第8章 苛む記憶②

文字数 3,240文字

 扉を開けて副官用の執務室に入ってきた上官の姿に、ロン・セイヤーズとハリー・オコーネルは顔を上げた。
「長官。どうしたんすか?」
「今から機密扱いの参考人が来るから、総門まで引き取りに行ってきてくれるかい?」
「総門? ゲートじゃなくてですか?」
 通常、護送中の逃亡を防ぐため、被疑者は収容棟地下のゲートに直接送られるのが慣例である。
 不思議そうな表情を浮かべる副官たちに、監察部長官アレン・ランブルは微笑を浮かべた。
「ちょっと扱いの難しい事件でね。対応を協議する必要があるから、公安長が直々に連れてきてくれるそうだよ?」
「……っ」
 上官の台詞の後半を聞くや、ガタッと大きな音を立てて、ロンは勢いよく立ち上がった。
「……あんの、馬鹿!」
 血相を変えて口の中で呟くと、彼は一瞬で机を飛び越し、ダッと廊下へ駆けだしていく。
「いやぁ、効果覿面だねえ」
「長官、わざとですか」
 瞬く間に総門の方角へと去っていく彼の背中を見送って、のほほんとした口調で微笑む長官を、ハリーは苦笑混じりに見やった。
「ああ、悪いけどハルも行ってきておくれ。多分あの子はしばらく中に入ってこられないだろうから、参考人を預かって来客用の寝室に連れてきてくれるかい?」
「――はいはい」
 相棒とは対照的にのんびりと頷くと、彼は立ち上がった。

 石造りの回廊を足音も高く走り抜け、ロンは本館入り口前の石段を勢いよく駆け下りた。
「――客は来てるか?」
 総門脇にある衛士の詰所に声を掛けると、当番の衛士が顔を出した。
「いえ、来てませんが……?」
 と、いつになく慌てた風情の副官を困惑気味に見上げる。
 ロンは「わかった」と頷くと、衛士に奥に行っているように指示をして、総門へと向かった。

 分厚い石で出来た合わせ扉は、内側からしか開かない。
 ロンは総門脇のレリーフの一部に手を翳すと、呪を唱えた。
 必要事項以外を全て省いた略式ではあったが、ズズ、と重い扉が左右に開く。

「――――!」

 扉が開くや、その向こうの草むらに膝をつき肩で息をしている人影が目に入る。
 背負っていたのだろう少女は半ばずり落ち、蹲る友香の背中に辛うじて俯せに凭れていた。
 ロンは自分の体が通るだけの隙間が開くのを待つのももどかしく、二枚扉の間をすり抜けた。
「友香!」
 その声が聞こえたのだろう。
 ビクリと大きく体を震わせ、耳を塞いだ両手に一層力を込めて、彼女は激しく首を振った。

 乱れた長い髪の間から、青白い顔と、焦点の合わないうつろな瞳が覗く。
 ひゅうひゅうと気管支の鳴る音が、ロンの耳にまで届く。
 ぽろぽろとこぼれる涙の滴が草むらを濡らしていた。

「友香、分かるか? 友香!」
 少しでも彼女の負担を和らげようと、ロンは友香の背中に凭れた少女を傍らの草むらに横たえた。
「友香、こっちを見ろ! 俺が分かるか?」
 正面に片膝をつき、両肩に手を添えて呼び続ける。
 彼女がこんな風になるのは、いつ以来だろうか。こうなることが分かっていたから、これまで監察(ここ)には近づけないようにしていたのに。
 ――なぜ、こんな無理をしたのか。

 幾度も声をかけ続けていると、やがてゆっくりと――何も映していなかった彼女の瞳に光が戻ってくる。

「ぁ…………、ロ、……ン?」
 視界に旧友の姿をおさめ、友香は途切れ途切れに彼の名を呼んだ。

「ああ――俺だ」
 視線を合わせて頷くと、安堵したのだろう。
 くしゃりと表情を歪めて、友香は小さく嗚咽を漏らした。
「ったく、無茶しやがって」
 ことばとは裏腹に穏やかな声で囁きかけながら、ロンはゆっくりと彼女の肩を引き寄せた。
 細く長い髪も薄いシャツも、汗でしっとりと濡れている。小さく嘆息し、ロンは小刻みに震える友香の背中をゆっくりと撫でた。
「しばらくこうしててやるから、とりあえず落ち着け」
 髪を梳きながら、静かな声で囁く。
 もう片方の手が触れた指先の冷たさに、彼は無言で眉を顰め、その手をそっと握った。

