結局は
文字数 2,858文字
※
使い慣れた拳銃は的の中心を全弾正確に射抜いた。銃砲店の主人が射撃場の入口で手を叩いた。撃っても脂肪で弾が阻まれそうなほど太っている。
「いやあ、お見事。大した腕前ですな」
禿げ頭の店主にアズは黙って一礼した。
「それにしても、素人が整備中に落としたとかならまあわかるんですが、まさかお客さんほどの使い手がストライカーだけなくすなんて」
「何も聞かないでください」
五倍の金額で最優先での修理に応じた主人は、機嫌よくタオルで顔を拭きながら話し続けた。
「お客様への詮索はしない主義ですがね、もしかしてその銃、またすぐ使うことになります?」
「そうならないことを祈ります」
「ねえ、お客さん、もし」
店主は声を落とした。
「もしも悪意の人間に銃をいじられたってことでしたらね」
店主の仕事が立て込んでいないのなら、五倍の金額は払い過ぎだったかもしれない。アズは銃の安全装置をかけた。
「是非とも当店の会員になってはいかがです? 入会費無料! 秘密は絶対厳守! 余計な詮索はしませんし、特注品もすぐにご用意いたします。お買い上げ金額に応じた割引もいたしますよ。保険の紹介だって」
「結構です。ありがとうございます」
砂埃舞う街路に出たアズを、店主は機嫌よく見送った。
「またどうぞ!」
アズがその店をまた訪れることはなかったが、拳銃はすぐ使うことになった。
アズにはもともと慣れていたことと、ここ数日で慣れ始めたことがある。
『スアラ』
後者については、干からびた桃の種の発声である。
『スアラがいる。スアラ、スアラ、スアラ』
前者については、後ろを尾 けてくる人の気配のことだ。足音が軽く歩幅が小さい。尾行者は子供だ。だが、背中に受ける視線は重く粘着質で、恨みがましい感じがした。
距離を詰めてくる。
大人二人がすれ違える程度の細く人気 がない道で、アズは後ろを振り向いた。
なるほど、子供の物乞いだ。この世の中でアズの心を最も苦しくさせるものの一つだった。ほんの小さな、場合によっては三つや四つの子供が縋り付いてきて、憐れに思って金品を出せばあっという間に他の……大人も含む物乞いに身ぐるみを剥がされる。
アズを尾けてきた子供は、髪が伸び放題で、男の子か女の子かもわからなかった。七、八歳くらいだろうか。縋り付いてはこなかった。ただ、背中に回していた両手を前に出した。
小さな手には拳銃が握られていた。
それをアズに向ける。
考えるよりも動くほうが早かった。自分の銃声で我に返ったとき、アズは肝を冷やしたが、銃弾は子供を傷つけることなく、小さな手に握られていた拳銃を弾き飛ばしていた。
子供が甲高い金切り声で絶叫し始めた。大人たちの足音がほうぼうの路地から迫り――
『スアラだ。スアラがいる。スアラを探してくれ!』
アズはコートの裾を翻し、もともと向かっていた方向へと疾走した。
「後にしてくれませんか」
丁寧だが棘 のある物腰で言い返す。
『まっすぐ行け』
カーブの先に壁が見えてきた。行き止まりだった。
『左だ』
壁の左側には、家と壁の隙間の狭い通路があった。
「待て!」
後ろで男が叫んだが、待つはずがなく。
通路を抜けると壁が途切れ、市電 の高架がある広い通りに出た。荷台にワインを積んだ陸軍のトラックがクラクションを鳴らしながら人混みを割っていく。祈りの声が聞こえた。
「慈しみの御 眼差しもちて我らを守りたまえ。我らの弱きを助けたまえ。我らを清く保ちたまえ。我らを救いに適 わしめ給え――」
日が暮れるまで祈っているつもりだろうか。アズは聖職者の端くれだが、祈りの列の参加者たちは暇人だと思った。トラックの向こうで一際高く聖四位一体紋が掲げられた。色は嘆きを表す黒で、トラックと巡行の列に圧迫されて人の密度が高くなった。その人の海に、アズは通路から身を踊らせて飛び出した。
「待てつってんだろうが!」
人にぶつかった。アズが着るのとよく似た黒いコートの中年の婦人で、アズが振り向いた瞬間に、桃の種が、アズにしか聞こえない声で叫んだ。
『スアラ!! スア、ラ!! スア……ラ!!』
髪をひっつめ、黒いレースのシニョンでまとめた品のいい婦人だった。視線があう。瞳には、理知と、切羽した光があった。
「どけ! 道をあけろ!」
