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文字数 3,008文字

 6.

「逃げていた?」
 テーブル越しに身を乗り出すリリスの前で、タリムは痛ましそうに目をそらした。チルーは混乱していた。さっき、ほんの一瞬だけ、目の前の大人がひどく性悪(しょうわる)な感じに見えた。あれは何だったのだろう?
 だが今、同じ大人が心から少女を気遣う様子で言葉を選んでいる。
「君がお父さんから受け取った手紙は、他にないのかな?」
「私は幼かったし……母は、他の手紙の内容を決して教えてくれませんでした」
「君たちが旅に出たことを、君たちのお母さんは知ってるの?」
 リリスは言葉を濁し、目を伏せる。完璧な演技だ。
「私……飛び出してきたんです。お母さんと喧嘩して……でも、どうしてもお父さんのことを知りたくて……」
「君は?」
 いきなり話を振られ、チルーはたじろいだ。
「えっ? 私、私は……リリスを放っておけなくて」
「いけない子たちだ。お母さんは心配している」
 チルーは青ざめて俯いた。ボロを出さない自信がない。黙っていよう。
「明日にはグロリアナを出るつもりです」と、リリス。「南ルナリアに着いたとき、一度家に電話したんです。チルーに言われて。お母さんに謝って、グロリアナまで行ったら帰るって伝えました」
「君のお母さんがお父さんについて何も教えなかったのは、まだ知らなくていいからじゃないのかな?」
「母はいつも私を子供扱いするんです。私が九歳のときは『十歳になったら教えてあげる』って言うし、十歳になったら『十二歳になったら』、十二歳になったら『十三歳になったら教える』って。私、もう十四歳ですよ」
 よくも口が動くものだと感心し、恐れすら感じながら、リリスの母親はどこで何をしているだろうかと考えた。もしかしたら、タリム・セリスという男は、リリスの実の母親に連絡をとってみようと思い立つかもしれない。もしその手段があれば。そのとき、リリスの母親は何を思うだろう。
 不意に思い出した。
 実の母親というものは、たぶん自分にもいるのだと。
「君はもう大人、ってわけか」
「はい」
「立派なものだ。うちの娘にも見せてやりたいよ」
 リリスは照れ笑いを押し殺すふりをしてから尋ねた。
「教えてください。父は、どのようにしてセリスさんと出会ったのですか?」
「仕事の関係さ。私は工場で使う治具(じぐ)、治具ってわかるかな? 加工をしやすくするための道具なんだけど、それを設計する仕事をしているんだ。今はこうして家で仕事をしているのだけど、あの頃は工場の中に事務所があってね……」
 タリムがぺらぺらと治具の話をしている間、チルーは考えた。工場って、何の工場?
「……そんなある日、勤め先の工場を君のお父さんが通りかかったんだ」
 抵抗教会の主な構成員は労働階級だ。それで、何の工場で何を作っていたと?
「工場で作っていたものを売ってほしいという相談でね。ただ、長旅でお疲れのようだったから、グロリアナにしばらく滞在することになったんだ」
「父は何を欲しがっていたんですか?」
「ありふれた板金の製品だよ」
「板金」
「ああ、板金ってわかるかい?」
 今度は板金についてぺらぺらと話し出した。チルーも薄々わかってきた。どうでもいい長話で疲れさせようとしている。
 もっと言えば、疲れてボロを出すのを待っているのだ。
 怪しまれている。
「今、思い出したことがあります」
 リリスが夢見るようにうっとり微笑んだ。
「板金で思い出しました。古い鎧のお話です」
 テーブルの上で組まれたタリムの手。
 その右手の人差し指が小さく跳ね、手全体に力が入った。
 チルーは見逃さなかった。
「鎧?」
 尋ねるタリムの皺深い目尻が、微笑みながら引きつった。
「はい。お母さん、寂しがる私に、父の旅の物語を聞かせてくれたんです。父には旅の途中で出会った歩く鎧がついていて、その鎧は子供たちのために花を差し出すんだって」
「それは君のお母さんの創作だ」
 断言するタリムの声は固い。彼はダイニングの振り子時計に目を向けた。
 そして、改めて子供向けの笑みを貼り付けた。
「きっと、君のお母さんはお話を作って聞かせるくらい君を愛していたんだね。いつまでも心配させたままではいけないよ。そろそろ旅もお(しま)いにしたほうがいい」
 潮時だ。
「そうですよね……セリスさんにもご迷惑をおかけしました。ごめんなさい。でも、あと二つだけ教えてください。父が追われていた、というのは、父が自分でそう言ったんですか?」
「いや。君のお父さんが去ったあと、聖教軍の人たちが追ってきたんだ。そのとき初めてわかった。もう一つは?」
「最後に、父はどこに向かったんですか?」
「聞いたら、君はお母さんのところに帰らずそちらに向かうんじゃないのかい?」
「母のもとには帰ります。ただ、父が去ったという方角へ、祈りを捧げたいのです」
「君のお父さんは、この世のどこにも行かなかった」
 すっ、と心臓が冷たくなるのをチルーは感じた。リリスが身じろぎする。
「どういうことですか?」
「君のお父さんはね、死者の巡礼団を追っていたんだ」
 タリムの目は冷ややかで、だが笑みを、きっと本心の笑みを浮かべており、初対面のときとは別人のように見えた。
「そういうことをする人間はね、生きて帰ってこないんだよ」

