兄妹が今の養父に出会う直前の出来事だった。まだ幼かった妹が、通りかかった男達にさらわれかけた。それに抵抗した兄が、酷く殴られて怪我を負ったのだ。そこにもし、今の養父が通りかからなければ、兄は殺されていただろうし、自分もどうなっていたか分からない。
友香自身には全く記憶のない、幼い頃の出来事だ。けれど、兄のこめかみに残っていた痛々しい大きな傷跡なら、何度も見て覚えている。
紫月との交戦中、手にした旋棍が彼のサングラスを弾き飛ばしたあの瞬間。友香は確かに、記憶と寸分違わぬ傷を男のこめかみに確認した。
「だから、外見の特徴が兄さんと同じなのは間違いない。でも、あの人は私のことを知らなかった」
あの時、男は明らかに、友香とは初対面のように振る舞っていた。だが、途中から唐突に、友香の名を呼びだしたのだ――完全なる他人の口調で。
それはまるで。
「……どこかから『妹がいる』っていう情報を引き出したみたいだった。それに、あの人は自分自身の事を『この男』って言ってた」
「……」
「『この男は死んだ』って……言ってた」
ぽつりと零れた言葉。
ロンが友香の頭に置いていた手を後頭部へと回し、小さな頭をがしがしと撫でた。その多少荒っぽい手の動きに文句を言うこともなく、友香はされるがままに俯く。
「……おつかれさま」
ややあって、労るようにハリーが声をかける。うん、と小さく友香が頷いた。
「よっしゃ、着替えたら飲みに行くか」
沈黙を断ち切るように、静かな声でロンが言う。
「私飲めないよ」
「こういうときは飲んじまえ。酔ったら連れて帰ってやるよ」
「うっわ、ロンってばやーらしー」
「そういう意味じゃねえ」
わざと明るい声で混ぜ返すハリーを、ロンが睨み付ける。対するハリーは素知らぬ顔だ。
「今日はロンのおごりだってさー。友香ちゃん、何食べる?」
「お前は奢んねえぞ、半分払え」
「えー」
湿った空気を拡散させるように軽口を交わしながら、三人は武練場を後にした。
問いかける唐突な声に、友香は汗を拭いながら首を傾げた。
ひとしきりロンと、それからハリーと、さらには組み合わせを変えつつ二対一での手合わせを数回済ませたところだ。
「何かあったんだろ」
不思議そうな表情を浮かべる友香に、溜息を吐いてロンが問いを重ねる。その言葉を聞いて、友香はああ、と苦笑した。
「バレてた?」
「あれだけ周り見えなくなってれば、さすがにね」
「むしろ何でバレてねえと思ってたんだ」
旧友達が呆れた表情を浮かべるのを眺め、友香は嘆息する。彼らとの付き合いも、間もなく二桁に突入する。候補生時代の日々を共に過ごした仲間達の目を誤魔化すことなど、できるわけもない。
「……だよねえ」
「で? 俺らには話せないことか?」
ロンの問いに友香は小さく首を横に振る。それから上目遣いでロンを見上げ――その表情にロンが僅かにたじろいだのには気付かないまま――、口を開いた。
「……紫月と交戦した」
別に、箝口令が敷かれるような機密事項でも何でもない。むしろ、紫月の監察襲撃時に応戦した彼らには告げておく必要もある。
さらりと告げた言葉に、今度はロンとハリーが瞠目した。
「――大丈夫だったの?」
先に訊ねたのはハリーだ。気遣うようなその声に、友香は頷く。
「情報長も一緒だったからね」
そう言って、友香はふふ、と笑った。
「ロンに怪我させた分位はやり返したかったんだけど、追い詰めたところで逃げられ――ふぁひふふほ」
「うるせえよ」
眉を寄せた険しい表情で友香の鼻を摘まんだロンが、睨めつけるように顔を寄せる。
「てめーな、その笑って誤魔化すクセ治せっつてんだろーがよ」
「相変わらずだねえ、君は」
揃って呆れた表情を浮かべる旧友達に、友香は困ったように眉尻を下げた。
「ほんと、もう……」
目を伏せて、口元に小さな苦笑が浮かぶ。その頬に、ロンが指先を伸ばしかけ――微かな逡巡の後に向かう先を変えて、頭にそっと載せる。
「その様子だと――やっぱり、お兄さんだった?」
「……分からない」
小さく首を振って、友香は答えた。
「少なくとも、見た目は兄さんに間違いないと思った。けど……、中身は違った、と、思う」
「よく似た別人てことじゃなくて?」
心配そうに訊ねる二人に、友香はそうじゃない、と応じる。
「けど、15年も経てば、顔だって変わるだろ?」
「兄さんにはね、この辺りに――」
と、友香は自らの髪を掻き上げて左のこめかみを示した。つい数時間前、会議の席でも同じ話をしたことを思い出しながら。
「大きな傷跡があるの。それが、あの人にもあった」
それは、兄妹が今の養父に出会う直前の出来事だった。まだ幼かった妹が、通りかかった男達にさらわれかけた。それに抵抗した兄が、酷く殴られて怪我を負ったのだ。そこにもし、今の養父が通りかからなければ、兄は殺されていただろうし、自分もどうなっていたか分からない。
友香自身には全く記憶のない、幼い頃の出来事だ。けれど、兄のこめかみに残っていた痛々しい大きな傷跡なら、何度も見て覚えている。
紫月との交戦中、手にした旋棍が彼のサングラスを弾き飛ばしたあの瞬間。友香は確かに、記憶と寸分違わぬ傷を男のこめかみに確認した。
「だから、外見の特徴が兄さんと同じなのは間違いない。でも、あの人は私のことを知らなかった」
あの時、男は明らかに、友香とは初対面のように振る舞っていた。だが、途中から唐突に、友香の名を呼びだしたのだ――完全なる他人の口調で。
それはまるで。
「……どこかから『妹がいる』っていう情報を引き出したみたいだった。それに、あの人は自分自身の事を『この男』って言ってた」
「……」
「『この男は死んだ』って……言ってた」
ぽつりと零れた言葉。
ロンが友香の頭に置いていた手を後頭部へと回し、小さな頭をがしがしと撫でた。その多少荒っぽい手の動きに文句を言うこともなく、友香はされるがままに俯く。
「……おつかれさま」
ややあって、労るようにハリーが声をかける。うん、と小さく友香が頷いた。
「よっしゃ、着替えたら飲みに行くか」
沈黙を断ち切るように、静かな声でロンが言う。
「私飲めないよ」
「こういうときは飲んじまえ。酔ったら連れて帰ってやるよ」
「うっわ、ロンってばやーらしー」
「そういう意味じゃねえ」
わざと明るい声で混ぜ返すハリーを、ロンが睨み付ける。対するハリーは素知らぬ顔だ。
「今日はロンのおごりだってさー。友香ちゃん、何食べる?」
「お前は奢んねえぞ、半分払え」
「えー」
湿った空気を拡散させるように軽口を交わしながら、三人は武練場を後にした。