第9章 葛藤
文字数 2,157文字
「この世界 には、光と闇の2種類の人種がいるんだが、これがまあ――昔から対立していてな」
つまみにと持ってきたナッツを指先で転がしながら、アレクは言う。
「光は闇に弱く、闇は光に弱い」
――とは言うものの、昼の陽光や月星の輝く夜の闇のように、日常生活を送る範囲のものであれば問題ない。だが、闇の血を引く者は視界を眩ませるほどの光に体を灼かれ、光の血を引く者は一片の光すら通さないほどの闇の中で窒息する。
「そのせいもあって、光と闇の生活域は完全に分かれている。それだけならまあいいんだが……」
アレクは溜息を吐いた。
「光の者の中には、闇の者を蔑む者も少なくない。かつてはそれこそ、奴隷のような扱いをしてい時代もあったようだ」
原初の頃から幾度となく繰り返されてきた差別は深刻なわだかまりを生み出した。気が遠くなるような長い年月をかけて降り積もった不信と疑念は澱のように滞り、両者の対立を一層激化させた。
そういえば、さっき風呂場で見た夢にも、そんな場面があったなと睦月は思う。
水盤に映し出された戦場の光景の中に、捕虜を手荒に扱い、年端も行かぬ少女たちに下働きをさせる兵士たちの姿があった。
それを見るセルノの目に激しい怒りが浮かんでいたことも、よく覚えている。
「セルノの乱も、そういう光の横暴に対する怒りが起点だったんだろうな。だが――」
睦月の推測を裏付けるようにそう言って、アレクは目を伏せる。
「今回の件については正直なところ、どこまでが目的なのかがわからん」
なまじ生活圏が分離しているからこそ、相手側の情報を入手するのは容易ではない。ただ、協力者から得た情報を総合すると、今回の首謀者たちはかなりカルト化しているようだとアレクは溜息を吐いた。
「本音はセルノの力さえ手に入ればいいというところだろうが、いずれにせよ、ろくなことに力を使わないのは予想がつくからな」
――世界を破滅させようとした人を復活させるんだもんね
少なくともポジティブな思考ではないことは、睦月にも想像がつく。
「まあなんにしろ、セルノの廟の状態次第で方針を決める。その時点で必ず帰すから、悪いが、明日半日だけ、ここで待機していてほしい」
「…………」
アレクの言葉に、睦月は目を伏せた。
うんと頷くだけ。それだけだ。
なのに、たったそれだけのことができない。いや――したくない。
アレクの言うことは正しい。ここまでの話から推測するに、何かしらの危険が待ち受けている可能性があるのだろう。それなら、ただの大学生にすぎない睦月にできることなどない。
わかっているのに、頷くことに抵抗がある。
頷いてしまえば、あとはすべてアレクたちに任せてしまえる。そうやってこれまで生きてきたはずだ。
なのに。
「……そういや、睦月は学生だったな。専攻は?」
黙り込んだ睦月に何を思ったか、アレクが話を変える。停滞していた空気が不意にがらりと変わって、睦月は目をしばたたいた。
「え――法学部だけど」
「法学か。法律家を目指してるのか?」
「え、いや、そういうわけじゃ……」
そもそも、明確な目的があって選択した進路ではない。ただ、親戚がこぞって法学部か経済学部を推していたから、それを選んだだけだ。法学部なら、いざとなれば公務員試験という道もあると言われて、強く拒否する理由も思いつかなかったから、従ったに過ぎない。
「アレクたちから見たら、ほんとに情けないことこの上ないよね……」
同じ世代なのに、しっかりと地に足をつけて仕事をしている彼らにとってみれば笑止千万というところだろう。
「いや……、それで言うなら、俺だって大差ないんじゃないか」
と頭を掻きながらアレクが言う。
「え、そうなの?」
「俺はそもそも世襲だからな。上に兄貴がいるんだが、それが家督の継承を辞退したもんだから、次男の俺が継がざるを得なかったってだけだ」
「え、そうなんだ……?」
「ああ。むしろ動機なら、友香やレオの方がよっぽど強いな。あいつらは数年にわたる厳しい選抜試験をくぐり抜けてきてるから」
そう言って、アレクはまたグラスに酒を注ぐ。どうやらかなりの酒豪らしい。
「まあ――きっかけはどうあれ、始めてみれば、目標とか目的は意外と後からついてきたりするもんだ」
「そうなの、かな……」
「少なくとも俺はそうだったな。だからあんまり気にするな」
そう言って、アレクは笑う。
「その時に自分がしたいと思うことをひとつずつこなしていけば、その内にそれが収束して道になる――と、俺は思ってる」
「そうか……うん、そうなのかな」
「だから、睦月もその時したいと思うことをすればいいんじゃないか?」
「――」
さりげなく告げられた言葉に、睦月は目を見開いた。
自分の葛藤に気づいていたのか、という驚きに息が詰まる。
「……いいのかな」
「自分の気持ちに蓋をして流れに身を任せるよりは健全だと思うが。少なくとも――この世界では」
人の世界以上に、精界では個人の思いの強さが力になりやすい。特に、命の危険がある時にはなおさら、意志の強さが生死を分けることもある。
そう言われ、睦月は視線をさまよわせた。
「まあ、すぐに答えを出す必要はないさ。今夜一晩、ゆっくり考えるといい」
