元少女
文字数 2,439文字
4.
幌つきトラックの荷台で、スーデルカは今にも吐きそうな顔をしていた。緊張と揺れのせいだろう。陸軍のトラックは蛇行運転を繰り返し、その進みは遅かった。しかも山積みの荷物の狭い隙間に、アズとセフ、ミズゥと狼犬が共に体を押し込んでいるのだ。
「当時あなたは、奏明の魔女として兵器を作らなければ自分が戦場に立たされると思っておられた」
木箱に背中を預け、ミズゥとセフに挟まれながら膝を立てて座るアズに、懐中電灯の光の中でスーデルカが頷いた。
「ええ」
「でも、あなたが作った鯨は本当に兵器だったのですか? お話を聞く限りでは、とてもそうとは思えません」
スーデルカは、今度は首を横に振った。
「私が作ったのは……何というか、私はただ、共にいてくれるものがほしかったのです。友達がほしかったのでしょう」
アズとスーデルカの間ではミズゥが膝を抱いている。眠っているのかと思ったが、かろうじて薄目を開けており、話を聞いていた。
スーデルカは続けた。
「全部私のせいだと言ったところで、私は生き残っていて、その先も生きていかなければなりませんでした。そのために、つらすぎる心は作品の中に閉じ込めておくしかなかったのです。鯨を作り変えた別の魔女は、そこにつけ込んだのでしょう」
トラックの前輪が何かに乗り上げた。
平衡が戻る。
今度は後輪が同じ何かを踏んだ。
市の外では戦闘が続いていた。砲撃が空から重く響いてくる。
かと思えば、今度は間近で機関銃の連射音。
応戦する連射があり、すぐに止 んだ。それからもう一度、トラックは何らかの障害物を踏み越えた。
「道路の状況が良くないみたいですね」
よせばいいのに、セフが本当のことをスーデルカに告げる。
「死体を踏んでいるのだ」
ちょうど、四人の真下で、蛇行しても避けきれなかった死体を後輪が踏みつぶした。柔らかい衝撃が四人を呑み込んだ。
「……私が気になるのは」気を取り直してスーデルカは話を続けた。「ラティアさん、秘宝の鳥を追うあなたと同じように、鳥と縁のあるリリスの父親も『王』に取り憑かれていたということです。私には、この二つの事柄が偶然だとは思えないのです」
アズはとりあえず口を開いたが、返答しかねた。それを言うなら、マデラさん、あなたはどうして生涯二度も鳥と関わり合うことになったのですか? 偶然ではあり得ない。
だが、口に出す前にトラックが停止した。セフが膝立ちになって幌の隙間を覗く。運転席から降りてきた陸軍の兵士が外から声をかけた。
「着いたぜ、坊主ども!」
幌が開いた。新鮮だが死の冷たい臭いがする空気が入ってきた。
「あんた方はこれからネンネかい? いいね! ぐっすり休みなよ?」
陽気な兵士が帽子のずれを直しながら笑いかけた。セフが尋ねる。
「お前はどうするのだ、兵士よ」
「どうって、基地に戻るのさ。運ばなきゃいけない荷物は山ほどあるし、前線は緊張したままだからな!」
兵士はふと思い直し、せっかく直した帽子を脱いだ。縮れた褐色の髪が夜の雪明かりを映した。
「なあ、神父さん。俺を祝福してくれよ」
セフは聖四位一体紋を切り、兵士の名を尋ねると、その下げられた頭に両手を置き、祈った。
「主の恵みが豊かにありますように」
ちらつく雪の中、満足した兵士はトラックの運転席に戻っていった。トラックが去ると、開けた視界に大聖堂の前庭の光景が現れてきた。
石畳の庭には隙なく死体が並べられていた。
この光景の前に立つと、アズは今でも立ち尽くしてしまいたくなる。空気中をたゆたう失意と悲しみの波に体を預けてしまいたくなる。
だから、心を閉ざして前に進む。
生憎 と、前庭は隅々まで死体で埋まっていた。横たわる死体の間を歩くしかない。橙 色の街灯に照らされながら、人が、親しい人の亡骸の前で面 を伏せている。縋り付いて泣いている人もいた。上着がかけられている亡骸もあった。
そんななか、着の身着のまま、誰にも見舞われた形跡もなく骸を晒す死者もあった。
ああ。
アズは感情を抑圧していたが、頭は働いた。
この人は、こんなにも老 けこんでいたのか。
セフがその人の傍らに膝をついた。
「ミリー」
彼女の体には、セフが自分の外套を脱いでかけてやった。
「……よく頑張った。よく我慢したな。あの日から今日まで」
死は、救済か?
