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文字数 2,346文字
※
アズは豪胆な人物であると思われがちだが、そうではない。なるようにしかならないことを知っているだけだった。なので、事務所がある建物への宿泊を許され、風呂に入れと言われても……つまり全く無防備になれと言われても抵抗しなかった。
渓谷の不便な町エヴァリアにも水洗トイレが存在した。革命軍が労働階層を積極的に取り込んだことを思えば、この手の工事が得意な者が多くても不思議はない。一方で、風呂はといえば、脚付きの鋳鉄 の浴槽の下にガス加熱機を備えた旧式のものが現役で使われていた。
湯に浸 かり、蛇口を見つめて体をほぐした後は、縫い目からガチョウの羽根が次々出てくる布団にくるまって、浅い眠りと深い眠りを繰り返した。
枯れ葉の中に置いてきた剣を持ち去られる夢と、魔女の夢を見た。だがアズは気を抜いていたわけではない。彼は起きようと思った時刻ちょうどに目を覚ます才能に恵まれていたが、今夜もまた深夜の覚醒に成功した。町の監視塔が光の輪を町に投げていた。光は引きずられるように動き、アズがいる部屋のカーテンを横切っていった。その光が去ってから、ブーツに足を入れ、立ち上がった。
トラックが通りそうな道は目星をつけていた。
※
『スアラ、スアラ』
町を出たアズは、処刑刀を隠した場所を最初に訪れた。それは見つけ出されてはおらず、桃の種も健在だった。
『スアラはここにいない』
「この町にスアラさんはいないかもしれませんが、私には大事な用事があります」
桃の種を手にとり、アズはほとんど口に出さずに伝えた。
『スアラに会いたい』
「もうしばらく待っていてください」
『レライヤの女学生だ』男の声は頑 なだった。『彼女たちはスアラと出会う』
「何故、そうおっしゃるのですか?」
『スアラが鳥を必要とし、また女学生の一人が父親を探すからだ』
アズは段々、この声は支離滅裂なことを口走っているだけのような気がしてきた。
「質問があります。そのスアラという人とあなたが別れてから、どれくらいの月日が経つのですか?」
『わからん』
「あなたはかつて人間だったことがあるのですか?」
『わからん』
「私が追う人物がスアラという人物と会うことになるとわかるのなら、もしかしたらあなたは『心眼 』の賜物 を持つ言葉つかいだったのかもしれませんが……」
虚 しくなってきて、アズは言葉を止めた。桃の種も沈黙した。図面用の筒に戻すとき、妄念に憑かれた声で、『スアラに会いたい』と繰り返した。
『かわいそうなスアラ』
筒状の図面入れを元通り枯れ葉で隠すと、星々に意識を向け、足許を淡く照らしながら歩いた。地面にぽっかり口を開ける階段を迂回する。その後ろの斜面の下に、車が一台通れる道を見つけておいたのだった。
その道を、車の音が近付いてくる。
アズは薄く積もった雪と枯れ葉の上に伏せた。
左のカーブから光が現れた。
トラックだ。
アズの眼下を、右方向へ通り過ぎていく。
ほどなくして停車した。人が車を下りる。ドアの音と足音。アズは静かに身を起こし、車の道に降りられる場所を探した。
※
トラックは素掘りのトンネルの手前に停められていた。後ろの扉が一枚開け放たれたままで、くしゃくしゃの毛布が一枚、床に広がっていた。トラックの中に人はいないが、トンネルの手前に二人一組の見張りがいて、何やら話し込んでいた。アズは夜陰に乗じてトラックに忍び寄った。二人の死角を利用し、難なく接近に成功した。
「これ以上生かしておいても奴は口を割らない」
女の声だ。
アズはトラックの後ろで身を屈め、耳に意識を集中しながら毛布を手に取った。毛布は濡れて重かった。しかも血腥 かった。
だが、まだルーの血と限ったわけではない。
「リールの補助がなきゃ鳥飼い騒動の追っ手のことだってわからなかったわけだし」
「追ってくるのかねえ? そのガイエンの『星月夜の天使』とやらは」
「私、その男のこと知ってる」
アズはもはや体の動きを完全に止めていた。リールだって?
