第15章 襲撃者の名

文字数 3,921文字

「襲撃をうけたのは一室のみ。拘留エリアへの被害、および結界の崩れはありません。副官が一名負傷しましたが、命に関わる怪我ではありません」

 翌朝。

 緊急に召集された長官会議の席での監察長アレン・ランブルの報告を、司令部の面々は難しい表情で聞いた。
「狙いは例の娘のみというわけか」
 情報部長官レオ・チェンが呟きながら、組んでいた腕を解いた。
「それで彼女は?」
「別の場所に移した」
 答えて、アレクが溜息を吐いた。
「……たった一人で、結界にかからず監察に乗り込める相手か」
 深刻な表情で呟いて頭を抱える。
「実際、それが一番の問題だな……」
「――その、侵入者に関する情報ですが。先程、監察の両副官から話を聞きました」
 一同を見回して、スキンヘッドの警備部長官キリク・サイードが口を開く。
「賊は一名。年の頃は三十歳前後の男性。身長175センチ前後で痩せ形。色眼鏡を掛けていたため、人相は明確ではないが、かなり危ない人物だという印象を受けたと」
 そこで一旦口を閉じたサイードの視線が一点で止まる。
「例の娘が、男の名とおぼしき言葉を口走ったのを、セイヤーズが覚えていました」
 厳しい光の宿った視線は、まっすぐに友香を見据えている。
 嫌な予感を覚えながら、彼女は眉を寄せた。
「なんて、言ったの?」

 彼女のその問いに警備長が答えるまで、たっぷりと間が空いた。
 ピリピリと――室内に電気が溜まっていく、錯覚。

 そして。
「――シズキ、と」

 重々しく放たれたその言葉に、友香の目がゆっくりと見開かれた。

 キン――と、空気が張り詰める音が聞こえた気がした。
 誰かが、ごくりと喉を鳴らす。

「…………確かなのか」
 低い声で訊ねたのは、アレクだった。
 掠れた声と、瞬時に深さを増した眉間の皺が、彼のただならぬ緊張感を如実に示す。普段、公的な場面では極力ポーカーフェイスを通す彼には珍しい反応だった。サイードと共に聴取に臨んでいたはずのアレン(兄)の方へと、そっと確認するような視線を向けると、アレンも微かに首肯する。
「そう聞こえたと。――公安長」
「…………っ、はい」
 呆然とした風情で立ち尽くしていた友香が、サイードの声にビクリと顔を上げる。
「貴殿には、異父兄がいたな?」
「…………ええ」
「名は?」
 既に判っていることを敢えて問う口調に、友香の瞳が揺れた。

 重く、長い間があった。
 
 困惑も露わな視線が注がれる中、彼女は震える唇を開いた。

 舌が凍り付いたように重い。
 一瞬にしてカラカラに渇いた喉からは、かさついた音が漏れる。

「し……静生。しずき、よ」
 掠れた小さな声が、静まり返った室内では大きく響く。
「そう、今回の侵入者の名と同じ音ですな」
 詰問口調で告げられた言葉に、友香が唇を噛みしめる。
「……それが、侵入者の名前だと確定したわけではないんでしょう?」
 わざとそれを断定した相手の意図を読み、友香は眦をけっして警備長を睨み付けた。
「状況から鑑みて、全く関係のない言葉を口走る可能性は低いと考えるが、いかがか?」
 彼女の反論をぴしゃりとはねのけ、サイードは念を押す。

 しばし睨み合った後、ふう、と息を吐いて友香は肩の力を抜いた。

「……そうね」
「貴殿の兄君は闇との混血だったと聞くが、事実か」
「…………その、通りよ」
 何かに耐えるようにぎゅっと目を瞑り、再び目を上げて、絞り出すように答えた声は震えていた。
「14年前に失踪したと聞いているが、その後も関係が続いているということは?」
「ないわ」
「嘘ではないな」
 眼光鋭く警備長は、彼女に問いを重ねた。
「貴殿が内から手引きをしたとすれば、賊がやすやすと侵入したことにも納得がいくのだが」
 言い逃れを許さない厳しい声に、友香は血の気を失った唇を固く噛みしめる。
「……そんなこと、絶対にしない」
 蒼白になった面を上げ、きっぱりと彼女は言い切った。
「信じられないなら……尋問してもらっても構わないわ」
 身体の両脇に下ろした拳は震え、ぎりぎりのラインで己を保っていることが明かな表情で、彼女はサイードを睨み返す。

