舌戦

文字数 3,965文字

 4.

 親指の爪でマッチをこすると紙巻きタバコに火をつけた。ベッドに座るテレジアの後ろで娼婦は着替えを終えていた。
「もう一発おしりペンペン――」
「他の女にも同じこと言ってるの?」
 ランプが一つ(とも)るだけの暗い部屋で、若い娼婦はテーブルの噛みタバコを取ると、先端を食いちぎった。
「ほどほどにしときな、そんなもの」
「ほっといて。あなたこそ日がな一日こんなところにいていいの?」
「鳥が網にかかるのを待ってるのさ」
 タバコを噛むのを中断し、娼婦はテレジアの空虚な横顔に注目した。同性の大事なところを滅茶苦茶にするのが大好きな女だ。テレジアが抱いたばかりのこの女も、ルシーラも、テレジアのことが嫌いだが、強烈な魅力に惹きつけられていることを認めてもいた。
「カワセミなんだ。聞いたことがあるかい?」
「いいえ。鳥飼いの鳥? 野生の鳥?」
「そりゃ鳥飼いの鳥に決まってる。野生のカワセミは魚を取るんだ。私が追うカワセミは命を取る」
 つまらなそうに笑って、テレジアは一口しか吸っていないタバコを灰皿に押し付けた。
 今度の娼婦はルシーラよりは勘が鋭かった。
「あなた、天使なの?」
 テレジアは横目で娼婦を見て微笑んだ。
「なんで?」
「強い人じゃないと無理でしょ? 鳥飼いから鳥を取るなんて」
「鳥飼いを説得できればいいんだけどな。連中にとって鳥は命だ」
「殺すことになるの?」
「女の子だ」
 テレジアは遮った。
「十四歳の。二人連れだ。思い当たる節はあるか?」
 テレジアは伝え聞くところの少女二人の特徴を伝えた。雑談だ。
 だが「もしかして」と、娼婦は囁いた。
「同業者にルシーラっておばさんがいるんだけど」
「あいつね、はいはい」
「おばさんは日がある間ここで働いてて、私は夕方に来るでしょ、それでね、私が出てくるときに見たんだけど」
 娼婦はルシーラの自宅の玄関先での一件、二人の少女を客として招き入れたこと、娼婦が買い物を済ませてもう一度通ったとき、少女たちがルシーラの家から出てきたことを話した。二人の会話から、セレテス記念中等学校に行くところだったらしいことも。しかも一人は腰に短い剣を差していて、コートが翻ったときに一瞬見えただけだったけど、あれは死者を斬るためのものだと思う、と。
 話しながら、怯え、小声にならざるを得なかった。テレジアの目の光が針のように鋭くなっていったからである。
 話が終わるとテレジアは弾みをつけて立ち上がった。振動が、マットレスから娼婦の太腿に伝わった。
 テレジアは黙ったまま革のジャケットに腕を通した。
「どこに行くの?」
 窓の向こうを車が流れ去った。カーテン越しのヘッドライトがテレジアの顔を浮かび上がらせた。
 テレジアが内ポケットから何かを取り出し、ベッドに戻ってくると、その何かを娼婦の鼻先に突き出した。
「その子たちを見つけたら教えろ」
 ランプに照らし出されるそれは、まぎれもなく金塊だった。
 娼婦はたまらず金塊に手を()べる。
 と、たちまちテレジアの左手によって手首をひねりあげられた。金塊はシーツの上に落ち、娼婦は短い悲鳴をあげた。
他言(たごん)は無用だ」

 ※

 小さな公園の、(もみ)の大樹の下で待つこと数十分。
 その人は現れた。
 校門から通りを渡って公園の入り口に立つ。緑地のそこかしこから愛を交わす男女の囁き声が聞こえていた。公園は一枚の厚い壁に貫かれていた。チルーはもたれかかっていた壁から背を離した。
 紫色に暮れる空の下、スアラもまた、自分を待ち受ける二人の『友達』を見つけた。

