説得

文字数 3,614文字

 4.

 昼頃テレジアの修道院に車で乗りつけたエンリアは、修道女たちとその家族の面会に使われる狭苦しい面談室に通された。これ以外の部屋は男子禁制なのだ。透明なガラスが入った正方形の窓からは、プリムラの花が薄紫に染め上げる冬の庭園が見えた。
「あの工事現場で間違いなさそうか?」
 五歩で横切れるほどの幅しかない細長い室内に案内されるや、エンリアは挨拶もそこそこに切り出した。壁にもたれて庭を見たままテレジアは頷いた。
「ああ」
「今日明日で終わるような工事じゃない」
 エンリアもまた窓辺に寄った。何も知らない修道女たちが、少女から老婆まで、庭の片隅の洗濯場で(たらい)を並べて洗濯の最中だ。
「あの家の権利の半分はグロリアナに住んでる革命家のものだが、残りの半分は遠方に住む兄弟のものだ」
「へえ。その兄弟とやらも革命家か?」
「まだそこまではわからんが、いずれにしろ書類に不備があるこたぁ確実だ。工事を遅らせられる」
「仕事が早くて助かるよ」
 庭で弾けるような笑い声があがった。誰かが冗談を言ったのだ。洗濯が終わる頃には両手はあかぎれだらけになっているだろうに、どの年代の修道女たちも陽気に見えた。
 エンリアは、洗濯場からテレジアの物憂い表情へと目を移した。
「お前は嬢ちゃんから作業について話を聞けたのか?」
「まだ何も。部屋に案内した途端に眠っちまってねえ」
「家じゃ安心して眠れなかったのさ」
「ふぅん。お前、何を知っている?」
 聞き耳を立てる者などいないとわかっていながら、エンリアは声をひそめた。
「あの子、父親にレイプするって脅されている」
 長い睫毛が気怠げな影を落とすテレジアの瞳が、ナイフのようにぎらついた。
「確かかい?」
「ああ、確かさ」
 敢えてテレジアは根拠を尋ねなかった。
「テレジア、任せる。父親から確実に守られるってわかれば、あの子は工作物を壊す約束にだって同意するかもしれないんだ」
「壊す約束?」
 テレジアは右手を振った。
「馬鹿言ってんじゃないよ。作ったものを壊してくれと本人の口から言わせるさ」
 うら若い修道女たちは、いつしか興味津々の様子でエンリアたちがいる窓に顔を向けながら、噂話をしあっていた。その視線を受け止めるエンリアは、広がる憂鬱を自覚しながら同意した。
「……だな。それがいい」
 テレジアは返事をせずに、もたれていた壁から背を離し、せっかちな歩調で面談室から出ていった。

