命をすなどる

文字数 2,871文字

 ※

 あの脱走兵たちは、何が欲しいのだろう。自由か。ならば奪って逃げるのみ。聖教軍への復讐か。ならば革命軍を目指す。道すがら、奪うのみ。
 または個人間の復讐。
 一度は逃げた花嫁が戻ってきて(なた)を振りかぶった。彼女は手近にいた一人の頭にそれを振り下ろしたが、義理の兄のもとにたどり着けず撃ち倒された。図らずも、新郎新婦は寄り添うように横たわった。誰かが猟銃を撃った。兵士が撃ち返した。排莢(はいきょう)された先の地べたでは、鉈で頭を殴られた兵士が死へ向かういびきをかき始めた。
 猟銃を持ち出した村人は一人だけだったが、世の中への恨みつらみを募らせた脱走兵たちを刺激するには十分だった。ラナの夫は、なんとまだ広場に残っていた。全てを諦め、悲しげに首を振っていたが、その首に流れ弾が穴を開けた。彼がドライフラワーを積んだ荷車に背中から倒れ込むと、白い花も、ピンクの花も、黄色い花も、体のまわりで血を吸って赤黒くなっていった。
 チルーたちは屋敷へ走ったが、そこにたどり着くには背中を晒して丘を駆け上らなければならないことに気がついた。リリスが進路を変えた。丘を巻く、別の細い道を選んだのだ。
 しばらく走ると低い壁に行きあたった。
 壁は石工によってくり抜かれ、聖母フローレンの小さくて歴史のある祠になっていた。抵抗教会が聖母への崇敬を偶像崇拝と見做(みな)していることを思えば、よく壊されなかったものだ。聖母像の視線の先に、土を(えぐ)って扉が作られていた。丘の斜面を利用した食糧庫だ。
 ここに逃げ込めば、もうそれ以上隠れることはできない。兵士たちが食糧庫を見つけたとき、分別を取り戻しているか(いな)かは運次第だ。
「入ろう」
 チルーが決めた。たまには自分が決めたかった。
 食糧庫を開くと、中は思ったより広く、さらに意外なことに、食料はなかった。屋敷に人が住まなくなって以来放置されていたのだろう。壁の両側にからの(たな)が設けられているが、両腕を左右に伸ばせるだけの余裕があった。奥行きは五十歩ほどもある。奥の壁に十人ほどの男女が身を寄せあってうずくまり、目だけ大きく見開いた無表情でチルーたちを見ていた。その中に、チルーに微笑みかけた青年はおらず、彼の生死はわからなかった。
 扉を閉ざすと光が遮られ、村人たちの顔も見えなくなった。
 リリスは食糧庫の奥に行かず、暗がりでチルーの手を取った。
 耳もとで囁いた。リリスの息はワインの匂いがした。
「あいつらの気を引く方法ならある」
 どうしてお酒を飲んだりしたの?
 だが聞いて何になろう。
 右の手袋が外された。カワセミの紋様がある右手。その掌をリリスの指が撫でる。
 冷え切った指だった。彼女は最初から手袋をしていなかったのだと、今、はじめて気がついた。
「駄目」
 と、口をついて出た。
 鳥が死者の巡礼団を呼べば、あの脱走兵たちはついていくだろう。でも、どうしてそんなことをしなければならないのだろう? 人間は、放っておいても皆いずれ死ぬのに。
 扉が開かれた。冬晴れの()が差した。チルーは飛び上がる。だが外に人の姿はない。風のせいだ。建て付けが悪く、きちんと閉まっていなかったようだ。
「閉めないで」リリスが言う。「外を見張ってて」
 それは難しい注文で、チルーは闇に隠れていたかった。結局最もありきたりな形で折り合いをつけた。細く開いた状態で、扉の把手(とって)を握りしめたのだ。
 暗がりの奥を見た。物言わぬ人々が、今も、疑惑に満ちた眼差しを二人に注いでいた。
 その人たちのもとへリリスが歩いていく。寒々しい音を立てながら風が吹き込んできた。天気だけがずっと良かった。銃声はやんでいる……と思ったら、一発だけ鳴った。
「ありがとうございました。私と私の友人を助けてくれて」
