細工
文字数 2,707文字
3.
アズは剣の隠し場所に戻った。銃帯を腰に巻き、その上から、臍 で銃帯と交差させる形で剣帯を巻く。
『スアラのところに行くのか』
「今はまだ。ですが、いずれ」
種をコートのポケットに押し込んだ。代わりにポケットにあったトグルアクション式の自動拳銃を入れ違いに取り出す。
アズはいきなり動揺して銃を落としそうになった。
俺のじゃない。
そう直感した。
だが月明かりの下で見てみれば、それはアズの銃に違いなかった。
銃把を握る。
慣れ親しんだ感触だ。しかも、左利き用の特注品である。自分のもので間違いない。
だが直感は黙らない。
おかしい、と警告していた。
耳を傾けないわけにはいかない。大切な仕事道具が「気をつけろ」と叫んでいるのだから。
まずは外観確認だ。弾倉を確かめた。問題ない。銃身。遊底。引き鉄 。排莢口。問題は見当たらない。
違和感だけが、依然としてあった。
嫌な予感がする。
鼓動が早くなっていく。
アズは地に両膝をついた。息を深く吸って、深く吐き出した。次は少し浅く。さらに浅く。左手に拳銃を乗せ、右手を胸に当てた。
息を止める。
止めたまま、自問した。
何がおかしいと思う?
濡れているか? べたついているか? 整備不良の心当たりはあるか? 最後に清掃したのはいつだ? 点検したのは? 落とした覚えは? ぶつけた覚えは? 熱を帯びているか? 変な臭いがするか? 変な音がするか? 部品が外れている感触があるか? 重いのか? 軽いのか?
それだ。
わかった。軽いのだ。僅かに、だが確実に。
油の染みついた布を膝の前に広げた。
銃把に組み込まれた弾倉を抜き、布の上に置いた。
薬室が空 なのを確かめる。
遊底を外し、すぐにわかった。
やられた。
震える息を吐き出していく。
撃針 がなかった。アズの命を守る大切な道具は、弾を打ち出す仕組みをなくしたただのおもちゃと化していた。
いつ、誰が、何故。
どれも愚問だった。風呂に入っている間に違いない。もしも銃の隠し場所が鞄の二重底だったり、分解した状態であちこちに仕込まれていたならば、革命家たちはアズが最も無防備な姿でいるうちに浴槽から引きずり出して尋問しただろう。だが、それが如何にも銃に無知な素人 よろしくコートのポケットに入っているのを見て、彼らは間抜けな客を泳がせることにしたのだ。使えないように細工だけしておいて。
銃は使えない。どうする。
一際強く、斬るような夜風が吹いた。アズはマフラーを巻き直した。
退 くか進むか。選択肢はないも同然だ。退いてどうする。
進むべきだ。
※
問題はレマだ。アズは言葉つかい、まして他の『天使』と戦ったことがなかった。レマの手の内はわからない。やるなら不意をついて一撃でやるしかない。銃なしで。
だが、トラックを視界に収めるカーブで様子を窺っていると、予期せず好機が訪れた。レマが連れの男に背を向けて、トンネルを離れようとしたのだ。
「ちょっとここ見てて」
「どこ行くんだよ」
「ほっといて」
男は追いかけて肩を掴む。
「おい!」
レマは怒って声を荒らげた。
「トイレよ! 察しなさいよ! 馬鹿!」
男はたじろいで手を離し、レマは茂みに消えていった。一人になると、彼もまた催したのか、どこか後ろめたそうな様子でトンネルの前を離れた。レマとは反対側の茂みに向かい、懐中電灯を地面に置く。彼がズボンを下ろして用を足している間に、アズは猫のように音も気配もなく、トンネルに忍び込んだ。
トンネルの入り口は真っ暗だったが、少し進むと照明で照らされるようになった。発電機の唸りを聞きながら、白熱電球に煌々 と照らされて歩くこと数分。
道が分岐した。
砂の上の足跡は、左右どちらの道にもついていた。左の道には荷車の轍 があった。アズは左の道を選んだ。
