帰還
文字数 1,220文字
1.
迷宮の壁があるために、都市部の火災は延焼が起きづらい。
にも関わらず、南ルナリアの火は夜半 を過ぎてもなお燃え盛っていた。夜空は炎を映して紅蓮と紫のまだらに染まり、ときおり真白き閃光が爆ぜた。
凍りついた舗道の片隅に煙草が投げ捨てられていた。
あかぎれた革命戦士の指がそれを拾った。
マッチを擦るが、凍てつく風がたちまち火花をかき消してしまう。五回めでようやく赤い火が点 った。
煙草は、唇を火傷するほど短かった。結局、革命家の男は顔を仰け反らせて煙草を落とした。煙草は白い無精髭に覆われた口許から胸へ、胸から腹へ転がり、冷たい舗道へと落ちていった。
仰け反ったついでに、音なき閃光を、男は壁の向こうに見た。
光が消えて、目が眩む。目を落とす。瞼に火災の赤い余韻が残る。火傷を負った唇で囁いた。
「『天使』が戻ってきやがった」
独り言に応えるように、誰かが近くで石を蹴った。石は男の足許を横切っていき、側溝に落ちて音を立てた。
男は怯えて振り向いた。が、どうということはない。小便に行くと言ったきり、かれこれ一時間も姿を消していた相棒であった。
「遅ぇぞ!」
と、文句を言い切る前に相棒が銃口を上げた。
銃弾に胸を貫かれても、彼は相棒が既に死体となり果てていることには気付かずじまいだった。
銃声が響くたびに、子供らの夢は一つ、また一つ、打ち砕かれていく。
※
革命家たちの人体が撒き散らされた。その体に収められていた多量の血液が花火のように四散して、舗道と街路樹と、民家の色を変えた。
「貴様は――」
拳銃を手についてきたセフが何かを言いかける。アズは遮った。
「鳥を探してください」
「鳥だと?」
「はい、青い鳥を」畳みかける。「カワセミです。背中の水色の筋が光るから、すぐにわかるはずです」
「貴様は何を考えている」
「今は、マデラさんと少女たちの安否を第一に」
血と臓物を避けもせず歩みながら、アズは横目でセフを振り向いた。
「ローザ神父の修道院へ連れて行ってください。この辺りは不案内なんです」
「構わんが、何故そんなにも気にかける。行きずりの相手だろう」
「違います」
穏やかだが断固たる口調でアズは答えた。
「私には、あの人たちが必要なんです」
血を踏む、粘性の足音が後ろをついてくる。セフが手足や臓物を踏まないようにしていることに、振り向かずとも、アズは気付いていた。
「ローザの修道院の場所を教えてやってもいいが、残念な結果になるぞ」
「どういう意味ですか」
セフは冷たい視線で顎をしゃくる動作をし、足を早めてアズを追い抜くと、道を右に折れ、歯医者と手芸店の間の闇に入っていった。
空が映す炎の色を頼りに道を行き、その先の階段を上る。
階段の途中で、セフが足を止めた。彼は何も言わなかったが、鼻でため息をついた。顎を上げ、階段の先に聳 える壁を視線で突き刺している。
その冷徹な視線の先、壁の奥で、修道院の屋根の聖四位一体が焼け落ちようとしていた。
迷宮の壁があるために、都市部の火災は延焼が起きづらい。
にも関わらず、南ルナリアの火は
凍りついた舗道の片隅に煙草が投げ捨てられていた。
あかぎれた革命戦士の指がそれを拾った。
マッチを擦るが、凍てつく風がたちまち火花をかき消してしまう。五回めでようやく赤い火が
煙草は、唇を火傷するほど短かった。結局、革命家の男は顔を仰け反らせて煙草を落とした。煙草は白い無精髭に覆われた口許から胸へ、胸から腹へ転がり、冷たい舗道へと落ちていった。
仰け反ったついでに、音なき閃光を、男は壁の向こうに見た。
光が消えて、目が眩む。目を落とす。瞼に火災の赤い余韻が残る。火傷を負った唇で囁いた。
「『天使』が戻ってきやがった」
独り言に応えるように、誰かが近くで石を蹴った。石は男の足許を横切っていき、側溝に落ちて音を立てた。
男は怯えて振り向いた。が、どうということはない。小便に行くと言ったきり、かれこれ一時間も姿を消していた相棒であった。
「遅ぇぞ!」
と、文句を言い切る前に相棒が銃口を上げた。
銃弾に胸を貫かれても、彼は相棒が既に死体となり果てていることには気付かずじまいだった。
銃声が響くたびに、子供らの夢は一つ、また一つ、打ち砕かれていく。
※
革命家たちの人体が撒き散らされた。その体に収められていた多量の血液が花火のように四散して、舗道と街路樹と、民家の色を変えた。
「貴様は――」
拳銃を手についてきたセフが何かを言いかける。アズは遮った。
「鳥を探してください」
「鳥だと?」
「はい、青い鳥を」畳みかける。「カワセミです。背中の水色の筋が光るから、すぐにわかるはずです」
「貴様は何を考えている」
「今は、マデラさんと少女たちの安否を第一に」
血と臓物を避けもせず歩みながら、アズは横目でセフを振り向いた。
「ローザ神父の修道院へ連れて行ってください。この辺りは不案内なんです」
「構わんが、何故そんなにも気にかける。行きずりの相手だろう」
「違います」
穏やかだが断固たる口調でアズは答えた。
「私には、あの人たちが必要なんです」
血を踏む、粘性の足音が後ろをついてくる。セフが手足や臓物を踏まないようにしていることに、振り向かずとも、アズは気付いていた。
「ローザの修道院の場所を教えてやってもいいが、残念な結果になるぞ」
「どういう意味ですか」
セフは冷たい視線で顎をしゃくる動作をし、足を早めてアズを追い抜くと、道を右に折れ、歯医者と手芸店の間の闇に入っていった。
空が映す炎の色を頼りに道を行き、その先の階段を上る。
階段の途中で、セフが足を止めた。彼は何も言わなかったが、鼻でため息をついた。顎を上げ、階段の先に
その冷徹な視線の先、壁の奥で、修道院の屋根の聖四位一体が焼け落ちようとしていた。