1.長官会議

文字数 3,286文字

「それで、リンの記憶の件はどうなった?」
 定例の長官会議の席、そう切り出したアレクに、レイが頷いた。
「とりあえず、上に掛かってた術式は解呪したよ。やっぱり下にもうひとつの術式があった」
「そっちは解かなかったの?」
「そぉ、れ、が、さぁ~……」
 と言葉を溜め、レイはにんまりとした笑みを浮かべる。
「これまで見たことのない術式なんだよ。こないだのとは明らかに別人の作」
 ふふふ、と含み笑いを漏らしながらレイは両手を広げた。
「レイが知らない術式なんてものがあるのか」
 小躍りしそうな彼の様子に苦笑を漏らしながらも、心持ち眉を寄せてアレクが呟いた。

 開発部は、その創設以来、術式に関する研究開発を続けてきた。
 その現在の長であるレイは、自身も古今あらゆる術式に精通している。普段の彼は人界の電化製品の方に夢中で、それを精界で応用するための技術開発に軸足を据えているきらいがあるが、開発長本来の職務である術式の解読と構築に関して、彼以上に博識で分析力のある者はいない。

「そうなんだよ! 構成式の組み立て方からして、僕らの知ってる術式とは別ものだね、あれは」
 目をらんらんと輝かせて、レイが力説する。
「昨日解呪した術式は、僕らが普段使う理論を基礎にしたものだ。だけど今回は、まずひとつひとつの構成式の意味から解析していかないといけない。こないだの比じゃないね、ほんと困っちゃうよねえ」
 台詞と表情がこれほどまで一致していないことがあるだろうか。未知の理論の存在について、興奮気味にまくし立てる開発長に、一同が揃って苦笑を浮かべる。
「ということは、『(あちら)』とは術式の発達系統が違うのかもしれないのか」
 なるほどといった様子で頷いたのはレオ・チェンだ。

 この世界を分ける二つの血族――「光」と「闇」は遠い昔、セルノの乱の鎮圧とともに、その活動領域をほぼ完全に分けた。
 世界の真ん中に位置する広大なミシレ湖を中立地帯として、大まかにその右岸が「闇」の活動領域、左岸が「光」の活動領域となっている。地上をぐるりと横断した反対側の接点には、これまた広大な樹海が横たわっている。
 そのため、一部の例外を除いて、「光」の一族と「闇」の一族が接触することはほとんどない。
 特にミシレ湖から遠ざかり樹海に近づくほど、両者が接触する機会も少なくなる。だから、光と闇が不干渉となってからの数千年の間に、術式の構成理論が全く異なる発展を遂げていたとしても――あるいは既に「光」の陣営では失われた古の術式がそのまま維持されていたとしても、何ら不思議ではない。

「禁術の類ってこともあり得るからね。これに関してはしばらく時間を掛けて調べさせてもらうよ」
 今すぐにでも研究に戻りたいのだろう。うずうずと期待を抑えきれない様子のレイに、アレクは頷いた。
「ああ、それはもちろん頼む。それで――」
 と、アレクは兄でもある監察長へと水を向ける。
「肝心の記憶の内容は分かったのか?」
「いや。催眠の影響で、彼女が目覚めたのが昨夜遅くてね。話はまだ聞けていない。ただ、オコーネルが言うには、目覚めたとき、彼女はひどく打ちひしがれた様子で泣いていたそうだよ」
「…………そうか」
 やはり何かしら、彼女にとって良くない記憶が封じられていたのだろうか――しかしそうだとして、紫月がそれを封じようとした理由が分からない。二重に術を掛けようとしたくらいだ、きっとそこに意味はあるのだろうが。
「慎重に様子を見てくれ。もし動きがあるようなら報告を」
 アレンが頷いたのを皮切りに、議題が移る。今度はレオが立ち上がった。
「私からは、今回のセルノ復活を企図している一派についての報告を」

