裏切り者がいる

文字数 2,328文字

 2.

 新しい一日は、ホテルの電話室に呼び出されて始まった。
『そこから動くな。駅が封鎖された』
 受話器の向こうでルーが告げた。
『夜行列車で来た客が爆発物を持ち込んでたんだよ。抵抗教会の連中だ。とにかく今は駅に近付くな』
「わかった」
 アズは電話室の時計に目をむけた。チェックアウトまで残り二十分を切っていた。
「徒歩旅に切り替える。すぐに準備する」
『いや、列車が動くまで待てよ。逃げた子たちに先回りしなきゃならないんだろうが』
「列車が動くかわからない。二日程度の行程(こうてい)差なら追いつける」
『悪いこと言わないから待てって。いいか? 俺が今からホテルに行く。お前はそこから動かずに――』
 耳が、機関銃の連射音を捉えた。
 ガラスが割れる音。爆発音。
 目を鋭く動かす。電話室の窓には透き通る自分の姿が映り、焦点をずらせば、晴れた冬の朝の都市の景観が広がっていた。
 火の消えたガス灯は霜で白く覆われているものの、優しげな太陽に遠火で温められ、日光が当たる面の緑の塗装を露わにしていた。少女がスカートを(なび)かせながら自転車で駆け抜けていった。向かいの民家の玄関にはミルクが置かれたままで、ポーチの日向(ひなた)黄金(こがね)色の雌鶏(めんどり)(くつろ)いでいた。その隣の家の窓の向こうでは、ダイニングで老夫婦が朝食がてら穏やかな議論をしていたが、夫のほうが、慌てて窓に飛びつき、カーテンを引いた。
 葡萄色に塗られたドアが開き、住人の手が、ミルクと雌鶏を家の中に取り込んだ。
 人の逆流が起きないかとアズは待った。だが、先ほどの自転車の少女が一人、ペダルを漕いで駆け戻ってきただけだった。
 機関銃の連射音がまたも起きた。数秒前と違い、応戦する銃撃の音が続いた。
「――いや、結構だ」ルーにも聞こえているはずだ。「来ないほうがいい」
 クソ! と悪態をつく声を聞きながら、アズは受話器を戻した。床に膝をつき、旅行鞄を開けると、拳銃及び銃帯を引っ張り出して腰に巻き付けた。銃帯には、薬莢をしまう小さなケースが脇腹から腰の後ろにかけてずらりと並び、右手で取り出しやすい位置に銃把が突き出ていた。
 フロントの女が電話室に客の様子を見にきた。彼女は電話で話し込む客の姿を見つけるつもりで来たのだが、外套の上から銃帯を巻きつけて武装する客の姿を見つけることになった。彼女の目配せを受け、ドアマンがやって来た。
「お客様」
 アズは筒状の図面入れを背負いながら素早く立ち上がった。左手には数珠(ロザリオ)が絡んでいた。かつて天使の称号とともに教皇から下賜された、言葉つかいの証だ。
「失敬」聖四位一体紋の後ろに刻まれた名を見せつける。「異端の暴徒に対する出動義務を負う者です。ご理解を」
 二人が唖然としている間に電話室を後にし、重い玄関扉を押し開けた。寒風が入って来た。入れ違いにアズは出ていった。
 迷宮に沿って民家や商店が建っている。太陽の角度は充分に高く、壁が落とす影は短い。最初の角を曲がる。若い男女が歩いていた。
「やだぁ、怖ぁい。早く託児所に戻らないと」
 女のほうが言うと、その肩を抱いて歩く男が
「大丈夫だよ、フローレン。何があっても僕が君と子供たちを守るからね」
 二人の横を通り過ぎ、赤い外壁のアパートメントを左に曲がる。
 高いアパートメントのせいで裏通りには圧迫感があった。頭上できらめく物があり、アズはすかさず右手で銃を抜き放つ。
 半自動拳銃の安全装置を解除。
 光った物は長身銃の銃口だった。外階段のコンクリートの壁から胸より上を晒し、毛糸の帽子の男が撃っている。慌て騒ぐのは警察隊か。位置は四階。アズもまた発砲した。反動。銃身と遊底が後退し、トグルが跳ね上がる。硝煙の臭いとともに馴染みのものとなった、手の中の音と動き。薬室から空薬莢(からやっきょう)が弾き出された。アパートメントの外階段から血が滴り落ちてきた。その下を通るとき、誰かがアズを狙って撃った。銃弾が背中すれすれを通過し、赤い壁で跳ねた。
 建物の角を曲がる。銃弾はアズを追い、アパートメントの(かど)を削った。そこへ警察隊が突入し、応戦を始めた。
 ダストシュートの下のゴミ捨て場を通り過ぎ、曲がりくねった小路に出たところで誰かにぶつかりそうになった。つんのめって立ち止まったのは土手っ腹(どてっぱら)の男で、軽機関銃を携え、胸に抵抗教会のシンボル、星を(いただ)く馬小屋のバッジを光らせていた。
 アズは驚いたまま固まっている男の胸に銃を向けた。そして、教科書のように正しい射撃の姿勢で発砲した。
「アズ!」
 ルーの声が降ってきた。
 見上げる。
 すぐ近くの壁の上にいた。
 誰かに見られているかもしれないのに、彼は垂直な壁を地面と同じように駆け下りてきた。
「言葉つかいがいる。こっちだ」
「何が起きている」
 緩やかなカーブを曲がると、行く手を塞ぐ壁の下に、大人一人が通り抜けられる程度の穴が開いていた。『石工』が加担しているのだ。
「駅から革命家気取りを連行してた警察が襲われたんだよ」
 ルーは忌々しげに、穴の開いた壁を蹴飛ばした。
「教育された石工だぜ。裏切り者め」
 二人の言葉つかいは穴の前で目配せをしあった。動いたのはアズで、腰を屈めて向こう側を覗き込むと、直線上に誰もいないことを確かめてから銃を撃ってみた。たちまち撃ち返された。待ち伏せされている。
「めんどくせぇな。どう行く?」
 相談している場合ではなかった。
 今度はピンを抜いた手榴弾が穴から転がり込んできて、二人の足許で止まった。


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登場人物紹介

■チルー・ミシマ

■14歳/女性


『言葉つかい』と呼ばれる異能力者の育成機関、聖レライヤ学園の第十七階梯生。

内気で緊張に弱く、場面緘黙の症状に悩んでいる。

『鳥飼い』の賜物(=異能力)を持つ。

■リリス・ヨリス

■14歳/女性


チルーの同級生で、唯一の友達。『英雄の娘』と呼ばれるが、両親のことは名前以外に何も知らない。

迷宮の壁に作用する『石工』の賜物を持つ。

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