「――それならば、私もだね」

 誰一人、口を挟むことのできない張り詰めた空気を破ったのは、アレンの静かな声だった。
「彼は、私の――私と指揮官の、従兄弟にあたる。私は静生と同い年で親しかったし、監察長の私なら、彼女以上に手引きすることも容易い」
 言葉の内容とは裏腹に、穏やかな声でアレンは言葉を継ぐ。「凪いだ海のよう」と評されるその静かな声に、ピリピリとしていた場の空気が緩み、流れ出す。
「先日、私があの子に彼の写真を見せたときには、何の反応もなかったんだけれど――まあ、14年も前の写真では、たとえ知っていてもわからないかもしれないね」
 小さく息を吐いて、アレンは弟に視線を移す。自分と同様に――いや、それ以上に複雑な心境に陥っていることは容易に想像がつくが、それでもこの場をまとめるべき最高責任者はアレクだ。
「指揮官――、どうします?」
 兄の声に、アレクは重く長い溜息を吐いた。
 内面を過ぎる多くの私情を退けて、最善の判断を下すのが彼の仕事だ。極力、友香の姿を視界に入れないよう意識しつつ、彼は口を開いた。
「――疑念は、結束を乱す。
 まして司令部内部に敵と通じている者がいるなどという疑いは、早々に潰しておくにこしたことはない」
 難しい表情で、彼は警備長を振り返る。
「警備長。この一件は警備部の管轄だ。納得のいくように調査するといい。俺でも副官でも公安長でも、必要があれば聴取しろ――」
 そこで敢えて一度言葉を切り、アレクは低い声で続けた。
「――ただし、穏便にな」
「……は。では」
 と、上官の言葉に頷き、サイードが一同を見渡す。
「この場で虚偽の証言をなさる御仁はいないと信用した上で、お訊きしたい。
 公安長の兄君の行方を知っている――あるいは現在も音信のある方は」

 しんと静まり返った室内に、その問いに応じる者はいなかった。

「では、今回の一件について知っている者。故意であれ過失であれ、外部の人間を監察に招き入れた者は」
 答える者はやはりいない。
「もしも今後、どなたかの関与が疑われた場合、正式な参考人として聴取させていただくことになる。
 心当たりのある旨は、今この場で告白していただきたい」
「――ていうかさあ」
 気まずい沈黙に口を挟んだのは、開発部長官レイ・ソンブラだった。
「空間移動術で逃げたってんなら、入ってきたのもそうなんじゃないの?」
「もちろんその可能性も考えてはいる。だが、そもそも空間移動術では監察の中には入れない筈」
 ぎょろりと目を巡らした警備長の眼光を柳に風と受け流し、変わり者で有名な開発長は、白衣の袖をいじりながら言葉を続ける。
「だからさ、それくらい高度な空間移動術か装置があるって考えられない? もしそうだとしたら、ボクとしてはそっちのが気になんだけど」
「開発長らしいご意見ですわね」
 ころころと、その隣に腰を下ろしていた医療長マリアム・ナゼルが微笑む。
「先程指揮官も仰ってましたけど、とりあえず、侵入者の身元よりも心配なのはそちらですわ。ねえ、経理長?」
「え、ええ……もし、こ、こちらに侵入されたら……」
 不意に話を振られ、おどおどと経理長ルイーセ・リンドバーグが頷く。
「まあその場合は、我々が総出で迎え撃つしかないだろうがね」
 情報長までが面白がって話に乗ってくる流れに、サイードは眉間にしわを寄せた。
「……それは分かっている。その上で、それ以外の可能性を問うているのだ」
 居並ぶ長官たちの顔を一人ひとりじっくりと見つめてから、サイードは重々しく溜息を吐く。
「…………どなたもご存じないと言うことでよろしいな」
 しばし間を空けて皆の反応を確認し、サイードは次にアレンに目を向けた。
「監察長、例の娘からも聴取したいと思うが、よろしいか」
「私か副官が同席の上でなら」
「これからすぐにお願いしたい」
「……あの子の心理状態が落ち着くのを待ちたいところだけれど、仕方ないね」
 苦笑混じりにアレンが頷く。
 それに一言礼を返し、サイードは友香に目を移す。
「――公安長」
 同僚達の軽口の間にも、俯きじっと身を強張らせたままだった彼女が、その声にゆっくりと目を上げる。硬い表情。平静を保つのが精一杯であることが傍目にも明かなその顔色を見つめ――、警備長は静かにその禿頭を下げた。
「不躾な質問をした。貴殿を貶めるつもりはなかったが、すまない」
「…………大丈夫、わかってます」
 先にアレクが言ったとおり、内部に疑念を蔓延らせないためなのだろうということは友香にもわかっている。頑固で融通の利かない、だが組織の和を重んじる警備長らしい手だと、平静に戻れば笑えるだろう。
 けれど今は――、強張った口角を不器用に持ち上げ、ぎこちない微笑を浮かべるのが精一杯だった。
「後ほど、兄君の失踪時の状況をお聞かせ願いたい。よろしいか」
「……ええ」
 頷き、友香は大きく息を吸った。
 腹の中に――――重たい石があるようだ。
「……もし、今回の侵入者が本当に兄だったとしても」

 自分に集中する仲間たちの目を見るのが怖い。
 その目に不信が浮かんでいるかもしれない、それを見るのが――――たまらなく、怖い。

 震えそうになる声を必死に保ち、友香は言葉を続ける。
「私が、兄に荷担するようなことは決してありません。けれど」

 自らの恐怖心を押し留めながら一同を見渡した視線が、部屋の中央、指揮官(アレク)の座席で止まる。

「私の存在がもし、司令部に疑念を生むようなことがあるなら――私の任を解いて下さい」

 きっぱりと言い切った彼女に、場の空気がざわついた。

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