「神様はたくさん褒めてくれる」
ならば何故、命は生まれるのだ?
セフをそのままに、アズは歩いた。
遺体は大聖堂右横の傾斜路 の前まで並んでいた。更に新たな死者を、二人組の男が両脇と両足をとって裏門から運び込んできた。明かりがついた大聖堂の、ステンドグラス越しの控えめな光が彼らを照らしていた。最後に何を見たのか、その死せる老人は全裸だった。
「ミズゥ」
傾斜路まで来て後ろを振り向いた。セフはついて来ていなかった。
「申し訳ないが、マデラさんが教えてくれたところに少女たちを迎えに行ってくれないか」
「わかりました」
「手間をかける」
いいえ、と素っ気なく答え、黒いリボンで飾られた銀髪を揺らしてミズゥは背を向ける。スーデルカは見送りながら言った。
「私が行ったほうが――」
「いいえ、ミズゥは連れて来てくれます。それよりも、マデラさん、今はあなたの話を聞きたいのです」
少女たちとスーデルカが合流したら、また逃げ出すのではないかという疑いをアズは捨てていなかった。
建物に入る。廊下の電気をつけ、アズは与えられた部屋に戻った。誰かが気を利かせてくれたようで、鉄製のストーブには熾火 が残っていた。
静まり返った部屋で、アズはマントを脱ぎもせずに切り出した。
「教えてください。チルーとリリスはどうなったのですか? そしてチルーのカワセミは?」
椅子の背もたれを引き、座るように促した。スーデルカは顔面蒼白になっていた。
「今にして思えば――」
それでも語り始めた。
「私は、幼く――自分だけは手を汚さずに生きていけると思っておりました。弱者の立場に……甘んじていられると……」
幌つきトラックの荷台で、スーデルカは今にも吐きそうな顔をしていた。緊張と揺れのせいだろう。陸軍のトラックは蛇行運転を繰り返し、その進みは遅かった。しかも山積みの荷物の狭い隙間に、アズとセフ、ミズゥと狼犬が共に体を押し込んでいるのだ。
「当時あなたは、奏明の魔女として兵器を作らなければ自分が戦場に立たされると思っておられた」
木箱に背中を預け、ミズゥとセフに挟まれながら膝を立てて座るアズに、懐中電灯の光の中でスーデルカが頷いた。
「ええ」
「でも、あなたが作った鯨は本当に兵器だったのですか? お話を聞く限りでは、とてもそうとは思えません」
スーデルカは、今度は首を横に振った。
「私が作ったのは……何というか、私はただ、共にいてくれるものがほしかったのです。友達がほしかったのでしょう」
アズとスーデルカの間ではミズゥが膝を抱いている。眠っているのかと思ったが、かろうじて薄目を開けており、話を聞いていた。
スーデルカは続けた。
「全部私のせいだと言ったところで、私は生き残っていて、その先も生きていかなければなりませんでした。そのために、つらすぎる心は作品の中に閉じ込めておくしかなかったのです。鯨を作り変えた別の魔女は、そこにつけ込んだのでしょう」
トラックの前輪が何かに乗り上げた。
平衡が戻る。
今度は後輪が同じ何かを踏んだ。
市の外では戦闘が続いていた。砲撃が空から重く響いてくる。
かと思えば、今度は間近で機関銃の連射音。
応戦する連射があり、すぐに
「道路の状況が良くないみたいですね」
よせばいいのに、セフが本当のことをスーデルカに告げる。
「死体を踏んでいるのだ」
ちょうど、四人の真下で、蛇行しても避けきれなかった死体を後輪が踏みつぶした。柔らかい衝撃が四人を呑み込んだ。
