16.追跡者③

文字数 1,676文字

「さあて、足が止まってきたようだが?」
「あんた……、性格悪いって……、言われるでしょ」
 荒い息の合間に吐いたやけくその一言に、紫月は嘲笑を浮かべ、手元に闇を集め出す。
「くっそ、まだ、やる気…………」
 次は持ちこたえられるだろうか。いや、その前に術式を起動させることができれば。マスターもまた、意識を集中させる。

 一瞬の――――その静寂。
 電気を帯びたように、空気がピリピリと肌を刺激する。

 紫月の手元で、闇がぐんと大きく膨れ上がった。
 来る――とマスターは腰を落とし、身構える。タイミングは一瞬。それを逃せば、チャンスは二度とない。紫月の腕が上がる。闇を放つ――――その微かな予備動作を見逃さず、マスターは路地に仕掛けた術式のひとつを作動させた。結界術の一種だ。上手く動作すれば敵の攻撃を吸収し、そのエネルギーで紫月を路地からはじき出すことができる筈。

 紫月が闇の塊を放つ。
 それとほぼ時を同じくして、ビルの壁に、男が設置していた術式が浮かび上がった。ぽうと点る仄かな光は、術が発動した証だ。
 ――と、その力に連動したかのように、路地のあちらこちらから、いくつもの術式が光を発し始めた。それは互いに共鳴しながら広がり、一瞬で紫月を取り囲む。

「――――――――――――!?」
 
 紫月の放った闇は術式に阻まれ、マスターには届かない。それどころか、跳ね返されたエネルギーは、共鳴し合う術の内側に紫月と共に閉じ込められ、膨張していく。
「何だ!?」
 呟いたのはマスターだ。自分が組んだはずの術式とは反応が違う。これではむしろ――
「ち……っ」
 紫月が舌打ちする。同時に、その足下に転移術の術式が浮かび上がった。
 ところが。
 それを待っていたとでも言わんばかりに、紫月を取り囲む術式――マスター自身が組んだはずの、だがもはや明らかに予定外の動きをしているそれら――が、一斉に光り輝いた。
「――――ッ!」
 金色の光がパアアッと路地を照らす。暗さに慣れた目にはあまりにも明るいそれは、紫月が放った闇のエネルギーを吸い込み、さらに膨れ上がって紫月自身を包み込んだ。
「クソ……っ」
 闇の者であるマスターには直視できない強い光の向こうで、紫月が毒つくのが聞こえた。

 そして――
 光が収束する。何事もなかったかのように。
 薄暗さを取り戻したその場所に、紫月の姿は既になかった。

「…………」
 先程までが嘘のように静まりかえった空間に、男の荒い呼吸音だけが響く。
「んー、まだちょっと調整が必要だなぁ」
 茫然とシヅキの消えた空間を眺めていたマスターは、そののんびりとした声に、弾かれたように振り向いた。
「ちょっとあんた、何やったのよ」
「ん? ちょっとした実験?」
 レイが懐から呪符の束を取り出してぴらぴらと振るのを見て、マスターはがくりと肩を落とす。
「あの緊迫した状況で実験だぁ……?」
 人が命の危機に瀕しているのを横目に、何を悠長なことをしてくれているのか。恨みがましいその視線など柳に風のように受け流し、レイは紫月の消えた辺りまでやって来る。膝を屈めて地面を覗きこんだかと思えば、おもむろに手を翳し何事かを呟く。その途端に、地面から金色に光る術式が浮かび上がった。
「ふうん……なるほど」
 宙に浮かんだ術式をしげしげと眺め、レイは手元の呪符を翳す。すうっと術式が呪符へと吸い取られ――いや、写し取られ、消えた。それを眺め、レイはにんまりと口元を緩める。お世辞にも人の良い微笑ではない。
「何やってんの?」
「ん? シヅキが使う移動術式が知りたかったんだよね。追い詰めれば使うかと思って、この辺にあった防御式を利用してみた。ちなみにこないだもらった古文書に書いてあったのを、僕なりにアレンジしてみた新術なんだけど、聞きたい?」
「……いや、聞きたくない」
 ふふ、と書き写したばかりの術式を嬉しげに眺めるレイを見て、マスターは溜息を吐いた。訊けば、間違いなく延々と解説を始めるに違いない。マッドサイエンティストの考える事は分からん、と考えてから、自分もそう大差ないなと反省交じりに思い直した。
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