その言葉に、睦月は自分の葛藤を全て読まれていることを知った、
つまみにと持ってきたナッツを指先で転がしながら、アレクは言う。
「光は闇に弱く、闇は光に弱い」
――とは言うものの、昼の陽光や月星の輝く夜の闇のように、日常生活を送る範囲のものであれば問題ない。だが、闇の血を引く者は視界を眩ませるほどの光に体を灼かれ、光の血を引く者は一片の光すら通さないほどの闇の中で窒息する。
「そのせいもあって、光と闇の生活域は完全に分かれている。それだけならまあいいんだが……」
アレクは溜息を吐いた。
「光の者の中には、闇の者を蔑む者も少なくない。かつてはそれこそ、奴隷のような扱いをしてい時代もあったようだ」
原初の頃から幾度となく繰り返されてきた差別は深刻なわだかまりを生み出した。気が遠くなるような長い年月をかけて降り積もった不信と疑念は澱のように滞り、両者の対立を一層激化させた。
そういえば、さっき風呂場で見た夢にも、そんな場面があったなと睦月は思う。
水盤に映し出された戦場の光景の中に、捕虜を手荒に扱い、年端も行かぬ少女たちに下働きをさせる兵士たちの姿があった。
それを見るセルノの目に激しい怒りが浮かんでいたことも、よく覚えている。
「セルノの乱も、そういう光の横暴に対する怒りが起点だったんだろうな。だが――」
睦月の推測を裏付けるようにそう言って、アレクは目を伏せる。
「今回の件については正直なところ、どこまでが目的なのかがわからん」
なまじ生活圏が分離しているからこそ、相手側の情報を入手するのは容易ではない。ただ、協力者から得た情報を総合すると、今回の首謀者たちはかなりカルト化しているようだとアレクは溜息を吐いた。
「本音はセルノの力さえ手に入ればいいというところだろうが、いずれにせよ、ろくなことに力を使わないのは予想がつくからな」
――世界を破滅させようとした人を復活させるんだもんね
少なくともポジティブな思考ではないことは、睦月にも想像がつく。
「まあなんにしろ、セルノの廟の状態次第で方針を決める。その時点で必ず帰すから、悪いが、明日半日だけ、ここで待機していてほしい」
「…………」
アレクの言葉に、睦月は目を伏せた。
うんと頷くだけ。それだけだ。
なのに、たったそれだけのことができない。いや――したくない。
アレクの言うことは正しい。ここまでの話から推測するに、何かしらの危険が待ち受けている可能性があるのだろう。それなら、ただの大学生にすぎない睦月にできることなどない。
わかっているのに、頷くことに抵抗がある。
頷いてしまえば、あとはすべてアレクたちに任せてしまえる。そうやってこれまで生きてきたはずだ。
なのに。
「……そういや、睦月は学生だったな。専攻は?」
黙り込んだ睦月に何を思ったか、アレクが話を変える。停滞していた空気が不意にがらりと変わって、睦月は目をしばたたいた。
「え――法学部だけど」
「法学か。法律家を目指してるのか?」
「え、いや、そういうわけじゃ……」
そもそも、明確な目的があって選択した進路ではない。ただ、親戚がこぞって法学部か経済学部を推していたから、それを選んだだけだ。法学部なら、いざとなれば公務員試験という道もあると言われて、強く拒否する理由も思いつかなかったから、従ったに過ぎない。
「アレクたちから見たら、ほんとに情けないことこの上ないよね……」
同じ世代なのに、しっかりと地に足をつけて仕事をしている彼らにとってみれば笑止千万というところだろう。
「いや……、それで言うなら、俺だって大差ないんじゃないか」
と頭を掻きながらアレクが言う。
「え、そうなの?」
「俺はそもそも世襲だからな。上に兄貴がいるんだが、それが家督の継承を辞退したもんだから、次男の俺が継がざるを得なかったってだけだ」
「え、そうなんだ……?」
「ああ。むしろ動機なら、友香やレオの方がよっぽど強いな。あいつらは数年にわたる厳しい選抜試験をくぐり抜けてきてるから」
そう言って、アレクはまたグラスに酒を注ぐ。どうやらかなりの酒豪らしい。
「まあ――きっかけはどうあれ、始めてみれば、目標とか目的は意外と後からついてきたりするもんだ」
「そうなの、かな……」
「少なくとも俺はそうだったな。だからあんまり気にするな」
そう言って、アレクは笑う。
「その時に自分がしたいと思うことをひとつずつこなしていけば、その内にそれが収束して道になる――と、俺は思ってる」
「そうか……うん、そうなのかな」
「だから、睦月もその時したいと思うことをすればいいんじゃないか?」
「――」
さりげなく告げられた言葉に、睦月は目を見開いた。
自分の葛藤に気づいていたのか、という驚きに息が詰まる。
「……いいのかな」
「自分の気持ちに蓋をして流れに身を任せるよりは健全だと思うが。少なくとも――この世界では」
人の世界以上に、精界では個人の思いの強さが力になりやすい。特に、命の危険がある時にはなおさら、意志の強さが生死を分けることもある。
そう言われ、睦月は視線をさまよわせた。
「まあ、すぐに答えを出す必要はないさ。今夜一晩、ゆっくり考えるといい」
その言葉に、睦月は自分の葛藤を全て読まれていることを知った、