22.対峙③

文字数 2,388文字


 ザッとアスファルトを踏みしめる音が響く。次いで、ダンと着地する足音。
「――ふ……っ」
 鋭く息を吐きながら、レオは右足を振り上げた。ぶんと重たい風音のする蹴りを紙一重で交わし、紫月が飛び退る。
「――ちっ」
 舌打ちをしながら、紫月は掲げた手に闇の塊を溜めようとするが、その隙すら許さず、回し蹴りの余力に乗ったレオの肘が顔に向かって飛んできた。
 ガッと鈍い音を響かせつつ、咄嗟に上げた腕で肘打ちを流す。だが息を吐く間もなく、その腕を掴まれたかと思えば、一気に引き寄せられた身体に膝が入る。
「ぐ……っ」
 苦鳴を漏らしつつ、紫月は背後に飛んで距離を取る。だが息を吐く暇もなくその距離を詰められ、飛んでくる拳をぎりぎりで交わした。
「くっそ……」
 防戦一方の状況に、さすがに息が上がり始める。自分がここまで追い詰められるとは思ってもみなかった。それでもなお、『ランブル』の幹部だろう男は一瞬たりと攻撃の手を休めようとはしない。それどころか、体躯に見合わぬ素早さで次々に繰り出される鋭い攻撃は、その体躯に見合った重さをもっていて、掠めるだけでも紫月の体力を削っていく。
 このままではまずいと紫月は歯がみし、さっとあたりに目を走らせる。その先に、ビルの非常階段が見えた。
「――っ」
 レオの攻撃を紙一重でかいくぐると、紫月は壁を蹴り、上方へと跳んだ。金属製の手すりを掴んで身体を持ち上げ、その向こうへと逃げ込む。カンカンと音を立ててさらに上階へと駆け上がり、紫月は壁に背を預けた。
「は……ッ、はぁッ」
 心臓がガンガンと鳴っている。その胸元を握りしめるように抑え、紫月は荒い呼吸を繰り返した。下からはレオが追ってくる気配がしているが、彼の体躯では手すりの隙間をかいくぐることはできないはずだ。多少の時間稼ぎにはなるだろう。
「――クソ、いったん退くしかないか」
 呟くと、紫月は右手を中空へと翳す。移動術の術式を展開しようとした、その瞬間。

 ガガガガガッ!!

 激しい打撃音と共に、紫月の足下が揺れた。
「…………ッ!?」
 見れば、足下に何本もの針が突き刺さっている。それが、ポウと仄かな光を発したかと思うや、展開しかけていた移動術の術式がパチンと弾けて消えた。
「悪いな、自分の身体が大きいことは俺が一番よく知っているんだ」
 声は予想外に近くから聞こえた。はっと振り仰ぐと、路地の突き当たり――こちらに背を向けて建つビルの壁に設置された室外機を足場にして、男が立っていた。
「いつの間に……」
 呻く紫月をレオは黙って見つめた。二人の間に、静かな緊張感が膨満する。そして。
「――お嬢!」
 声が飛んだ瞬間。
 タンッと軽い足音が聞こえたかと思えば、非常階段の上階から何かが飛んでくる。身構えた紫月の懐に、目にもとまらぬ速度で飛び込んできたのは小柄な若い娘だった。
「――ッ!」
 ビュンと高い風切り音を立てて娘のつま先が紫月の喉元を掠める。
 キィン!
 飛び退った紫月の足下に、レオの針が突き刺さる。「ちっ」と足を止めたその瞬間、くるりと回転した娘の蹴りが鳩尾に入った。
「ぐ……ッ!」
 叩きつけられるように背後の手すりにぶつかって、ガァンッと大きな音が響く。追い打ちを掛けるように飛び込んでくる娘が、手にした武器をくるくると回転させながら迫る。立ち上がり攻撃をかわそうとするが、非常階段の足場の悪さに加え、先程まで以上の狭さが動きを制限する。
 これなら、路地の方がまだマシだったと紫月は奥歯をかみしめた。先程まで戦っていた男のそれに比べれば、娘の攻撃はそこまで重くない。だが、この狭い空間でも立ち回れるその小柄な体躯から繰り出される矢継ぎ早な攻撃と、非常階段の外から飛んでくる投擲武器に挟撃され、思うように戦えない。
「……やむをえん」
 小さく呟くと、紫月は身を屈めて転がるように攻撃をすり抜け、下層階の踊り場へと逃れた。レオの針を掻い潜り、追ってくる娘――友香の足音から距離を測りつつ、隠した手元に力を溜めた。
「――!」
 振り返りざま、手元に貯めた闇の塊を放つ。それを友香が横に飛んで躱す隙に、非常口の扉を開けて中に飛び込んだ。
「待ちなさい!」
「お嬢! 深入りはするなよ!」
「分かってる!」
 レオの声に一声応え、友香はその後を追った。

 戦っている僅かな時間に日は既に沈んでいた。転がるように突入した雑居ビルの廊下は薄暗い。テナントの入っていないフロアなのか、それとも休業日なのか。人気はなく、光源は非常口の表示くらいだ。
「……」
 すっと小さく息を吸い込み、友香は目を凝らした。廊下の左右に扉がふたつずつ。その向こうに手洗いの表示が見える。さらにその向こう、突き当たりでは廊下が左右に分かれている。入ってきた非常口が閉まらぬようにドアを固定し――光源も確保する必要がある――、しかしそこから逃げられないように結界を張る。そこまで準備をしてから、友香は探索用の術を展開する。ゆっくりと気配を探りながら廊下を進んだ。
 足音を忍ばせ、友香は耳を澄ます。他の階から響いてくるとおぼしき人の声と足音。エレベーターの駆動音。その中に不自然な音が紛れていないか。神経を研ぎ澄ませ、探索術で各部屋を探りながら、そっと扉の施錠を確かめていく。
「――」
 変化があったのは、一番奥――エレベーターホールの手前の部屋だった。鍵の周囲に闇の気配が凝っている。そのことに気づき、友香は扉の脇に身を寄せると、そっとドアノブを回す。
 それを引こうとしたその直前――友香はぴたりと動きを止めた。ごくごく僅か――気配とすら呼べないほどの僅かな空気の動きを感じ取ったからだ。
 その刹那。友香はタッと壁を蹴って跳び上がった。同時に、床をなめるように闇が迫る。真黒な植物の根のようなそれを避けた友香は、その勢いのまま気配のする方向へと向かって猛然とダッシュした。
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