 ※

「リリス・ヨリスです。こちらはチルー・ミシマ」
 樅の木の下で、リリスは人目を憚りながらも堂堂と挨拶した。チルーはおずおずと挨拶を添える。
「こんにちは」
 スアラはチルーを一瞥(いちべつ)したが、返事をしなかった。
「スアラさんというのはあなたで間違いない?」
「そうだけど」
 リリスを警戒し、スアラは名乗らなかった。
「お年はいくつ?」
「十三歳」
「じゃ、私たちのほうが一歳お姉さんだ」
「何をしに来たの?」
「あなたが魔女と聞いて」
 スアラは表情を強張らせた。
「抵抗教会の人?」
「言葉つかいだよ。魔女じゃない、今はまだ」
 ビーズの音を鳴らしながら、リリスはコートのポケットからロザリオを出した。聖四位一体(よんみいったい)紋を裏返し、公園の入り口にある街灯に向けてかざしながら、そこに書かれた文字を読むようスアラに促した。
「この人を知ってる?」
 周囲が暗い中、目を細めてスアラは読んだ。
「マグダリス・ヨリス……?」
 リリスは頷く。
「そう。死者狩りの英雄」
「有名な人だ」
「私のお父さん」
 スアラは何かを()し量ろうとしてリリスの顔を眺めたが、どういう情報を読み取りたいのか自分でもわからなかった。
「十年ほど前に、この人に直接会ったことがある人を探しているの。たぶん、あなたのお父さんは会っている」
「どうしてわかるの?」
「あなたの持ち物を少し離れた村で見つけたから。ご両親からあなたへの贈りものを、どういうわけだか私のお父さんが持ってた」
 無意識に首をかしげるスアラに、リリスは問いかけた。
「グロリアナに『奏明(そうめい)』の賜物(たまもの)を持つ魔女か言葉つかいはいる?」
「私がそうだけど?」
「あなたじゃない。十年前に既に現役だった人。例えばあなたに力の使い方を教えた先生は?」
「先生はグロリアナを出て行った」
「あなたのお父さんは?」
 その質問の何かがスアラの逆鱗(げきりん)に触れたらしい。(まなじり)が吊り上がる。第一印象からして性格のきつそうな子だと思ったが、チルーは今度は恐い子だと思った。
「さっきからなんなの? お父さんは関係ないでしょ!」
「心当たりを尋ねたいだけだよ」
「リリスって言ったね。あなた、持ってる賜物は?」
「石工」
「あんたは?」
 敵意に満ちた目がチルーに向けられた。
「鳥飼いです」
 二人の答えはスアラを満足させたらしい。あからさまな態度で見下した。
「ありふれた奴らだ」
「能力がありふれているかどうかは言葉つかいの評価に関係ない」
 背の高いリリスが物理的に見下し返す。
「大切なのは真っ当に教育されているかと、死者の前で怖気(おじけ)づかないかだよ。あなたはどう? そんなに心が強いようには見えないけど、大丈夫?」
 リリス、やめよう。
 と言う前に、スアラの反撃が繰り出された。
「真っ当な教育って何さ。朝から晩まで学校に飼われて、卒業したら朝から晩まで教会に飼われるだけでしょ、あんたたち。それで馬みたいに交配させられて、言葉つかいを産めなきゃ用無しだ。バカみたい」
「で?」
 スアラは大嘘をついた。
「私には自由がある」
 言わなきゃよかった、と、後悔したがもう遅い。その嘘は、他ならぬスアラ自身の心を弱らせた。今にも折れそうな心を。
「ねえ、やめて」
 今度は、チルーはうまく割り込めた。
「私たちはあなたを傷つけたり、喧嘩をしに来たんじゃないの。リリスが言ったことは私が謝ります。ごめんなさい」
「コイツに謝らせて」
 チルーは半ばいやになっていた。頭の中はぼんやりしていた。「いいから静かにしてよ」と言える強気さがあったらどんなによかっただろう。
 リリスは口を開いた。当然、謝罪のためではない。
「私はただ、あなたのお父さんと少しだけ話をしたいって言っただけなんだけど?」
 スアラは眉をひそめ、「それって図々しくない?」
 男子部では昆虫を集めて戦わせる残酷な遊びがはやっていると聞いたことがある。二人の様子はチルーにそのことを思い出させた。つい薄笑いを浮かべたが、リリスもスアラも見ちゃいなかった。
「だったら怒られることにしようか、あなたのお父さんに」
 スアラ対リリス。ムカデ対スズメバチ。
「やだね。お前なんか一歩も家に入れてやんない」
「なんで? あ、もしかしてあばら屋なの?」
「家なしがよく言うよ。少なくとも私ははした金で公教会に売られたわけじゃない」
「やめて」チルーはさらに下手(したて)に出て、傷ついてみせることにした「ひどいこと言わないで。悲しいよ」
 意外にも、スアラはチルーが傷ついたことに傷ついた様子だった。黒い瞳に罪悪感と気まずさが光るのを見逃さなかった。攻撃的だが、人の痛みに共感する能力は持っているらしい。
 スアラは一旦口をつぐんでから、いくらかトーンダウンしてチルーに尋ねた。
「鳥飼いだって言ったよね」
「ええ」
「鳥を連れてるの?」
「ううん」咄嗟に嘘をついた。ゆえにわざとらしくなった。「まだ自分の鳥には会えてないの」
 白々しいかと思ったが、スアラは落胆した。信じたのだ。
「あの……鳥がどうかしたの?」
「別に」スアラは鞄を肩にかけ直した。「帰る」
「待ってよ、話終わってないんだけど」
 立ち去りかけたスアラは、嫌悪を込めてリリスの顔を観察した。
 それから言った。
「学園の子も惨めなもんだね」
「なに、急に?」
「お父さんが言ってたよ。言葉つかいが自分の子を自分で育てないのは、我が子を愛する能力がないからだって。あんたたち学園で虐待されてるんでしょ?」
 今度こそ本当に、チルーは傷ついた。
「人は人にされたことを人にするの。人に虐げられたあんたは、人を虐げるようになるんだ」
「それはあなたのことじゃないの? スアラちゃん」
 リリスが嫌みったらしく言い返すと、スアラは肩を揺すって笑ったが、遠い街灯を浴びる顔が一瞬で上気したことは夜目にも明らかだった。
 冷静になれば、公園は夜だった。チルーとリリスはどちらも無言で立ち尽くした。
 スアラは去ってしまった。チルーのほうから口を開いた。
「ムカデみたいな子だったね」
「……えっ、なに?」
「すごく噛みついてくる子だなって思ったの」
 リリスは大袈裟なほど繰り返した。
「それでムカデね、なるほどね、ムカデかあ」
 ムカデ、ムカデと言っているが、虚しそうだった。
 リリスはスズメバチだけど。
 チルーは心の中で言った。



 
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登場人物紹介

■チルー・ミシマ

■14歳/女性


『言葉つかい』と呼ばれる異能力者の育成機関、聖レライヤ学園の第十七階梯生。

内気で緊張に弱く、場面緘黙の症状に悩んでいる。

『鳥飼い』の賜物(=異能力)を持つ。

■リリス・ヨリス

■14歳/女性


チルーの同級生で、唯一の友達。『英雄の娘』と呼ばれるが、両親のことは名前以外に何も知らない。

迷宮の壁に作用する『石工』の賜物を持つ。

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