15.拡散①

文字数 2,588文字

 今日も、艶やかなネオンの瞬く夜の街を林田亮介は当てもなくぶらついていた。行く当てなどないが、家にいたくもない。今日は久々に父親が帰宅すると聞いたから――今頃は、両親の罵り合う声が家中に響き渡っている頃だろう。
 週末の街は平日よりもずっと賑やかだ。ゲームセンターを冷やかして、知り合いがいないかを探す。できることなら、今晩の宿を提供してくれる相手を。
「――あれ、リョースケ?」
 声を掛けられたのは、3軒目のゲームセンターを出たところだった。小腹が空いたので、コンビニで何か買おうと思っていた亮介は、足を止めて振り返る。見知った顔がそこにあった。
「? ああ、久しぶり――」
 亮介があの路地の常連になる少し前、居場所を求めていた頃に何度か話したことのある相手だ。確か亮介よりもいくらか年上立ったはずだ。24時間営業の店の前にたむろして、朝までくだらない話をしていたことを思い出す。
 路地の仲間たちと出会ってからは、あまり顔を合わせる機会もなくなったけれど。もはや慣れてしまった痛みが、チクリと胸を指す。
「最近見なかったな、何してたん?」
「うん、まあ、ふらふらしてた」
 嘘ではない。だがそんな亮介の言葉を冗談と捉えたのか、相手――名前が思い出せない――はアハハと過剰なほどに大きな笑い声を上げた。
 ――こんな笑い方をする奴だったっけ?
 その大げさな笑い方に、ほんの少しの違和感が残る。大分、酔ってでもいるのだろうか。
「――そういやさ、聞いた?」
 急に声のトーンを落とした相手に、亮介は自然と耳を寄せる姿勢になる。
「何か最近、この辺に化け物が出るって話」
「……!」

 ――アイツだ
 あの、バケモノ。真っ黒いコールタールの塊のような、

が。

「急に現れて、人を食うんだってさ」
 脳裏にあの夜の光景が蘇る。
 意図せず、ぎょっと身を退いた亮介の反応をどう捉えたのか、相手の青年はまた大声で笑った。
「何? お前マジでビビってんの? 噂だよウワサ、そんなんホントの訳ねえじゃん」
「……あ、うん……だよな」
 内心の動揺を笑顔で隠し、亮介は頷いた。
「……で、何なの、それ」
 訊ねたのは、彼の言い方が気になったからだ。「最近、この辺に出る」というそれは、まるで「何度となく出現している」様に聞こえるではないか。

 ――まさか、あの一回だけじゃないのか

 あの悪夢のような夜の出来事。
 目の前で呑み込まれたトオル。逃げ出した仲間たち――ユイを置き去りにした、自分。恐怖に泣き叫んでいた、ユイを。

 あんな地獄のような出来事が、繰り返し起きているというのか。この街で。
「なんだっけ、最初はどっかの路地って聞いたけど。それから、次が――」
「…………」
「一昨日も、どっかのライブハウスに出たって話だけど」
「……」
「あれ? どったん、リョースケ? ナニやっぱビビってんじゃん?」
 揶揄うような声に応じる余裕はもはやなかった。指折り数えられる噂も、途中からは耳を素通りするばかりだった。

 そんなにも頻繁に、あのバケモノが徘徊しているのか。トオルを呑み込んだだけでは飽き足らず、他にも何人も――?

「おい、リョースケ?」
 呼びかける声に、はっと顔を上げる。
「顔色悪いぜ、そんなに怖かったのかよ」
「あ、いや――」
 違う、と言いかけて、亮介は再び違和感にとらわれた。
 揶揄するようなニヤニヤ笑いが気に障る。こいつは、こんな笑い方をする奴だっただろうか。最善の疑問が再び脳裏を過った。路地の仲間たちのような居心地の良さはなくとも、ここまで人を逆なでするようなやつではなかったはずだが。
「なあ……」
「ああ、そうだ。これちょっと分けてやるよ」
 そう言って、彼はガサガサとポケットを探る。
「これこれ。一袋やるからさ、試してみろよ」
「――…………こ、れ……」
 取り出した小袋を見て、亮介は言葉を失った。
 ジッパーのついた小さなビニール袋の中に、いくつかの白いカプセルが入っている。
「これ……どこで」
「シヅキさんって人からもらったんだよ。最近ちょっと身体がダルいっつったら、タダでくれてさ。最近結構、この辺りじゃ話題になってっけど、知らねえの?」
 何の印字もない無地の白いカプセルに、既視感が湧き上がる。同じものを――よく似たものを、亮介は見たことがある。
 同時に――先ほどから抱いていた違和感の正体が、じわじわと霧の中から浮かび上がる。不安とともに。
「これさ、むちゃくちゃ元気になんだよ。あ、変なドラッグとかじゃねえし!」
 その台詞にも、聞き覚えがある。
 同じなのだ――あの夜のトオルと。言っていることも、手にした正体不明のカプセルも。そしてその不自然な陽気ささえも。
「あ、俺は……」
 ざり、と亮介は半歩、後ずさった。
「何だよ、ホントに変なクスリとかじゃねえんだって! 大体、無料でもらえんだから! ヤバいクスリなら、そんなこと絶対にありえねえじゃん!?」
 と強引に手を伸ばして、無理矢理手の中に小袋を握らされる。
「――――」
 変なクスリ――どころの話ではない。これは違法なドラッグと同じか――あるいはそれ以上に恐ろしい代物なのだ。亮介はそれを知っている。このクスリが使用者にどんな帰結をもたらすのかを、知っている。
 同時に、あのバケモノがこの辺りに出没する理由が胃の腑に落ちて、背筋がぞわりと泡立った。

に食われたトオルは、このクスリを常用しているようだった。そしてどうやら、このクスリはこの近辺に蔓延しているらしい。ある時は仲間内のSNSでひっそりと、またある時にはたまたまその場に居合わせた者たちの間で気軽に手渡され、そうして秘かに拡散しているのだ――アレを呼ぶとも知らずに。
「…………っ」
 不意に手の中の小袋が、得体の知れない感触に変わったように感じて、亮介はひっと喉を鳴らした。
 こんなもの、と今すぐに投げ捨てたいのに、その場を支配する奇妙な緊張感がそれを許さない。握りしめたその拳の内側で、ビニールがかさりと音を立てた。
「これ……おまえ、知らないのか」
 カラカラに渇いた喉から、無理矢理に掠れた声を絞り出す。だが、その声は周囲の喧噪に紛れて、届かない。
 ――どうしよう
 やめさせなければ。こんなクスリは捨てるべきだと伝えなければ。そう思うのに、言葉が出ない。

「――亮介?」

 第三者が自分を呼ぶ声が聞こえたのは、その時だった。
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