その道は明らかに掘られた年代が違っており、白熱電球はなく、足許 に恐ろしいほど年代もののアセチレンランプが置かれていた。抵抗教会と公教会が和解するのと、近頃ガイエンでも普及し始めたナトリウム灯がこの通路に導入されるのはどちらが先になるだろう? アズは考えた。賭けてもいい。残念ながら後者だ。
ともあれ、ランプに火をつけて轍 を辿る。天井も低く、背伸びをすれば頭頂をこすりそうだ。この通路は短かった。奥から身を切る風が吹き付けた。火が消えてしまったが、カーブを曲がると白く鮮烈な光が見えた。
カルシウムライトだ。
おおかた、どこかの劇場から略奪したのだろう。道の先に両開きの扉があり、一枚が外に向かって開かれていた。風と光はそこから来ていた。
閉じているほうの扉に背をつけて、外の様子を窺った。岩肌に囲まれた円形の空き地で、今いる通路の真向かいに、別の通路への入り口が開いているのが見えた。その手前に、二人一組の見張りが立っていた。
アズは出方を決めた。友人を助けたいのなら、やりたくないことをしよう。剣帯を腰から外すと、抜き身の処刑刀を壁に立てかけた。そして火の消えたアセチレンランプを掲げ、空き地に向かって「おーい」と呼ばわった。
二人の男は顔を見合わせた。
「水道管が破裂したみたいなんだ。わかる人がいたら来てくれ」
声は突風に乗って窪地で渦巻いた。毛皮の帽子を目深 にかぶった痩せた男が動き出し、空き地を横切って、アズのところに来た。
「はいはい。どこかね」
歳をとり、脂肪も筋肉も少なくなった老人だった。
「昔、水道管工事の仕事をしてたんだ。見るだけ見てやろう。ところでここは暗いね」
アズは閉じている扉の陰で処刑刀の柄 を取る。
「で、あんた誰――」
言葉の続きはくぐもった声となり、絶えた。
「おーい!」
アズは残る一人を呼ばわった。
「じいさんが転んで頭打っちまったんだ! 手を貸してくれ!」
労働者たちの言葉遣いを真似て叫ぶと、今度の相手は走ってきた。何であれ古いものと新しいものが現役で混在するこの町らしく、今度の人は若かった。
アズは通路の暗闇で、その人にも早すぎる死を与えた。
すぐに驚くことになった。見張り番が二人とも銃を持っていなかったからだ。
丸腰の人間を殺してしまった。
仕方がない……行くしかない……。
カルシウムライトが真白く照らす窪地を、アズは小走りで通り過ぎた。
そのあとで、粉雪が舞い始めた。
アズは剣の隠し場所に戻った。銃帯を腰に巻き、その上から、
『スアラのところに行くのか』
「今はまだ。ですが、いずれ」
種をコートのポケットに押し込んだ。代わりにポケットにあったトグルアクション式の自動拳銃を入れ違いに取り出す。
アズはいきなり動揺して銃を落としそうになった。
俺のじゃない。
そう直感した。
だが月明かりの下で見てみれば、それはアズの銃に違いなかった。
銃把を握る。
慣れ親しんだ感触だ。しかも、左利き用の特注品である。自分のもので間違いない。
だが直感は黙らない。
おかしい、と警告していた。
耳を傾けないわけにはいかない。大切な仕事道具が「気をつけろ」と叫んでいるのだから。
まずは外観確認だ。弾倉を確かめた。問題ない。銃身。遊底。引き
違和感だけが、依然としてあった。
嫌な予感がする。
鼓動が早くなっていく。
アズは地に両膝をついた。息を深く吸って、深く吐き出した。次は少し浅く。さらに浅く。左手に拳銃を乗せ、右手を胸に当てた。
息を止める。
止めたまま、自問した。
何がおかしいと思う?
濡れているか? べたついているか? 整備不良の心当たりはあるか? 最後に清掃したのはいつだ? 点検したのは? 落とした覚えは? ぶつけた覚えは? 熱を帯びているか? 変な臭いがするか? 変な音がするか? 部品が外れている感触があるか? 重いのか? 軽いのか?