「…………き、に…………ンを、お……が……い」
 ややあって、微かな身じろぎと共に、友香が呟いた。だがその声は、治まりきらない荒い呼気と嗚咽に掠れて聞き取りづらい。
「いいからしばらく黙ってろ、馬鹿」
 どうせ、背負ってきた「参考人」のことだろう。今はそれどころではないと、ロンは肩口に凭れた小さな頭をぽんと叩いた。
「余計なことを気にしてる場合じゃ――」
「――あ、やっぱり」
 呆れた表情で、ロンが小言じみた声を発した瞬間、背後から聞こえた相棒の声がそれを遮った。
「――ハル」
「やぁ友香ちゃん、久しぶりー」
 ロンの腕の中の友香に普段通りの声をかけ、ハリーは二人の元へと歩み寄る。
「長官がね、友香ちゃんはすぐには来られないだろうから、先にその子を引き受けて来いって。
 ――と、軽いね、この子」
 言いながら、ハリーは草むらに横たわるリンを抱き上げ、ロンに視線を流す。
「とりあえず客室を使うってさ」
「分かった。悪ぃな」
「いやいやこっちこそお邪魔虫でごめんねえ。あとはごゆっくりー」
「……馬っ鹿じゃねえ?」
 揶揄するようにひらひらと片手を振って去っていく相棒の背に毒吐いて、ロンは再び友香に向き直った。
「あの娘はハルが連れて行ったから、安心しろよ。な?」
「ん……」

 そのままゆっくりと頭を撫でている内に、荒かった呼吸が少しずつ治まっていく。握った指先にも、徐々に体温が戻ってきた。
「――ごめん」
 ややあって、友香は小さく呟いた。
「何が」
「…………また、迷惑かけちゃった、から」
「ばぁか」
 切れ切れの台詞を最後まで聞かず、ロンは言った。口調には呆れを含んでいるが、その声は柔らかい。
「迷惑だなんて思ってねえっての。前から言ってんだろ?」
 ぽんぽん、とあやすように後頭部を叩くと、友香がゆっくりと身を離した。
「うん……ごめん」
 そう言ってロンを見上げた顔は、先程よりは大分血色が良くなっている。
「だーかーら! 謝んなっつってんだろうがよ、この馬鹿」
 大仰に溜息を吐きながら指先をのばして、頬に流れる涙を拭い、汗で額に貼り付いた髪を掻き上げてやると、友香の表情に微かな微笑が浮かんだ。
「――ありがと」
「…………おう」
 まっすぐな謝辞に思わず視線を逸らす。と、その耳が草を踏む足音を捉えた。
「――指揮官」
 音のした方角を見れば、小道の奥からこちらに向かってくる人影が見える。アレク・ランブルと医療部長官マリアム・ナゼルだ。
 総門前に座り込んだ二人の姿を見て、アレクが無言で眉を寄せた。
「――公安長? どうなさったの?」
 一方、褐色の肌の女医は驚いたように小さな声をあげて小走りに駆け寄り、友香の顔を覗き込む。
「酷い汗。顔色も余り良くありませんね。脈拍も早い――何かあったのですか?」
 手早く触診しながら問う彼女に、友香はううん、と首を振った。
「何でもないの……大丈夫よ」
 その後ろから歩いて来たアレクは小さく溜息を吐き、次いでマリアムに視線を移す。
「医療長。悪いが、こいつに気療を頼む」
「――はい」
 翳したマリアムの掌から温かな光が広がり、友香の全身を包み込む。
 その様子を眺めながら、ロンは立ち上がり、目顔で自分を呼んでいるらしいアレクの元に向かった。

 ややあって、表面上は普段通りの様子を取り戻した友香は、ゆっくりと立ち上がると、ぼそぼそと囁き合う男達を眺めた。
 なんだか、少し揉めているような。
「指揮官? ロン?」
 声をかけると、二人が同時にこちらを見る。
「いや――もう平気か?」
 少しばつが悪そうな表情でアレクが問うた。
「はい。ご心配をお掛けしました。医療長も、ありがとう」
 頭を下げる友香に頷くと、アレクはロンに向き直る。
「それじゃ、セイヤーズ。案内を頼む」
「――はい」
 ロンは今一度、友香に目を向け、その顔色を確かめてから先に立って歩き出した。
 その後に従って門を潜る直前――、一瞬足を止め深く息を吸い込んだ友香の背にさり気なく手を触れて、アレクは彼女を先へと誘った。
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