魔女の行方

文字数 3,574文字

 4.

 はっ、と目を覚ます。アズとスーデルカは互いの顔を見合った。二人とも鯨の内部で、ツバメの絵の前に立っていた。
 アズは振り返る。視線を浴びて、ガラヤがびくりと竦んだ。
「俺たちはどこに行っていたんだ?」
「えっ……」おどおどと、ガラヤは自分の腕を抱く。「ずっとそこに立ってましたが……」
 ガラヤはもの問いたげな目をしていた。アズは独り言を呟いた。
「王は死んだ」
「あなたは何を見たのですか?」
 スーデルカが尋ねた。見ないほうがいいものだった。アズは唇を噛む。それでも見るべきだったのだ。王は知られることを望んでいた、自分が始めたことを。
「ラティアさん」
「もう教会には戻らない」
「信仰を失うほどのものを、見たのですね」
 アズは浅く頷いた。
「聖四位一体の教義の柱、信仰、希望も」
「信仰、希望、愛です。あなたは愛まで失ったのですか?」
「もうわからない」アズはうめいた。「何も愛していないか、でなければ全てを愛しているかです。どちらかだ」
 スーデルカは不思議そうな目でアズを見つめた。
「あなたはテレジアと同じことを言うのね」
 銃声で我にかえる。
 誰かが撃ち返した。アズは鯨の天井から垂れる縄梯子を掴んだ。足をかけたときだった。スーデルカが言った。
「全てを愛した人間は、死ぬことになるのよ」
 アズは縄梯子を上りきるや、素早く目視で状況を確認。
「二人とも、今のうちに!」
 岩屑にライフルを乗せ、山道を上ってくる聖教軍の兵士を撃つエンリアが見えた。アズは梯子を使わず地面に飛び降りる。
 ガラヤが小さな体をさらに縮こませながら、冬の澄んだ青空を背景に姿を見せて、それから梯子を下りた。
 銃声。最後に現れたスーデルカの肩に、血飛沫が散った。声もなく、スーデルカが地面に落ちてくる。アズはそれを反射的に抱き止めると、「お兄さん、こっち!」エルミラが手招くほう、鯨の陰へとスーデルカを引きずっていった。
「ガラヤ、何をしている!」
 立ち尽くしていた少女もまた、アズの声を合図に鯨の陰に逃げ込んだ。セフはアズの避難を援護すべく撃っていた。
 銃弾の届かない場所で、アズはスーデルカを砂礫に横たえた。左肩を撃ち抜かれていた。出血が止まらず、見る間に顔面蒼白になっていく。アズはマフラーを外して傷口に押し込んだ。
「ラティアさん、私たちは」スーデルカは意識があるうちに何かを伝えようとしていた。「自ら望んだわけでもないのに、生まれ落ち、束の間生きて苦しみ……さまよい……永く眠る」
「喋らないでください。ブラザー・エンリアを呼びます」
「私は愛を見失って、取り返しのつかない過ちを――どうかあなたは――」
 スーデルカは瞼を閉ざした。へたり込むガラヤの隣で、エルミラがスーデルカの手を取った。
「嫌だ、先生! 嫌だよ!」
 アズは鯨の陰から飛び出すと、一目散にエンリアの近くの岩陰へと駆け抜けた。弾丸が背後を飛び抜けた。
「ミズゥ」
 思わぬことに、その岩陰には南ルナリアの夢見がいた。銀髪に黒いリボンの夢見は、視界に入り次第兵士たちを眠りに陥らせていたが、アズが接近すると物憂げな目を向けた。
「扉を開けてください、あなたの夢に見た扉を」
「どうしてあなたはそんなことを」
「他に道がないのなら、開けて進むしかないでしょう。罪の扉でも、痛みに満ちた扉でも……」
 言うなり、ミズゥは次の兵士を狙うべく岩陰から顔を出した。瞬間、その眉間にライフルの弾頭が着弾。頭部が弾け飛び、アズはその無惨な最期から目を背ける。
「後退しろ!」
 セフが叫ぶ。一時銃撃がやみ、アズは鯨の陰へ駆け戻った。
 青紫色の顔をしたスーデルカの隣には、既にエンリアが戻っていて、(ひざまず)いていた。アズを見て首を横に振った。
「先生は、先生は最後まで一人じゃなかったよ」
 涙ぐむエルミラに、エンリアは容赦なく言った。
「周りに誰がいようといまいと人は一人で死ぬもんだ。他の奴らは生きているのに、自分は一人で死ななきゃならねえ」
「そんなこと言わないで!」
「自分自身の資質が最後まで自分と共にいる。覚えとけ、自分が死ぬときのために。スアラは孤独じゃなかった」
 狼犬の咆哮。
「行くぞ」セフもまた鯨の陰に逃げ込んできて、岩場の道を顎で指した。「先導しろ」
 先頭にアズ、後ろにエルミラとガラヤ、そしてセフと犬が続く。
 ライフルに弾を詰めていたエンリアがついて来ないことに気がつき、走ろうとしていたアズは足を止めた。エンリアが叫ぶ。
「行け! 時間を無駄にするな!」
 アズは走り出した。エンリアはしばらく敵を足止めしていたが、その銃声も聞こえなくなった。やがて煙の匂いが風に乗って届いた。
 ときどき転びそうになるガラヤを手助けしながら走ってきたアズは、鯨があったあたりから煙が上がるのを見た。燃やされているのだ。