「男なのか? そいつ」
「レライヤの男子部の後輩だった」
「ガイエンの蜂起潰しは夜だった。名前からして昼は無能か?」
「知らないよ」
話している女の正体をアズは理解した。
レマとリールの姉妹のことなら知っていた。特にリールについて。レマと直接話したことはない。彼女は『氷像の天使』としてガイエン司教座聖堂 に配属されていたが、行方不明となった。正体を見抜かれた言葉つかいが暗殺されたり誘拐されるのは珍しいことではなかった。レマの後釜として配属されたのがアズだったが、まさか裏切っていたとは。
妹のリールは『心眼』の賜物 の持ち主であり、女子部の同期生であり、アズが初めて心から愛らしいと思った女性だった。
いや。
アズは頭を振る。
問題は『心眼』がこの町にいるということ。アズが入り込んでいることを既に見抜いているかもしれない。
「いずれにしても明日の朝までにはわかるってこったな、『泥すすり』を前にしても吐かなかったかどうかはよ」男が酷薄な声で告げた。「お疲れさん」
「それより、私が明日の朝まで待機してる必要って本当にあるの?」
「仕方ねえだろう。あの気色悪 ぃ半化生 が暴れたら、あんたしか止められねえんだからよ。もうすぐ見張り番がくる。あんたはトラックで寝てりゃいいさ」
アズは毛布から手を離した。その指を、なんとなく、月光にかざした。
きらめく繊維状のものが中指の腹に付着していた。
猫の毛だった。
アズは豪胆な人物であると思われがちだが、そうではない。なるようにしかならないことを知っているだけだった。なので、事務所がある建物への宿泊を許され、風呂に入れと言われても……つまり全く無防備になれと言われても抵抗しなかった。
渓谷の不便な町エヴァリアにも水洗トイレが存在した。革命軍が労働階層を積極的に取り込んだことを思えば、この手の工事が得意な者が多くても不思議はない。一方で、風呂はといえば、脚付きの
湯に
枯れ葉の中に置いてきた剣を持ち去られる夢と、魔女の夢を見た。だがアズは気を抜いていたわけではない。彼は起きようと思った時刻ちょうどに目を覚ます才能に恵まれていたが、今夜もまた深夜の覚醒に成功した。町の監視塔が光の輪を町に投げていた。光は引きずられるように動き、アズがいる部屋のカーテンを横切っていった。その光が去ってから、ブーツに足を入れ、立ち上がった。
トラックが通りそうな道は目星をつけていた。
※
『スアラ、スアラ』
町を出たアズは、処刑刀を隠した場所を最初に訪れた。それは見つけ出されてはおらず、桃の種も健在だった。
『スアラはここにいない』
「この町にスアラさんはいないかもしれませんが、私には大事な用事があります」
桃の種を手にとり、アズはほとんど口に出さずに伝えた。
『スアラに会いたい』
「もうしばらく待っていてください」
『レライヤの女学生だ』男の声は
「何故、そうおっしゃるのですか?」
『スアラが鳥を必要とし、また女学生の一人が父親を探すからだ』
アズは段々、この声は支離滅裂なことを口走っているだけのような気がしてきた。
「質問があります。そのスアラという人とあなたが別れてから、どれくらいの月日が経つのですか?」
『わからん』
「あなたはかつて人間だったことがあるのですか?」
『わからん』
「私が追う人物がスアラという人物と会うことになるとわかるのなら、もしかしたらあなたは『
『かわいそうなスアラ』
筒状の図面入れを元通り枯れ葉で隠すと、星々に意識を向け、足許を淡く照らしながら歩いた。地面にぽっかり口を開ける階段を迂回する。その後ろの斜面の下に、車が一台通れる道を見つけておいたのだった。
その道を、車の音が近付いてくる。
アズは薄く積もった雪と枯れ葉の上に伏せた。
左のカーブから光が現れた。
トラックだ。
アズの眼下を、右方向へ通り過ぎていく。
ほどなくして停車した。人が車を下りる。ドアの音と足音。アズは静かに身を起こし、車の道に降りられる場所を探した。
※
トラックは素掘りのトンネルの手前に停められていた。後ろの扉が一枚開け放たれたままで、くしゃくしゃの毛布が一枚、床に広がっていた。トラックの中に人はいないが、トンネルの手前に二人一組の見張りがいて、何やら話し込んでいた。アズは夜陰に乗じてトラックに忍び寄った。二人の死角を利用し、難なく接近に成功した。
「これ以上生かしておいても奴は口を割らない」
女の声だ。
アズはトラックの後ろで身を屈め、耳に意識を集中しながら毛布を手に取った。毛布は濡れて重かった。しかも
だが、まだルーの血と限ったわけではない。
「リールの補助がなきゃ鳥飼い騒動の追っ手のことだってわからなかったわけだし」
「追ってくるのかねえ? そのガイエンの『星月夜の天使』とやらは」
「私、その男のこと知ってる」
アズはもはや体の動きを完全に止めていた。リールだって?
「男なのか? そいつ」
「レライヤの男子部の後輩だった」
「ガイエンの蜂起潰しは夜だった。名前からして昼は無能か?」
「知らないよ」
話している女の正体をアズは理解した。
レマとリールの姉妹のことなら知っていた。特にリールについて。レマと直接話したことはない。彼女は『氷像の天使』としてガイエン
妹のリールは『心眼』の
いや。
アズは頭を振る。
問題は『心眼』がこの町にいるということ。アズが入り込んでいることを既に見抜いているかもしれない。
「いずれにしても明日の朝までにはわかるってこったな、『泥すすり』を前にしても吐かなかったかどうかはよ」男が酷薄な声で告げた。「お疲れさん」
「それより、私が明日の朝まで待機してる必要って本当にあるの?」
「仕方ねえだろう。あの気色
アズは毛布から手を離した。その指を、なんとなく、月光にかざした。
きらめく繊維状のものが中指の腹に付着していた。
猫の毛だった。