「何の話をしていたの」
 女が鋭く問う。
「あの脱走兵たちを大人しくさせる方法があるかもしれません」
「駄目!」
 チルーは叫んだが、誰も彼女を見なかった。ただ、苛立ちの矢が束になって飛んできた。
 そのとき、動くものが目に入った。
 外を窺う。
「どういう方法?」
 鎧がいた。
「聞かせてほしいものだわ」
 教父だ。
「その前に、あなた方にお聞きしたいことがございます」
 食糧庫の奥では、憎たらしいほど冷静に、リリスが話を続けていた。
 外を見つめたまま、チルーは耳当て越しに、ビーズが触れ合う音を聞いた。見なくてもわかる。数珠(ロザリオ)だ。
「子供たちが壁に消えた日、この村に来ていた言葉つかいはこんな名前ではありませんでしたか?」
 チルーは扉を開いた。この場にいたくなかったのだ。
 金切り声を背中に受けた。
 人が、泣き叫んでいる。
「出て行け! やっぱり言葉つかいなんてろくなもんじゃない!」
「この人はどこへ行ったの」
 一人、光の中に歩み出る。
 教父は祠の前で立ち尽くして待っていた。
 長く記憶に残るほど、美しい冬の日。
 白い息が風に運ばれていくさまは、じゃれあいながら駆けていく子供たちのようだった。丘では起伏の陰となる部分に霜が溶け残って模様を描き、刻々と角度を変える太陽が丘の模様を変えていた。丘の向こうに頭を見せるルナリア山塊は純白で、その稜線を視線でなぞり、東へ顔を動かせば、村で唯一の泉がある。薄く張った氷は融け、天の(けが)れなき恵みの光を水面(みなも)に散らしていた。
 その泉のほうへ、土の上を人が這っていた。あとに血の筋が残った。その人は泉にたどり着き、両手と顔を水につけると、体の力を抜き、動かなくなった。
 チルーは教父に目を戻す。その鎧に宿る人物が彼なのか彼女なのか、どれほど歳をとっているか、または以外にも幼いのか、わからない。だが土が詰まった兜のスリットの向こうには、優しげな気配があった。
 兜が下を向いた。もし目のスリットから何かが見えるのなら、リリスに手袋を外された、チルーの剥き出しの右手が見えるだろう。
 教父は鉄の指でリリスの右手首をとり、それを両手で握り締めた。
 右手のむず痒さを認めるのも、その感覚が何を意味しているのか思い出すのも、時間がかかった。こんなことをしている場合だろうか、と考えていたからだ。
 教父が手を離すと、カワセミが飛び去った。
 一瞬見えたオレンジの腹と、黒い長いくちばし。
 ピンと張った翼は青緑。
 セルリアンブルーの鮮やかな筋が、教父の肩越しに飛び去った。村へと。
 それはすぐに壁の陰に入り、見えなくなった。
 無音。
 カワセミの後を追って、巡礼の死者たちが出てきた。五列縦隊になり、裸足(はだし)で。
 あの鳥がいると死者がくる。鳥は死者の魂を、魚のように()るのだろうか。何故?

 闇。

 目を覚ます。
「リリスちゃん?」
 幸せそうに微笑む死者たちの出処(でどころ)は、大きく開け放たれた食糧庫の扉。
 扉の奥には、まだ……「リリス!」


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登場人物紹介

■チルー・ミシマ

■14歳/女性


『言葉つかい』と呼ばれる異能力者の育成機関、聖レライヤ学園の第十七階梯生。

内気で緊張に弱く、場面緘黙の症状に悩んでいる。

『鳥飼い』の賜物(=異能力)を持つ。

■リリス・ヨリス

■14歳/女性


チルーの同級生で、唯一の友達。『英雄の娘』と呼ばれるが、両親のことは名前以外に何も知らない。

迷宮の壁に作用する『石工』の賜物を持つ。

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