第13章 過去と現在

文字数 2,341文字

 カツ、と石造りの床を踏む音がする。
 闇色の室内。
 台座に安置された球体を見つめていた紫月は、ゆったりと振り向いた。
「嵯峨はどうした」
「嵯峨様は、現在お休みになられている」
 桎梏の闇に満ちた室内を、嵯峨の従者、影華はしずしずと進む。
「それで、如何用か」
「――面倒なことになりそうだ」
「とは」
「クレイに会った」
「……クレイ?」
 訝しげに、影華は紫月の言葉を繰り返した。
「何者だ、それは」
「シュヴェルト、といえば解るか」
「…………」
 紫月の問に、影華は答えない。だがその沈黙が、その通り名に思い至ったことを如実に示す。
「貴殿のことに気づいたのか」
「おそらく気づいてはいまいが……いや、あの男のことだ、わからん」
 と、憎々しげな口調で吐き捨て、紫月は続ける。
「胤のことに気づかれた。しばらくは、下手に動かない方がいい」
「――他の地域で動けばよいだろう」
 紫月の消極的な提案を軽蔑するように影華が返した。
 色眼鏡越しの視線が鋭く彼女を射る。
「貴様は、あの男を知らんからそのような事が言える。奴が一度警戒すれば、どこであろうと同じ事だ」
「なら――どうするというのだ」
「例の件は、しばらく様子を見る。バルドの件も、当分は動かない方が賢明だろうな」
「嵯峨様の命に背くつもりか」
「――はき違えるなよ、女」

 ドスの利いた剣呑な声に、影華は微かに息を呑んだ。
 気圧され、半歩後ずさった自分を恥じるように、彼女はぎり、と歯噛みする。

「俺は、嵯峨の僕ではない。俺がどう行動しようと、貴様に非難されるいわれはない」
 反論を許さぬ威圧的な語調で、紫月は言い放った。
「とにかく、あの件はしばらく保留だと嵯峨に伝えろ」
 そう言うと、紫月は大股で影華の横を通り過ぎる。
「どこに行く」
「貴様に告げる必要はない――が、まあいい。まずはあの娘の様子を見に行く」
「鈴をか。何故」
「それこそ、貴様の知ったことではない」
 肩越しに振り返り、紫月は口元を歪めた。
「どうせ、今回の件であわよくば始末するつもりだったんだろう? それならば俺が何をしようと構わない筈だな」
 底の知れない声音でそう呟き、紫月は前に向き直った。
「その後のことは――まあ、見ていろ」
 カツカツと足音を立て、彼は廊下に姿を消した。

 *

 睦月は自室のベッドの上で天井を見上げていた。
 カーテンの隙間から差し込む朝日が、天井にうっすらと模様を描く。色々なことに考えを巡らせている内に、すっかり夜が明けてしまったようだ。期末試験は昨日で全て終わり、今日は友人たちと飲みに行くだけだから、睡眠不足でも何ら支障はないけれど。

 ――階下から、朝食の匂いが漂ってくる。

「――うん、決めた」
 自分に言い聞かせるように呟いて、睦月は身を起こした。

 *

 人の気配に、リンは浅い眠りから覚めた。
「――――」
「起こしてしまったかい?」
 聞き慣れない声に、彼女は訝しげに声の方に視線を向ける。
 穏やかな微笑を浮かべた金髪の男が、そこにいた。確か、監察部の長官と紹介された覚えがある。
「具合はどう?」
「別に」
 素っ気なく答えたリンに苦笑し、彼はベッドサイドに椅子を置いて腰を下ろした。
「君に、聞きたいことがあるんだ」
「――しばらく尋問はしないんじゃなかったのか」
「個人的な質問なんだ」
 そう言って、アレンは上着の内ポケットから手帳を取り出す。そこには一葉の写真が挟まっていた。
「この右側の人物を見たことはないかい?」
「…………」
 差し出された写真を、リンは見るともなしに眺めた。

 10代の半ばくらいだろうか。二人の少年が微笑んでいる。一人はアレンとおぼしき金髪の少年、もう一人は栗色の髪をした少年だった。穏やかな表情と大人しそうな雰囲気が、二人ともよく似ている。

「どうだい?」
「……知らない」
 どこかで見たことがあるような気もしたが、確証がもてず、リンは素直にそう答えた。答えてから、自分が素直に答えてしまったその事実に驚く。
「そう。なら、いいんだ。ありがとう」
 アレンはそう言って、写真をしまう。その横顔は、ほんの少し寂しそうに見えた。
「……その男は、何者だ」
 思わず問いを発した自分に、リンはまたも驚いた。
「私の――親友だよ」
 そんな彼女の心中を知ってか知らずか、アレンは小さく微笑んで、目を伏せる。
「行方を探して、もう14年になる」
「……何故」

 何を問うつもりだったのだろう。
 消えた理由か、探す理由か。

 自分でも判然としないままに訊ねた言葉に、アレンは目を上げて静かにリンを見た。
 琥珀色の瞳の奥が、悲しげに揺れた。

「彼には――、半分だけど闇の血が流れていた」

「――――!」
 リンは瞠目した。
 信じられない、と語る視線の先で、アレンはどこか遠くを見つめていた。
「彼と私は親友だった。それに彼には、帰りを待つ人もいる――探し続けるには、充分な理由だろう?」
 視線を遠くに馳せたまま僅かに目を伏せたアレンを眺め、不思議な男だと、リンは思った。

 ガードを抜けて、するりと心に入ってくる。
 纏う空気の為せる技だろうか。

「君なら、もしかしたら知ってるかも知れないと思ったんだ」
「その男の――」
「あれ、長官。帰ってたんですか」
 リンがその名を訊ねようとした瞬間。
 扉が開いて、ハリーが入ってきた。急な会議の招集で本部に行っていたはずの上官の姿に、首を傾げる。
「ああ、さっきね」
 と、アレンはリンを振り返った。
「例によって警備長がうるさいもので、様子を見に寄ったんだ。少しは元気になったようだね」
 穏やかにリンを眺める表情に、先程の悲し気な色は微塵もない。ただ、穏やかな空気だけがある。
「さて。僕は部屋に戻るよ。何かあったら呼んでおくれ」
 小さく「よっこらしょ」と呟いて、アレンは立ち上がった。
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