18.黄昏に誓う③

文字数 1,559文字

 「ランブル」では彼を慕う声をよく聞く。だから何となく、アレクには迷いなどないような気がしていた。けれど本当は、彼にもたくさんの葛藤があるのだろう。そんな当たり前のことにこれまで思い至らなかったのは、睦月から見える彼が、いつでもしっかりと両足で地を踏みしめて立っていたからだ。
 この間のライブハウスでもそうだった。アレクが来た瞬間、場の空気が変わった。あの時、もう大丈夫だと確かに安心したことを睦月は思い出す。
 けれど今、この屋上にいる彼は、自分とそう変わらない普通の青年に見えた。
 悩み、足踏みし、不安に苛まれ、何度も後ろを振り返りながら、それでも前を向いて目指すものへと手を伸ばす。葛藤や煩悶を抱えているのは自分だけではない。そんな当たり前のことに、睦月はなぜだか少しほっとする。

「あぁ、でも。こんな話したのは他の奴らには内緒な?」
 そう言ってから、アレクは悪戯っぽく笑う。
「俺がここに来てることも言うなよ。サボってるのがバレるとまずい」
「僕は良いの?」
睦月(おまえ)は仕事持って追いかけて来たりしないからな」
 クツクツと笑いながら告げられた言葉は、ほとんど冗談のようにして真意を隠す。
 けれど、むしろその言葉で、睦月は気づいてしまった――自分以外、アレクの側にいる人々は、全て彼にとっては「部下」なのだ。
 互いに気の置けない様子だから、何となく気安い間柄なのだろうと思っていた。実際、幼なじみでもある佳架や友香とは本当に親しいのだろうとも思う。
 しかしそれでも、彼らはアレクの部下だ。親しいからこそ、決して見せることのできない――見せたくない顔もあるのかもしれない。
「いや、あのな? 言っておくが、そんな重い話じゃないからな?」
 知らず知らずのうちに百面相でも披露していたらしい。睦月の表情から何かを読み取ったらしいアレクが、苦笑交じりにフォローを入れた。

「――で、おまえは?」
 ふっと声の調子が変わる。その変化に虚を突かれ、睦月は目を見開いた。
「え?」
「ここの所、少し塞いでるだろ。例のライブハウスの後からだと思うが、違うか?」
 穏やかな声に、ほんの少しだけ心配の色を滲ませてアレクが訊ねる。
「……気づいてたんだ」
「そりゃ、な。何があった?」
 アレクの問いに、睦月は視線を足下に落とした。残照が、地面にうっすらと影を描いている。
「…………見たんだ、あの時」
 ぽつりと言葉が漏れる。アレクは何も言わず、睦月の様子を見つめていた。さして抵抗なくするりと応じられたのは、たった今、アレク自身の煩悶を知ったせいだろうか。
「ゴーレムの元になった人が――食べられるところ」
 そのひと言が呼び水となって、脳裏にあの光景が蘇る。
 暗い廊下の奥に茫然と座り込んだ青年と、そこから伸びた巨大な影。今、睦月の足下に伸びている影なんかよりももっと大きく、もっと黒々とした、凶悪な――ソレが、青年をひと呑みにした瞬間の、彼の恐怖に歪んだ顔。掠れた呼吸音と声なき叫び声。呑み込まれていく最中、彼の指先がつま先がビクリと大きく震えたこと。
「……助けられなかった」
 平和な場所で生きてきた睦月にとって、人の死を――望まぬ唐突なそれを――目の当たりにしたのはこれが初めてだった。
 戦争、内紛、殺人、事故。世界に理不尽な死がある事は知っていたし、それらの被害者に思いを致したことも、義憤に駆られたこともある。けれど唐突な死に襲われたその瞬間の表情を、それを目の当たりにした人間が感じる混沌とした感情を、睦月はあの日初めて自らの経験として知った。
「その件なら、報告を受けてる。あの時は助けられる状況じゃなかったんだろう?」
「でも……、僕には助ける力があった筈なんだ」
 ぎゅっと服の胸元を握るようにして、睦月は言った。そこにあるはずのバルドの力(命の灯)を掴むように。
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