 書類に目を落とし、それから一同を見渡してレオは続けた。
「――首謀者と目されているのは通称「嵯峨」と呼ばれる女です。『闇』側の統括は地域ごとに幾つかの家系に分かれてますが、その中でも最も有力な家の当主だとか。4年ほど前から、次々に他家を傘下に下らせて勢力を拡大しているようですね」
 ぱらり、と報告書を捲り、情報部長官レオ・チェンは続けた。
「結構、強引な手も使ってますね。傘下に入ることを拒んだ家がいくつか潰されています。その他にも真偽は不明ですが、黒い噂もかなり――詳細は、そちらの資料に」
「……相当、攻撃的な人みたいですね」
 資料に視線を落としたまま呟いた佳架に、レオは頷く。
「ええ。そもそも、彼女が家督を相続した経緯にも、かなり不審な点がありますからね。その分、反感を持つ者も多いようですから、突き崩すならその辺りかと――まあ、それはともかく」
 と、彼はページを捲った。

「いくつか気になる情報も入ってきてます。
 まず同じく4年ほど前に、あちらの『命の灯』を管理していた一族が、一晩の内に相次いで殺害される事件が起きています。それが、ちょうど嵯峨の家督相続と同時期なんですが――その際に闇の『命の灯』が奪われ、以来、行方知れずだとか」
「……おいそりゃ幽界に報告案件じゃねえか」
 ソファに転がった姿勢で目をつぶっていた影が上体を起こして唸った。
「当然ながら、報告は上がってないようですよ」

 『命の灯』は、光と闇のそれぞれの陣営がひとつずつ管理している。
 それぞれに(バルド)(セルノ)の継承者の力が移されており、万が一、壊れたり不具合が生じたりすれば、三つの世界はバランスを失って崩れ去ってしまう。
 だからこそ、「光」と「闇」の両陣営は各々『命の灯』を管理する責任者を定め、これまで丁重に扱ってきた――はず、だった。
「確か、リンに使われた『闇の胤』とやらは、セルノ()の『命の灯』を削ったものだろうって話でしたよね」
 口元にあて、佳架が呟く。
「ということは、おそらく嵯峨の手元にある――と、考えていいだろうな」
「削られてますけどね」
「……」
 険しい表情を浮かべ、アレクは溜息とともにレオに続きを促す。
「その一族には当時まだ11歳の娘がいたそうで、その子が唯一の生き残りだとか。その娘の名が『リン』とのことです」
「……あの娘だろうね。年頃も合う」
 呟いた副官アレン・ランブルの声に、レオは頷いた。
「ええ、おそらく。ひとりだけ生き残った娘を、嵯峨がひきとったということでしょうね。おそらくは『命の灯』を管理する上で、管理者の血族を全て消すわけにはいかなかったのではないかと」
「一族を虐殺した犯人は分かっていないのか」
「残念ながら。ただ、どうやら嵯峨とその周辺は『ランブル(我々)』の仕業だと吹聴しているようですね」
「確かに、そんなことを言ってたわね」
 セルノの廟に赴いたとき、リンは確かに、アレクを彼女の両親殺害を指示した主犯だと名指ししていた。
 あの時、アレクはその件についても必ず調べると約束した。あれから間もなく5ヶ月が経過しようとしている。
 まだ――約束は果たせていない。
「……レオ。その事件についても調べられるか?」
 アレクの言葉に、レオはそうですね、と口元に手を当てる。
「かなり時間が経ってますので、少し時間がかかるとは思いますが……」
「それは構わない」
「わかりました。あちら側の協力者とも連携して探ってみます」
「ああ、頼む」
 頷いたアレクに、レオは再び手元の書類に目を落とす。

「次に――例の『シズキ』の件ですが」
 その言葉に、場の空気がぴりりと緊張感を孕む。
 友香の顔がわずかに強ばった。
「嵯峨の側近のひとりに、紫の月と書いて『紫月』と呼ばれる男が確認されています。目撃情報とも一致しますし、おそらくこの男ではないかと」
「――その男の素性は」
 指揮官の低い声に、「それがですね」とレオは眉間にしわを寄せる。
「名前や見た目以外、詳しいことは全く不明です。嵯峨が実権を握った後、いつの間にか彼女の側近になっていたとか」
「……胡散臭いな、まったく」
「結局、本人に当たるまで分からないってことですか」
 溜息混じりに、アレンと佳架が口々に呟いた。
「先日の件といい、この男の目的がいまひとつ分からないのが気になりますね。引き続き、調査します」
「ああ、頼む」
 微妙に痛む頭を抑えながらアレクは頷いた。
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