 ※

 少しして、テレジアはスアラを連れて戻ってきた。エンリアの目に映るスアラは、昨日の夕方よりも弱っていて、顔は青白く、自失していた。だが、エンリアの顔を見ると頬に赤みがさした。目に光が宿る。
「エンリアさん」
「よう」
 エンリアは右手を上げて微笑んだ。
「話は聞いたぜ。悪いなあ、嬢ちゃん。もしかして俺のせいか?」
「え?」
「逃げて来いって言っただろ? もしかして、俺のところに来る途中だったんじゃないかと思ってさ」
 スアラは面談室の中央まで来て、椅子を引いて座った。
「そういうわけじゃないよ」
「そうか。でも、大変だったな」
 小さな机をはさんでスアラの向かいに座り、(いたわ)った。思いやりがあるからではない。仕事だからだ。だが、その一言で少女の目はじんわりと潤んだ。
「嬢ちゃん、何かいるものあるか?」
 スアラは呟く。
「眠い」
「ごめんな、押しかけて」
「私、いつ家に帰ることになるの?」
「帰れるようになったらさ。でもよ、言っとくけど、悪いのは嬢ちゃんのほうじゃねえ」
「私のほうじゃないなら――」
 そこで、スアラの中で何かが繋がったようだ。表情から眠気が吹き飛び、ありありと恐怖が浮かぶ。
 そう。
 エンリア自身、昨日スアラに親を売れと勧めたのだ。
「何も心配すんな、嬢ちゃん。あんたは何も悪くねえ」
「お母さんを助けて!」
 机から身を乗り出してきた。
「お母さんは何も悪くない。巻き込まれただけなの。結婚するまでこんなことになるなんて知らなかったんだから!」
「うん」エンリアは冷静に頷いた。「結婚するまで異端の信者だと隠す。そうでなくても結婚した後に過激化する。よくあることさ。わかってる」
「私、どうなるの?」
「ちょっといいかしら?」
 口を挟んだテレジアが、スアラの真後ろに立った。
「スアラ、私はこの街で救貧の聖女と呼ばれています。けれど、私がグロリアナに派遣されたのは修道院の経営のためだけではありませんでした」
「それが何か――」
「私はあなたに会いにきたの、小さな魔女。あなたを私に託したのは、あなたの知っている人物です」
「……ルーリー先生? そうなの?」
 苛立ちによく似た悲しみが胸に広がるのを、エンリアは隠していた。嬢ちゃん、どうして信じちまうんだ? あんた、大人たちの戦争に加担するには素直すぎるぜ。
 もっとも、テレジアは全くの嘘を言っているわけではなかったが。
「ええ。あなたのことはセナからよく聞いております。彼女はいつもあなたを気にかけていました」
「どうして先生とテレジアさんが知り合いなの? 先生はどこにいるの?」
「セナは安全なところにいます。彼女は抵抗教会を裏切ったのですよ。けれど、もしもあなたが親の言いなりに革命に加担するのなら、いずれは戦場で師弟同士で殺し合いをすることとなるでしょう」
「……嫌だ」
 ここぞとばかりに、今度はエンリアが割り込んだ。「嬢ちゃん、だから俺は言ったよな。悪いとわかってる奴とは手を切れって」
「でも……じゃあ……私はどうすればいいの? その悪い奴がいるのは私の家なんだよ?」
「あなたは家を失うことになります」
 非情なほど率直に、事実だけをテレジアが告げた。
「家と、親と、親からの愛情と。あなたは誰もが持っているものなしに生きていくことになります」
「なんで? なんで私ばっか! 私が何をしたって言うの!?」
「このことを受け入れないならば、あなたは戦場に送り込まれる」
 テレジアはスアラの両肩に手を置いた。真っ赤に充血したスアラの目の端に、ついぞ涙の粒が宿った。
「お聞きなさい、スアラ。私たちはあなたに家を捨てろと押し付けるつもりはありません。けれど、あなたは家にいたら、別の苦しみを押し付けられることになる」
 スアラは硬直し、返事をせず頷きもしなかったが、確かに聞いていた。
「人は押し付けられた苦しみには耐えられません。けれど、自ら選び取った苦しみには耐えられるようにできているの。心ない言葉だけが降り注ぐことになっても。
 だから、スアラ。あなたが選び取るの。あなたが決めるのよ」
「でも、お母さんが」
「冷たいようですが、スアラ」
 声まで冷たくならないよう、テレジアは最大限の注意を払っていた。
「あなたのお母さんがたとえ一人ぼっちの最期を迎えるとしても、それは本人の生きる態度が招いた結果です。親子とはいえ違う人生と人格を持つあなたが自己を犠牲にしてはいけません」
「ちょっと何言ってるのかよくわからないです」
「わからないなら、今はそれで構いません。それでもあなたは決めるの。今ここで」
「親を捨てるなんて駄目だよ」
「どうして駄目だと思うの?」
「許されない」
「誰があなたを許さないの?」
「……みんな」
「みんなとは? 親? ご近所の方々? それとも学校の先生?」
 スアラは机に両肘をつき、深くうなだれて頭を抱え込んだ。
「生み育ててくれた恩があるとか……それは悪いことだって……子供が面倒を見ないなら誰が介護をするんだって……誰だってそう言うよ」
「私は言いません」冷厳に、テレジアは一言ずつ言い聞かせた。「私は、そのようなことは、絶対に、言いません」
 スアラは背中を倒し、机に鼻と額を押し付けた。嗚咽が漏れ聞こえた。体は震え、白いクロスに涙が滲むのを前髪が隠している。
「良い悪いの問題ではないのです」
 それでもテレジアはスアラの肩から手を離さなかった。
「もし仮に、ここであなたが自己と人生を選び取ることが悪であるとしても、それをしなかったばかりにもっと大きな悪を呼び込むことになるのなら、あなたは悪でもそうするしかないのです」
「悪でも?」
「ええ」
 テレジアは屈み、スアラの耳に口を近付けた。
「悪の中にいても、最善は尽くせます」
 スアラが顔を机から浮かせる。
「最善って、なに?」
「するべきことを、することです」
「するべき……」
「教えてくれ」
 手の甲で両眼を(ぬぐ)うスアラに、エンリアは問いかけた。
「嬢ちゃんがするべきことをするのを一番邪魔してるのはなんだ? 今、一番気になってるのはなんだ?」
「……私」
 差し出されたテレジアのハンカチを受け取って、声を詰まらせながらスアラは訴えた。
「作ってるものがあって」
 葡萄の刺繍がされたハンカチだ。エンリアは相槌を打って続きを促す。
「ああ」
「私がいなくなった後で、それが勝手に使われるくらいなら……いっそそれぐらいなら」
 ハンカチに顔を(うず)めた。涙を止めるかと思いきや、それを(ほとばし)らせた。
「お願い。鯨を燃やして!」


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登場人物紹介

■チルー・ミシマ

■14歳/女性


『言葉つかい』と呼ばれる異能力者の育成機関、聖レライヤ学園の第十七階梯生。

内気で緊張に弱く、場面緘黙の症状に悩んでいる。

『鳥飼い』の賜物(=異能力)を持つ。

■リリス・ヨリス

■14歳/女性


チルーの同級生で、唯一の友達。『英雄の娘』と呼ばれるが、両親のことは名前以外に何も知らない。

迷宮の壁に作用する『石工』の賜物を持つ。

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