それだ。
わかった。軽いのだ。僅かに、だが確実に。
油の染みついた布を膝の前に広げた。
銃把に組み込まれた弾倉を抜き、布の上に置いた。
薬室が
遊底を外し、すぐにわかった。
やられた。
震える息を吐き出していく。
いつ、誰が、何故。
どれも愚問だった。風呂に入っている間に違いない。もしも銃の隠し場所が鞄の二重底だったり、分解した状態であちこちに仕込まれていたならば、革命家たちはアズが最も無防備な姿でいるうちに浴槽から引きずり出して尋問しただろう。だが、それが如何にも銃に無知な
銃は使えない。どうする。
一際強く、斬るような夜風が吹いた。アズはマフラーを巻き直した。
進むべきだ。
※
問題はレマだ。アズは言葉つかい、まして他の『天使』と戦ったことがなかった。レマの手の内はわからない。やるなら不意をついて一撃でやるしかない。銃なしで。
だが、トラックを視界に収めるカーブで様子を窺っていると、予期せず好機が訪れた。レマが連れの男に背を向けて、トンネルを離れようとしたのだ。
「ちょっとここ見てて」
「どこ行くんだよ」
「ほっといて」
男は追いかけて肩を掴む。
「おい!」
レマは怒って声を荒らげた。
「トイレよ! 察しなさいよ! 馬鹿!」
男はたじろいで手を離し、レマは茂みに消えていった。一人になると、彼もまた催したのか、どこか後ろめたそうな様子でトンネルの前を離れた。レマとは反対側の茂みに向かい、懐中電灯を地面に置く。彼がズボンを下ろして用を足している間に、アズは猫のように音も気配もなく、トンネルに忍び込んだ。
トンネルの入り口は真っ暗だったが、少し進むと照明で照らされるようになった。発電機の唸りを聞きながら、白熱電球に
道が分岐した。
砂の上の足跡は、左右どちらの道にもついていた。左の道には荷車の
その道は明らかに掘られた年代が違っており、白熱電球はなく、
ともあれ、ランプに火をつけて
カルシウムライトだ。
おおかた、どこかの劇場から略奪したのだろう。道の先に両開きの扉があり、一枚が外に向かって開かれていた。風と光はそこから来ていた。
閉じているほうの扉に背をつけて、外の様子を窺った。岩肌に囲まれた円形の空き地で、今いる通路の真向かいに、別の通路への入り口が開いているのが見えた。その手前に、二人一組の見張りが立っていた。
アズは出方を決めた。友人を助けたいのなら、やりたくないことをしよう。剣帯を腰から外すと、抜き身の処刑刀を壁に立てかけた。そして火の消えたアセチレンランプを掲げ、空き地に向かって「おーい」と呼ばわった。
二人の男は顔を見合わせた。
「水道管が破裂したみたいなんだ。わかる人がいたら来てくれ」
声は突風に乗って窪地で渦巻いた。毛皮の帽子を
「はいはい。どこかね」
歳をとり、脂肪も筋肉も少なくなった老人だった。
「昔、水道管工事の仕事をしてたんだ。見るだけ見てやろう。ところでここは暗いね」
アズは閉じている扉の陰で処刑刀の
「で、あんた誰――」
言葉の続きはくぐもった声となり、絶えた。
「おーい!」
アズは残る一人を呼ばわった。
「じいさんが転んで頭打っちまったんだ! 手を貸してくれ!」
労働者たちの言葉遣いを真似て叫ぶと、今度の相手は走ってきた。何であれ古いものと新しいものが現役で混在するこの町らしく、今度の人は若かった。
アズは通路の暗闇で、その人にも早すぎる死を与えた。
すぐに驚くことになった。見張り番が二人とも銃を持っていなかったからだ。
丸腰の人間を殺してしまった。
仕方がない……行くしかない……。
カルシウムライトが真白く照らす窪地を、アズは小走りで通り過ぎた。
そのあとで、粉雪が舞い始めた。