先見

文字数 3,808文字

 1.

 南ルナリア市から()びる地下霊廟は、既に死者が安らかに眠る場所ではなくなっていた。五百年前の遺骨と五十年前の遺骨、()き出しの遺骨と箱に納められた遺骨、貴人の遺骨、聖職者の遺骨、身寄りがない人の遺骨、黄ばんだ骨、白い骨、置かれた骨、壁にかかった骨、その奥へ進むほど霊廟内部の様式が新しくなり、荷運びのトロッコの線路に行き着く。その道の先には、資材でカモフラージュした通路が隠れていた。
 その通路は軍事的な目的で掘られ、その後放棄された。だが最近また革命家たちによって工事が再開されたようだ。
 アズは通路で眠り、汚らしい夢を見た。脱ぎ揃えたブーツの上を毛虫が這い回る夢だ。黒い地肌に赤い縞模様のある、触るとかぶれる毛虫だ。この手の虫に特有の、喉が痛くなるほど塩からい臭いが夢の世界の寝室に立ち込めていた。嫌な気持ちで見ていると、毛虫はブーツの中に入っていった。
 目を覚ますとすぐ追跡を再開した。この四十八時間というもの、光の差さぬ地下通路で、アズは一つの靴型を追っていた。新しく、だが大きさからして女学生のものではない、一人ぶんの靴型だ。やがて地面は土からコンクリートに変わり、靴型は消えたが、幸いにして一本道だったため先行者を見失う心配はなかった。
 懐中電灯の光は既に弱々しく、ゆえに、アズは急ぐ。自然の光が見えた場合には明かりを切った。所々の通気孔から光が差すことがあり、今また天井から新鮮な風と昼の光が届けられる地点にたどり着きつつあった。
 出口はすぐ。そう思わせるほど地上が近かった。手を上げれば届きそうな位置に鉄格子の天井があり、その四隅から土に濡れた木の根が垂れ下がっていた。木の根のカーテンに囲まれた床は、流れ落ちた土と薄い雪で彩られている。
 直感が胸に光り、アズは隅の暗がりに顔を向けた。
 干からびた種が落ちていた。
 楕円形で、握るのにちょうどいい大きさがある。それを拾い上げて外の光にかざした。
 乾ききった桃の種だ。
 悲しいほど軽く、ここから命が芽吹きそうな感じはしない。それでも気になった。先見のきらめきは、この種に気付くよう、確かに仕向けたのだ。
 人の気配が現れた。濃い気配だが、生きているものではなかった。
 それは、空間を四角く囲む木の根のカーテンの奥に垣間見(かいまみ)えた。赤錆(あかさび)に覆われた鉄の塊のようなものだった。
 右手に種を握りしめながら、左手で根をかき分ける。
 光の中で目にしたものは、座り込む鎧だった。コンクリートの床に尻をつけ、両膝を立てて、背を丸め、顔を覆っていた。当然のようにその頭も兜で覆われていた。
 体のどこかを小刻みに動かして、カタカタ音を立てている。
『ああ、スアラ、スアラ』
 鎧の継ぎ目からは、衣服ではなく、土や草の切れ端が見えた。
『……かわいそうな子だ』
「スアラとは?」
 鎧の音が止まる。アズは背中に回した筒状の製図鞄をゆっくりと下ろした。中のものを使うかどうかは相手の反応次第だ。
「あなたは、何者ですか」
 金属の指を兜から剥がし、腕を力なく垂らして鎧は答えた。
『魔女の騎士だ』
「魔女?」
 気の滅入(めい)るような沈黙が訪れた。
「……もしもご存知でしたら教えていただきたいのですが、あなたは二人の女学生を見かけませんでしたか?」
『女学生』
 続く声は明瞭だった。低い男の声だ。
『鳥飼いの少女か』
 唾をのみ、アズは木の根のカーテンをかき分けて鎧の前に(ひざまず)いた。
「いつ、どこで出会ったのですか。教えてください」
『わからん。私はどれほどここでこうしていたものやら』
「彼女たちがどこへ行ったかご存知ですか」
『スアラ』
 と応じながら、兜の目の位置にあるスリットをアズに向けた。
『彼女たちはスアラに会う』
「スアラ? 誰ですか?」
『私の小さな魔女』
 知らず、桃の種を握る手に力が入った。
「どこに行けば、その人に会えますか?」
『ルナリア山塊の西の玄関口だ。山岳鉄道が敷設(ふせつ)されるはずだった町がある』
「……ああ」
 アズは頷いた。グロリアナか。
『私を連れて行ってくれ』
 その言葉を最後に、気配も鎧も急激に薄れ、消え去った。右手に種が残った。種に触れる掌に、アズは不快な(かゆ)みを覚えた。