「……私が気になるのは」気を取り直してスーデルカは話を続けた。「ラティアさん、秘宝の鳥を追うあなたと同じように、鳥と縁のあるリリスの父親も『王』に取り憑かれていたということです。私には、この二つの事柄が偶然だとは思えないのです」
アズはとりあえず口を開いたが、返答しかねた。それを言うなら、マデラさん、あなたはどうして生涯二度も鳥と関わり合うことになったのですか? 偶然ではあり得ない。
だが、口に出す前にトラックが停止した。セフが膝立ちになって幌の隙間を覗く。運転席から降りてきた陸軍の兵士が外から声をかけた。
「着いたぜ、坊主ども!」
幌が開いた。新鮮だが死の冷たい臭いがする空気が入ってきた。
「あんた方はこれからネンネかい? いいね! ぐっすり休みなよ?」
陽気な兵士が帽子のずれを直しながら笑いかけた。セフが尋ねる。
「お前はどうするのだ、兵士よ」
「どうって、基地に戻るのさ。運ばなきゃいけない荷物は山ほどあるし、前線は緊張したままだからな!」
兵士はふと思い直し、せっかく直した帽子を脱いだ。縮れた褐色の髪が夜の雪明かりを映した。
「なあ、神父さん。俺を祝福してくれよ」
セフは聖四位一体紋を切り、兵士の名を尋ねると、その下げられた頭に両手を置き、祈った。
「主の恵みが豊かにありますように」
ちらつく雪の中、満足した兵士はトラックの運転席に戻っていった。トラックが去ると、開けた視界に大聖堂の前庭の光景が現れてきた。
石畳の庭には隙なく死体が並べられていた。
この光景の前に立つと、アズは今でも立ち尽くしてしまいたくなる。空気中をたゆたう失意と悲しみの波に体を預けてしまいたくなる。
だから、心を閉ざして前に進む。
そんななか、着の身着のまま、誰にも見舞われた形跡もなく骸を晒す死者もあった。
ああ。
アズは感情を抑圧していたが、頭は働いた。
この人は、こんなにも
セフがその人の傍らに膝をついた。
「ミリー」
彼女の体には、セフが自分の外套を脱いでかけてやった。
「……よく頑張った。よく我慢したな。あの日から今日まで」
死は、救済か?
「神様はたくさん褒めてくれる」
ならば何故、命は生まれるのだ?
セフをそのままに、アズは歩いた。
遺体は大聖堂右横の
「ミズゥ」
傾斜路まで来て後ろを振り向いた。セフはついて来ていなかった。
「申し訳ないが、マデラさんが教えてくれたところに少女たちを迎えに行ってくれないか」
「わかりました」
「手間をかける」
いいえ、と素っ気なく答え、黒いリボンで飾られた銀髪を揺らしてミズゥは背を向ける。スーデルカは見送りながら言った。
「私が行ったほうが――」
「いいえ、ミズゥは連れて来てくれます。それよりも、マデラさん、今はあなたの話を聞きたいのです」
少女たちとスーデルカが合流したら、また逃げ出すのではないかという疑いをアズは捨てていなかった。
建物に入る。廊下の電気をつけ、アズは与えられた部屋に戻った。誰かが気を利かせてくれたようで、鉄製のストーブには
静まり返った部屋で、アズはマントを脱ぎもせずに切り出した。
「教えてください。チルーとリリスはどうなったのですか? そしてチルーのカワセミは?」
椅子の背もたれを引き、座るように促した。スーデルカは顔面蒼白になっていた。
「今にして思えば――」
それでも語り始めた。
「私は、幼く――自分だけは手を汚さずに生きていけると思っておりました。弱者の立場に……甘んじていられると……」