アズは初めて後ろを見、子供を出 しに追い剥ぎまがいの行為をする連中を見た。体格のいい荒くれ者たちだ。
婦人が身を翻し、トラックの進行方向へ走り出す。
男たちは目印にしていたのであろう黒いコートを追いかけた。アズではなく婦人のほうを。
トラックを通すために割れた人垣、その空間が埋まる前に、婦人はトラックを追って走っていた。荒くれ者たちが群衆を押しのけ、突き飛ばしながら距離を詰めていく。
『あの人を助けろ』
重々しく種が命じた。これまでの鬱陶しい泣き言とは違う、意志と威厳のある声だった。言われるまでもなく、今度はアズが荒くれ者たちを追う側になっていた。あの女性が追われるのは自分のせいなのだから。流石にこれを放っておくつもりはない。
トラックが通り、シニョンの婦人が通り、その跡を荒くれ者たちが通った。その後の道はまだ塞がっていない。呆気にとられて見送る人々の間を縫い、前方で、男たちの一人が婦人の肩に手をかけた瞬間。
アズは両手を打ち鳴らした。
婦人の頭の後ろで閃光が炸裂し、四人いた荒くれ者たちの目を焼いた。群衆が驚きぞよめく中、婦人が振り向いて、目を押さえて身を屈める男たちを不思議そうに見つめた。
「こっちへ」
男たちをかき分けて婦人の眼前に出たアズが、赤いなめし皮の手袋をはめた婦人の手を取った。たじろぎながら「ええ」と生返事をする相手の手を引き、道の反対側へと連れていく。
「捕まえてくれ! そいつ、俺の子供を銃で撃ちやがったんだよぉ!」
憐れっぽい声で喚く男に何人かが肩をすぼめ、群衆はまた流れ始めた。
「先生!」
通りを渡り切ると、時計屋の前から二人の少女が駆けてきた。
「大丈夫ですか? 騒ぎがあったみたいですけど」
少女たちがアズに目を向ける。二人とも、十代半ばあたりの、清潔で身なりのいい子たちだった。
「大丈夫ですよ。こちらの方が助けてくださいました」
婦人がアズを振り返り、ぎこちない笑みを浮かべて頭を下げた。
「ありがとうございます。いきなりあの人たちが追いかけてきて、驚きましたが本当に助かりました」
「いいえ」
元凶たるアズは通りの人混みに目を向けた。
「他にお連れ様はいませんか。女性だけでは危険です。安全なところまでお送りしましょう」
「よかった!」
赤毛の少女が前に出た。いかにも勝気そうな瞳の子で、彼女はアズにハキハキした調子でこう言った。
「私たち、『聖母の涙修道会』にお邪魔するところだったんです!」
使い慣れた拳銃は的の中心を全弾正確に射抜いた。銃砲店の主人が射撃場の入口で手を叩いた。撃っても脂肪で弾が阻まれそうなほど太っている。
「いやあ、お見事。大した腕前ですな」
禿げ頭の店主にアズは黙って一礼した。
「それにしても、素人が整備中に落としたとかならまあわかるんですが、まさかお客さんほどの使い手がストライカーだけなくすなんて」
「何も聞かないでください」
五倍の金額で最優先での修理に応じた主人は、機嫌よくタオルで顔を拭きながら話し続けた。
「お客様への詮索はしない主義ですがね、もしかしてその銃、またすぐ使うことになります?」
「そうならないことを祈ります」
「ねえ、お客さん、もし」
店主は声を落とした。
「もしも悪意の人間に銃をいじられたってことでしたらね」
店主の仕事が立て込んでいないのなら、五倍の金額は払い過ぎだったかもしれない。アズは銃の安全装置をかけた。
「是非とも当店の会員になってはいかがです? 入会費無料! 秘密は絶対厳守! 余計な詮索はしませんし、特注品もすぐにご用意いたします。お買い上げ金額に応じた割引もいたしますよ。保険の紹介だって」
「結構です。ありがとうございます」
砂埃舞う街路に出たアズを、店主は機嫌よく見送った。
「またどうぞ!」
アズがその店をまた訪れることはなかったが、拳銃はすぐ使うことになった。
アズにはもともと慣れていたことと、ここ数日で慣れ始めたことがある。
『スアラ』
後者については、干からびた桃の種の発声である。
『スアラがいる。スアラ、スアラ、スアラ』
前者については、後ろを
距離を詰めてくる。
大人二人がすれ違える程度の細く