 と、一筋の青い光が煙を裂いて飛び出した。レライヤのカワセミだ。それはあっという間にアズたちに追いついて、ガラヤの鼻先でホバリング。すぐに体の向きを変え、道の先を羽ばたいていく。
「君たちは先に行け、あれを追うんだ!」
「うん!」エルミラは涙を拭い、ガラヤの手を取った。「今までありがとう。お兄さんは死なないでね!」
 少女たちは駆けていく。そう。今、手を取り合うがいい。いつでも放せるのだから。
 エンリアを見殺しにした。アズは額の汗を(ぬぐ)う。真実のためについて来てくれたエンリアも、スーデルカも、ミズゥも、真実を知ることなく逝った。
 死のその先で、知ることになるだろうか?
「……天の御国(みくに)で会いましょう」
 銃声。
 アズが後ろに飛びすさると、セフが後ろから突き飛ばされたように倒れ込んだ。
〈アズ!〉
 意識を塗りつぶされるほどの叫び。アズは自分の声で自我を保った。
「リール!」
 左手に光を集める。天の光は、岩場のカーブを打ち据えた。カーブから、血を流しながらリールが転がり出てきた。拳銃を握りしめる彼女の体は両断されていた。
 アズは左手に自分の拳銃を握る。この力が賜物ならば、二度とこのようには使うまい。セフはというと、自力で身を起こして座り込み、血を流しながら岩屑にもたれかかっていた。
 右手には手榴弾を握っている。
「セフ神父、まさか」
「走れ」
 それだけだった。セフはピンを抜くと、手榴弾を自分の背後の岩塊に、最後の力で投擲した。主人を傷つけられた狼犬の、荒ぶる咆哮と人の悲鳴が聞こえてくる。銃声が二発。狼犬の声もやんだ。
 言われた通り、アズは走った。ただ走る。手榴弾が炸裂し、轟音を立てて岩が崩れる。間もなく細かな粉塵がアズに追いついた。
「セフ神父――」
 短い付き合いだった。それでも、濃い時間だった。
 何を愛しているかわからない、だと?
 アズは駆け抜ける。
 冗談ではない。いなくなってほしくない、なくなってほしくない、ただそれだけで愛だったのだ。何を難しく考える必要があったのだろう。
 セフと犬。ミズゥ。スーデルカ。エンリア。リール。
 何もわかっていなかった。昨日いた人が今日もいることは当たり前ではないことに、通り過ぎる景色を愛していたことに、通り過ぎる人々を愛していたことに、もっと早く気付いていればよかった。
 眼下の入り組んだ岩場の細道に、少女たちが消えていく。
 俺はまだ人を撃てるだろうか。
 アズは足を止めた。
 できない。だが、岩で崩れた道をそれでも乗り越えてくる兵士たちを、少女たちとは別方向に誘導するくらいはできる。
 予備の弾倉は三つある。アズは拳銃のセレクタをセミオートからフルオートに切り替える。もう精密な射撃は必要ない。撃ちまくれ。全て撃ち尽くしてしまえ。いいや、最後の一発は自分のためにとっておこう。
 魔女は西へ逃げた。別の魔女が追った。
 壁の聖女の物語も、この詩のように生まれたのだろう。言語生命体は地球人によって創られた。神の直接の被造物ではない。だから、種族全体が求めていたのかもしれない。地球人のように、神から子をいただけることを。
 ああ、聖四位一体の教義が偽りでも、神そのものはおられるのだろうか? 神がおられるなら、俺が最善を尽くしたことを知っておられるだろうか?(ああ、俺は最善を尽くしただろうか? 犯した罪も善に変えられることがあるだろうか? どうかそうであれ!)
 崩れた岩をよじ登ろうとする聖教軍の兵士が、岩屑の天辺に指をかけた。アズはその指の近くを撃った。岩のかけらが散り、指が引っ込む。
 アズは少女たちが逃げた道とは別の細道を、ときどき銃を撃って居場所を知らしめながら走った。道がどこへ続いているのかは知らない。どこでも同じことだ。最終的に死ぬのなら。
 神よ、これ以上どこをさまよえばあなたに会えるのか。
 少女たちは逃げて、ときどきアズの銃声を聞いた。魔女は西へ逃げた。別の魔女が追った。
 魔女たちの行方は知れない。


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登場人物紹介

■チルー・ミシマ

■14歳/女性


『言葉つかい』と呼ばれる異能力者の育成機関、聖レライヤ学園の第十七階梯生。

内気で緊張に弱く、場面緘黙の症状に悩んでいる。

『鳥飼い』の賜物(=異能力)を持つ。

■リリス・ヨリス

■14歳/女性


チルーの同級生で、唯一の友達。『英雄の娘』と呼ばれるが、両親のことは名前以外に何も知らない。

迷宮の壁に作用する『石工』の賜物を持つ。

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