第4章 ≪ランブル≫①

文字数 2,479文字

「うわぁ……」
 目の前の光景に、睦月は思わず感嘆の声を上げた。
 農村地帯だ。きれいに整地された緑豊かな畑が広がっている。先ほどまで暗く湿った森の中にいた分、視界いっぱいに広がる大地の雄大さと色彩の鮮やかさに圧倒される。
「あそこが目的地だ」
 アレクが指さした先には緩やかな丘陵があり、その周囲を巨大な壁がぐるりと取り巻いているのが見える。そのふもとから今出てきた森の中に向けて、大きな川が蛇行しつつ流れている。
「少し飛ばすぞ。しっかりつかまってろよ」
「え――わっ!」
 言うが早いか、アレクが馬の横腹を軽く蹴り、馬が走り出す。慌てて睦月はアレクにしがみついた。
 二人を乗せた馬は飛ぶように駆けた。景色が瞬く間に過ぎ去り、あっという間に城壁が近づいてくる。遠くからでも巨大に見えた城壁は、近づいてみれば予想していた以上に巨大だった。高さは数十メートルに及び、緩く弧を描くその城壁は、一体どこまで続いているのか分からないほどに長い。その周囲には深い堀が築かれている。
「ここが『ランブル』――この世界の治安維持機関だ」
 スピードを落とし、城壁の外周に沿って馬を歩ませながら、アレクは肩越しに睦月を振り返る。
「俺から離れるなよ。おまえみたいな特殊事案が迷子になったら、ややこしいことになるぞ」
 にやりと人の悪い笑みを浮かべ、アレクが言った。冗談交じりの忠告を終えると、すっとアレクは前を向いて真顔に戻る。背筋が伸びると同時に、彼を取り巻く空気がグッと緊張したものに変わった。
 城壁の切れ目には堀を渡るための橋がかけられ、検問所とおぼしき小さな小屋の横に衛士が佇立していた。
 アレクは軽く言葉を掛けながら、その前を通り抜ける。
 先ほど睦月を追いかけてきた門番とのやり取りを見ていても思ったが、どうやら相当身分のある立場のようだ。
「――街だ!」
 門を抜けた途端、眼前に広がった景色に、睦月はそれまで考えていたことも忘れて叫んだ。そこには商店街とおぼしき広い通りがあった。
「治安維持機関」という言葉から想像していたのとは全く異なる、賑やかな城下町の風情に睦月は目を瞠る。既に傾き始めた陽光が、家々をほのかに赤く照らしている。
「ここはこの世界の中心でもあるからな。各地から人も物も集まってくる。今のおまえがふらつくと騒ぎになるから裏から行くぞ」
 中央の通りから裏道に抜けると、今度はいくつもの建物が連立する区画に入る。
 建物の間を縫うように作られた通路と中庭を抜けながら丘を登っていくと、再び、区画を分かつ壁が築かれていた。先ほどのものよりは低いものの、堅牢な造りであることは睦月のような素人でも一目でわかる。
「ここからが本拠地だ」
 先ほどと同じように検問を抜けると、それまでの生活感のあるエリアとは異なる風景が広がっていた。飾り気のない石造りの建物が建ち並ぶ通りを抜けた先で馬を預けると、最奥に位置する建物に二人は足を踏み入れた。
 ホールを抜け、階段を最上階まで上がったその正面に、重厚なつくりの両開きの扉がある。
「おかえりなさい」
 扉を開けた途端、部屋の奥から顔を出した青年が、アレクに声をかける。続いて、反対側からも別の声が聞こえた。
「早かったですね」
 そう言ったのは、睦月やアレクよりもいくらか年嵩の男だ。室内に入ってすぐ右手にしつらえられたコの字型の応接用ソファに腰を下ろしている。
「途中で運よく遭遇できたからな」
 そう言いながら、アレクは睦月を促してソファの方へと向かう。
「友香はどうした?」
「ついさっき、今から戻ると連絡がありましたから、そろそろ帰ってくると思いますよ」
 と言って、男は立ち上がり、睦月に右手を差し出した。アレクと並んでもまだ背が高い。2メートル近くあるのではないだろうか。
「レオ・チェンだ。よろしく萩原君」
 ここでも、睦月の名前は既に知られているらしい。握手を交わしているところに、奥にいた青年が盆を携えてやってきた。
「いらっしゃい。とりあえずお茶でもどうです?」
「睦月、佳架だ」
「柳佳架です。よろしく」
 優雅な所作に戸惑いながら、睦月は握手を交わす。ひどく造作の整った青年だった。優雅な所作と相まって、いっそ長身の女性のようにも見える。
「疲れただろう。もう一人来るから、それまで休んでてくれ」
 アレクがそう言って睦月が腰を下ろしたその時、こんこん、と扉がノックする音が響く。続いて、かちゃりと扉が開き。
「ただいま帰りました。指揮官、戻ってる?」
 入ってきたのは、8分丈のぴっちりとしたパンツとヒールの低いショートブーツを身に着けた大学生風の若い娘だ。
「あ、いたいた。萩原君も保護できたのね」
 顔を綻ばせながら、娘が寄ってくる。
「中山友香よ。ごめんね、あともう少し早く走ってれば、あなたがこっちに来る前に引き留められたんだけど」
「おまえが倒れるところに居合わせたのがこいつなんだ」
 アレクは睦月にそう言うと、友香の方を振り返る。
「それで、本体はどうなった?」
「報告しますね。彼の体は今、港北病院に入院中です。運ばれてからひとしきり検査したけど、現時点では異常はなし。ただ、このままなかなか意識が戻らないとなったら、もう少し丁寧に検査することになるでしょうね」
「ちょ……っと、待って!?」
 友香の言葉に、睦月は慌てて立ち上がった。
「僕が入院って……」
「本当よ、見る?」
 そう言うと、友香は鞄からスマートフォンを取り出した。画面を操作して、先ほど病院で撮影したばかりのデータを出す。
「ほら」
「……」
 提示された画面には、病院のベッドで眠っている人物が写されている。その顔は、ほかならぬ睦月自身だった。枕元に「萩原睦月」と書いたプレートがかかっているのもわかる。
「ね? ちゃんとあなたでしょう?」
「う、そ……、え、だって」
 目の前に提示された写真という証拠が、睦月を混乱に陥れる。
 否定したい気持ちと、いつしかこの一連の出来事に感じ始めた現実感とが同時に強まり処理しきれない。
「――まあ、落ち着け」
 そんな睦月の動揺を収めるように、アレクが声をかけた。
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