なるほど、子供の物乞いだ。この世の中でアズの心を最も苦しくさせるものの一つだった。ほんの小さな、場合によっては三つや四つの子供が縋り付いてきて、憐れに思って金品を出せばあっという間に他の……大人も含む物乞いに身ぐるみを剥がされる。
アズを尾けてきた子供は、髪が伸び放題で、男の子か女の子かもわからなかった。七、八歳くらいだろうか。縋り付いてはこなかった。ただ、背中に回していた両手を前に出した。
小さな手には拳銃が握られていた。
それをアズに向ける。
考えるよりも動くほうが早かった。自分の銃声で我に返ったとき、アズは肝を冷やしたが、銃弾は子供を傷つけることなく、小さな手に握られていた拳銃を弾き飛ばしていた。
子供が甲高い金切り声で絶叫し始めた。大人たちの足音がほうぼうの路地から迫り――
『スアラだ。スアラがいる。スアラを探してくれ!』
アズはコートの裾を翻し、もともと向かっていた方向へと疾走した。
「後にしてくれませんか」
丁寧だが
『まっすぐ行け』
カーブの先に壁が見えてきた。行き止まりだった。
『左だ』
壁の左側には、家と壁の隙間の狭い通路があった。
「待て!」
後ろで男が叫んだが、待つはずがなく。
通路を抜けると壁が途切れ、
「慈しみの
日が暮れるまで祈っているつもりだろうか。アズは聖職者の端くれだが、祈りの列の参加者たちは暇人だと思った。トラックの向こうで一際高く聖四位一体紋が掲げられた。色は嘆きを表す黒で、トラックと巡行の列に圧迫されて人の密度が高くなった。その人の海に、アズは通路から身を踊らせて飛び出した。
「待てつってんだろうが!」
人にぶつかった。アズが着るのとよく似た黒いコートの中年の婦人で、アズが振り向いた瞬間に、桃の種が、アズにしか聞こえない声で叫んだ。
『スアラ!! スア、ラ!! スア……ラ!!』
髪をひっつめ、黒いレースのシニョンでまとめた品のいい婦人だった。視線があう。瞳には、理知と、切羽した光があった。
「どけ! 道をあけろ!」
アズは初めて後ろを見、子供を
婦人が身を翻し、トラックの進行方向へ走り出す。
男たちは目印にしていたのであろう黒いコートを追いかけた。アズではなく婦人のほうを。
トラックを通すために割れた人垣、その空間が埋まる前に、婦人はトラックを追って走っていた。荒くれ者たちが群衆を押しのけ、突き飛ばしながら距離を詰めていく。
『あの人を助けろ』
重々しく種が命じた。これまでの鬱陶しい泣き言とは違う、意志と威厳のある声だった。言われるまでもなく、今度はアズが荒くれ者たちを追う側になっていた。あの女性が追われるのは自分のせいなのだから。流石にこれを放っておくつもりはない。
トラックが通り、シニョンの婦人が通り、その跡を荒くれ者たちが通った。その後の道はまだ塞がっていない。呆気にとられて見送る人々の間を縫い、前方で、男たちの一人が婦人の肩に手をかけた瞬間。
アズは両手を打ち鳴らした。
婦人の頭の後ろで閃光が炸裂し、四人いた荒くれ者たちの目を焼いた。群衆が驚きぞよめく中、婦人が振り向いて、目を押さえて身を屈める男たちを不思議そうに見つめた。
「こっちへ」
男たちをかき分けて婦人の眼前に出たアズが、赤いなめし皮の手袋をはめた婦人の手を取った。たじろぎながら「ええ」と生返事をする相手の手を引き、道の反対側へと連れていく。
「捕まえてくれ! そいつ、俺の子供を銃で撃ちやがったんだよぉ!」
憐れっぽい声で喚く男に何人かが肩をすぼめ、群衆はまた流れ始めた。
「先生!」
通りを渡り切ると、時計屋の前から二人の少女が駆けてきた。
「大丈夫ですか? 騒ぎがあったみたいですけど」
少女たちがアズに目を向ける。二人とも、十代半ばあたりの、清潔で身なりのいい子たちだった。
「大丈夫ですよ。こちらの方が助けてくださいました」
婦人がアズを振り返り、ぎこちない笑みを浮かべて頭を下げた。
「ありがとうございます。いきなりあの人たちが追いかけてきて、驚きましたが本当に助かりました」
「いいえ」
元凶たるアズは通りの人混みに目を向けた。
「他にお連れ様はいませんか。女性だけでは危険です。安全なところまでお送りしましょう」
「よかった!」
赤毛の少女が前に出た。いかにも勝気そうな瞳の子で、彼女はアズにハキハキした調子でこう言った。
「私たち、『聖母の涙修道会』にお邪魔するところだったんです!」