戦闘開始

文字数 1,957文字

 2.

 青年は、仲間内ではアズと呼ばれていた。アズが橋の詰め所の戸を叩くと、誰だ! と、荒っぽい声が内側から返ってきた。戸の下からは血が外へと流れ出ていた。アズは靴底を血に浸して答えた。
「抵抗教会から助力にやって参りました、言葉つかいの者です。間もなくここにガイエン守備隊が到着します。あなた方に加勢させていただきたく」
 詰め所の男たちは沈黙している。目配せを交わしているところだろう。警戒するのは当然だ。彼らもまた、味方であると偽って、詰め所を征圧したのだから。
 だが、鍵は外された。細く開いた戸の隙間から、小狡(こずる)そうな目がアズを窺った。革命勢力の構成員に、アズは見かけばかりの誠意で目礼(もくれい)した。
「入れ」
 男が戸口からどくと、アズは死体を跨いで中に入っていった。
 煉瓦造りの建物は、木材と漆喰で内装されていたが、今は木材も漆喰も、ねばつく血にまみれていた。職員たちの死体は障害物のように入り口に固められており、三人の男たちが、壁際で、アズに長身銃を向けていた。
「……俺もこいつらに恨みはねぇんだがよ」
 戸を開けた男が、言い訳がましくアズに弁明した。
「仕方ねえ。未来のためだ」
 アズは沈黙を保ち、適当な椅子に腰をかけた。この座席は、ついさっきまで生きていた職員のうちの、誰かの定位置だったはずだ。背中を前に倒し、両膝に肘を乗せ、冷えた両手を口に当てて、息を吹きかけ温めた。その無防備な様子を目にした男たちは、急に気が抜けたようになり、銃口を床に向けた。
「おい、油断するなよ」
 誰かが冗談を言おうとした。
「こいつは銃を向けられながら座り込める神経をしてやがるぜ」
 それを口にした者以外に、笑う者はいなかった。
 時は淀んだ水のようであった。緊張し、苛立ちながら男たちは身じろぎする。火炎銃の火を噴く音が、不機嫌な老人の(しわぶ)きのように聞こえてきた。カタカタ音を立てているのは、バネ仕掛けの鳥ではなく、機関銃である。人の声はほとんど聞こえてこなかった。蜂起はその準備段階と同じく、静かに進められていた。
「変わったもんを吊ってるな」
 薬品で手が変色した男が、アズに話しかけてきた。黙っていられないか、さもなくば、努力をすれば仲良くなれると思っているかのようだった。彼はアズの腰の処刑刀を顎で指した。いかにも時代遅れの品物は言葉つかいの象徴。
「左利きか?」
 アズはもう一度、冷えた指に息を吹きかけた。彼らと口をききたくなかった。情が移るからだ。だが、視線に催促されて、彼が黙ってくれそうな言葉を返した。
「この剣は、人も斬れるが死者はもっと斬れる」
 実に長い夜であった。四人の男たち、二人はアズを見つめ、一人は出入り口を警戒し、もう一人は窓を見つめている。窓にはバリケードが築かれており、申し訳程度の銃眼が開いていた。その大きすぎる銃眼に長身銃の銃口を突っ込んで、抵抗教会の革命闘士は聖教軍が押し寄せるのを待っていた。
 ここ三十年ばかり、公教会の武装は神の教えに反していると訴え続けてきた彼らだ。訴えを続けるには、彼らも武装しなければならなかった。教皇庁はどうしたか。武装解除要求に応じるどころか、今や法の範囲内で行動しようという姿勢すらとらない。その姿勢は、ここレライヤ王国においても同じだった。
「言葉つかいが出てきたら、頼むぜ。ガイエンに戦闘系の言葉つかいは一人しかいないが、そいつが厄介だって聞く」
 アズは男の変色した手に視線を移した。尋ねる。
「どういう奴なんだ?」
「『星月夜の天使』って呼ばれてやがるそうだ」
 天使。それは、公教会に忠誠を誓う言葉つかいの中でも、特に貢献度の高い者に贈られる称号。
「他には?」
「それしか知らねえ。そいつと交戦した奴は全員殺された。だから何も伝わってねぇんだ。えげつねぇほど強いってこと以外な」
「名は?」
 男は首を振る。
「名前どころか顔も、歳も、性別もさっぱりだ」
 わっ、と外で(とき)の声、そして断末魔の叫びがあがった。
「電気を消せ!」
 一人が叫んだときにはもう、別の一人が拳銃で電球を撃っていた。訪れた闇の中で、アズは音もなく立った。
 左手を上げる。
 外の光で男たちが目をくらめている間に、長い人差し指で、窓の外、バリケードの向こうをまっすぐ指差した。
 一番星が落ちたかのように、閃光が瞬いた。
 驚き首を竦める男たちの中、処刑刀を抜き放つ。
「星月夜の天使は――」
 バリケードの手前にいた男が異様な気配に振り向いたとき、彼の死は確定しており、彼の三人の仲間たちは、既に息絶えていた。
 アズが処刑刀の切っ先を男の胸に深く沈める。
 そうしながら、教えた。
「――俺だ」


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登場人物紹介

■チルー・ミシマ

■14歳/女性


『言葉つかい』と呼ばれる異能力者の育成機関、聖レライヤ学園の第十七階梯生。

内気で緊張に弱く、場面緘黙の症状に悩んでいる。

『鳥飼い』の賜物(=異能力)を持つ。

■リリス・ヨリス

■14歳/女性


チルーの同級生で、唯一の友達。『英雄の娘』と呼ばれるが、両親のことは名前以外に何も知らない。

迷宮の壁に作用する『石工』の賜物を持つ。

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