 ※

 家に帰る、と覚悟を決めたものの、スアラの足取りは重く、少しでも帰宅時間を遅らせたくてわざとゆっくり歩いた。
 学校は大嫌いだ。でも、家にはもっといたくない。
 木造の校舎に背を向けて、西日の中を歩く。メインストリートを校門に向かっていけば、そこに停められた車が見えてきた。窓に夕日が反射して眩しい。
 家の車だった。足を止めた。どちらの親が来たのだろう。何の用だろう。
 運転席で待っていたのはレティだった。
「お母さん」
「後ろに乗りなさい」
 レティは運転席のドアを開けて言った。思いやりがなくはない声だった。
「何しに来たの?」
「迎えに来たに決まってるじゃない。今日のご飯はかぼちゃのクリームスープよ。あなた、好きでしょう?」困惑するスアラに、「早く乗って」
 スアラはそうした。どんな顔をし、何を話せばいいのかわからぬまま車は動き出した。
 助手席の後ろ側の席には、一抱えもある紙の包みが鎮座していた。
「その紙袋、開けてごらんなさい」
 包みは赤いリボンで飾られていた。見た目に反して軽く、中身の感触は柔らかい。スアラはそれを膝に乗せ、てっぺんのリボンを解いた。
 包装紙をずり下ろすと、金色の毛並みのクマが出てきた。仕立てのいいぬいぐるみの、かわいいクマ。黒いビーズの瞳が外のナトリウム灯を赤く映し出す。つい笑みがこぼれた。
「私のなの?」
 警戒しながら尋ねると、レティもまた出方を伺うように素っ気なく答えた。
「そうよ」
 柔らかい毛並みに指を沈める。
「……ありがとう」
 スアラはクマの人畜無害な顔立ちに集中する。かわいい。かわいい。空っぽの心に想いが浮かんでくる。

 自己憐憫しか能がないバカ女

 心臓が締め付けられた心地がし、呼吸が浅くなる。
「子供を愛していない親なんていないのよ」
 淡々と、レティは言った。
「それでも問題は起きるものだし、親だって間違えるの。だけど他のみんなは逃げ回ったりせずに向き合ってるんだから」
 スアラは鼻で浅い呼吸を繰り返しながら深く俯いた。
 大丈夫。お母さんは私を愛してる。私のことをわかってくれている。
 たぶん。
「どこの家もそうよ」
 車はスアラの恐怖の家へと向かっていく。


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登場人物紹介

■チルー・ミシマ

■14歳/女性


『言葉つかい』と呼ばれる異能力者の育成機関、聖レライヤ学園の第十七階梯生。

内気で緊張に弱く、場面緘黙の症状に悩んでいる。

『鳥飼い』の賜物(=異能力)を持つ。

■リリス・ヨリス

■14歳/女性


チルーの同級生で、唯一の友達。『英雄の娘』と呼ばれるが、両親のことは名前以外に何も知らない。

迷宮の壁に作用する『石工』の賜物を持つ。

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