 ※

 二つ先の通気孔の下で、焚き火の痕跡を見つけた。錆びた缶の蓋をどければ石炭の中に熾火(おきび)が残っていた。嗅覚は排泄物の臭いを捉えた。
 間もなく追いつく。
 人の気配が残るその場を去り、実際に人の背中を目撃したのは、体感で一時間ほど歩いたときだった。
 男だった。中肉中背。猫背で歩みは遅く、疲れている様子だ。
 アズは歩調を合わせる。ただし大股で。処刑刀は既に抜かれ、左手に下がっていた。町が近いのなら銃声を聞き咎められる恐れがあるため、銃は使いたくない。
 男に迫る。
 毛が薄くなりつつある頭頂を凝視する。
 問題は、彼が敵か無害かだ。革命教会の勢力下にあるとはいえ、住民の大半は無辜(むこ)の民であるはず。
 息を吹きかければ届く位置まで気付かれずに接近したとき、後ろ姿の印象よりも若い男だとわかった。アズは右手を男の左肩に置いた。
「こんにちは」
 うわあ! と声を上げ、男は飛び上がった。いきなり左側に現れたアズに向ける顔は恐怖と驚愕で引き攣り、たたらを踏み、腰を抜かす直前で踏みとどまった。
「失礼。驚かせるつもりではありませんでした」
「びびびびび」
 しばらくの間、男は細かく唇を震わせていた。
「びっくりしたなあ、もう! 驚くに決まってるよあんた」
 それから、アズの手にある抜き身の処刑刀を見た。今度の驚きは静かな性質のもののようで、彼は沈黙のうちに青ざめた。
「お尋ねしたいことがあるのですが、この道で女学生を見かけませんでしたか?」
「女学生ってあんた、誰がこんな道を通るもんか――」男は言葉を途中で止めた。「で、ここを通ってるあんたは誰だ?」
「公教会の関係者です。行方不明の学生を探しています」
「けったいな物持ってるな。『天使』か?」
「はい」
 男は明らかに、ここを通っているお前こそ誰だと尋ねられるのを恐れていた。
「……いや、見ないよ、女学生なんか……」
「他にもう一人、誘拐された人を探しています。私と同年代の男性です」
「知らないな、誰にも会ってない」
「この辺りにトラックが通れそうな道はありますか?」
「知らない。あんたはどこから来た?」
「フクシャから。車を借りて、トラックの(わだち)を追って来ました」
 トラックが南ルナリア市に至る道に入ったところで追跡不能となったのだ。
「そっか。大変そうだな。でも力になれねえ。本当に何も知らないんだ」
「そうですか」
「すまんな」
 当たり障りのない挨拶をして、二人は別れた。
 アズは前に出る。一歩。二歩。三歩……。
 六歩めで振り向いた。
 男はベルトに挟んでいた拳銃を抜き、その銃口をアズの背中に向けようとしていたところだった。男は三度めの驚愕に見舞われた。アズが振り向くとは思っていなかったのだろう。
 彼がショックから立ち直る前に、アズは間合いを詰め、男が手に持つ銃を処刑刀の(ひら)で弾き飛ばした。
 銃を失った男の右手首を掴んで肘を引き、前に引っ張った。前のめりに転んだ革命の戦士の背中に足を置く。そして、心臓を一突きした。
 その殺人が行われたのは、最後の通気孔の間近だった。紐が通された布の袋が男の肩からずり落ちた。
 男が命を失うまでには今少しの猶予があったが、意識は既に失われていた。アズは剣で串刺しにしたまま男を引きずっていった。余計な流血を抑えるためだ。だが、いずれにしろ念入りな隠蔽はできない。懐中電灯がなければ視界が効かない通路で、アズは隅に死体を横たえた。黙祷。我らを憐みたまえ。だが、それにしても、主よ、父よ。
 これほど人を殺しまくっておいて、敬虔(けいけん)さが何になるのでしょう?
 殺害の現場に戻り、布の袋を手にとった。
 光の下でぶちまけると、中身は僅かな衣服と封書、油紙で、油紙の中にはパンの粉しか残っていなかった。それらの物の上に、頭上を覆う鉄格子の影が模様を描いた。小鳥が鳴きながら飛び去った。衣服のしわの間にバッジを見つけた。星を戴く馬小屋が(かたど)られている。抵抗教会の象徴だ。
 アズはバッジをズボンのポケットに入れ、他の荷物を袋にまとめた。男が持っていた拳銃を拾い、安全装置をかけ、それも袋に入れた。
 通路の先でコンクリートの階段にたどり着いた。階段に積もるものは、はじめのうちは落ち葉と小枝ばかりだったが、じきに薄雪に変わった。
 階段を上りきり、眼前に外の世界が広がる寸前のところで直感が訪れた。死がそうであるように、直感もまた付かず離れずの距離の友であった。それは夢の続きの姿で現れた。
 現実と二重写しになったイメージの世界で、アズはブーツから引きずり出した毛虫を左手に握りしめていた。毛虫に特有の臭いが立ち込め、痛痒くなっていく手の中で、毛虫は身をくねらせていた。
 夢の世界の寝室でベッドに腰を下ろし、アズは、気持ち悪い、嫌だ、と思いながら毛虫に頭から食らいついた。


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登場人物紹介

■チルー・ミシマ

■14歳/女性


『言葉つかい』と呼ばれる異能力者の育成機関、聖レライヤ学園の第十七階梯生。

内気で緊張に弱く、場面緘黙の症状に悩んでいる。

『鳥飼い』の賜物(=異能力)を持つ。

■リリス・ヨリス

■14歳/女性


チルーの同級生で、唯一の友達。『英雄の娘』と呼ばれるが、両親のことは名前以外に何も知らない。

迷宮の壁に作用する『石工』の賜物を持つ。

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