潜入

文字数 3,009文字

 2.

 腰の高さにあるキツツキの穴を目印にして、枯れた木を選んだ。その木の根本の枯れ葉を掘り起こし、製図鞄を横たえる。処刑刀だけでなく、ロザリオと、身元のわかる全てのものをそこに収めていた。桃の種も入れた。それから元通り、上に葉をかぶせた。
 薄く積もった雪が乱され、当然の如く工作の証拠となった。空は青く澄み、しばらくは雪を降らせそうにない。自分の拳銃の隠し場所を考え、結局コートのポケットに無造作(むぞうさ)に突っ込みながら、降るのを待つしかない、と考えた。目立つところに返り血がついていないか確かめてから、アズは木々の間を歩いて階段まで戻った。明日の朝には霜が全てを覆い隠しているだろう。
 コンクリートの通路の手前には、枯れた松葉が敷き詰められ、点々と転がる松かさがアクセントをつける細い道があった。そこから町を一望できた。細長い渓谷の町で、谷底の川を中心に、斜面に沿って合わせ鏡のように住居や施設が展開する。
 その左右の頂には、黒い煙を吐き続ける工場群があった。

 ※

 渓谷の町を正面に見ながらアズは足を進めた。松葉の道は柔らかく、普段から人が通っている様子はなさそうだ。倒れかかった細い木の下をくぐる。紅葉(もみじ)の赤や黄色の葉がそこかしこに落ちていた。秋の間はさぞや美しい谷だったのだろう。
 カーブに差し掛かり、また視界が開けると、目の前に砂が打たれた通りと石造りの家並みが現れた。高低差のせいで町はもっと遠いように見えていたのだ。はたと足を止めたアズのほうに、中年の男が大股で歩いてきた。堅太りの体を外套で包み、毛皮の帽子を耳までかぶり、大口径の拳銃をこれ見よがしにぶら下げていた。彼には町に近付くアズの姿が早くから見えていたようだ。
「お前どこから来た?」
 道を渡ってアズの前に立つと、開口一番そう聞いた。アズは答えながら後ろを振り返ってみせた。
「あそこの、階段のある通路から」
 中年の革命家は厳しい目つきでアズを見据えた。顔は風やけし、目も髪も色褪せていた。口から煙草の臭いがした。
 アズはかぶりを振って訂正した。
「フクシャから来た。あなた方の仲間に手紙を届けてほしいと言われて」
「仲間だと?」
 コートのポケットからバッジを出して見せた。それから、自ら袋の中身を地面にあけ、先ほど殺した男の拳銃を見せておき、封書も渡した。
「いかにも俺たち()てのものだ」
 男は拳銃を没収してから封書の(いん)を確かめた。
「詳しい話を聞かせてもらおうか」
「食べ物を恵んでいただけないでしょうか」
「なに?」
「ここに来るまでのあいだに手持ちの食料が尽きました。昨日から何も食べていません」
 革命家は鼻を鳴らしたが、道を渡って彼らの石造りの事務所にアズを連れて行くと、ローストビーフを挟んだパンを提供した。アズは適当な偽名を名乗ってから、それを黙々と食べた。
 革命家は、腹を空かせた青年がひたすら肉にがっつき、水で流し込む様子から目をそらさなかった。昨日から何も食べていなかったのは事実で、アズは働き盛りの若者であり、敵の(ほどこ)しであろうと目の前の肉にありつかないわけがなかった。一日ぶりの食事を終えると、アズは木のタイルが貼られた天井を見上げ、「ふう」と満足げな息をついた。
「おいしかった……」
「『ふうおいしかった』じゃねぇよ、間抜け!」
 男は声を荒らげた。声はそれほど広くない部屋の四方に広がり、本棚や、壁に飾られた年代物の燧石式(フリントロック)銃にぶつかった。
 銃は古すぎて実戦向きではないし、本はといえば、傷んだものは一つもなく、誰もまともに読んでいないことは一目瞭然であった。
「ご馳走になりました」
「間抜け」革命家は重ねて面罵(めんば)した。「フクシャで何があったか話せ、今すぐだ」
 要望の通り、フクシャから来た間抜けだが純粋で心優しい青年として、アズは話をした。さる夜更(よふ)け、自宅の物置きで何やら音がするから見に行くと、脇腹を撃たれた男が座り込んでいた。彼は医者を呼ぶのを拒んだので、代わって介抱しようとしたが、手遅れだった。その人は自分に封書を託し、このエヴァリアの町に運ぶよう言い遺し、感謝しながら死んだ、と。
 革命家は腕組みし、机の木目に目を落としながら唸った。
「で、あんたは言われた通りにしたわけか」
「はい」
「よく人から馬鹿とかアホとか()(さく)とかお人好しすぎるとか言われねえか?」
 アズは目を伏せてみせた。
「危険なことをしたのはわかっています。引き返そうと思ったことも何度か」
「感謝はするけどよ、なんで封書を公教会に持っていかなかった?」
「教会は……」
 ここで口ごもり、男が痺れを切らすのを待つ。
「教会はなんだ。言ってみろ」
「公教会はあなた方が言う通りの場所だと思うことが以前からありました」
「つまり?」
「司祭や熱心な信仰者ほど口先だけで――」
 男は唇を歪め、「偶像崇拝をし」
「司祭は告解の秘密をやすやすと売り渡し」
「神の教えとなんの関わりもない独自の軍を持つときたわけだ」
 最後の点については抵抗教会も同じことだったが。
「で、お前自身は何があって公教会を裏切ろうと思ったんだ?」
 アズは男の肩越しに、窓の外に目を向けた。
「最近――」
 思考を巡らせる。最近何があった? 厚い窓ガラスの向こうで、痩せた老人が荷車に甜菜(てんさい)を積んで押していった。
 その疲れた姿を見ていると、前触れなくリィの声が頭に蘇った。

『口だけ立派でお手々の汚れるようなことはしたくないって言えよ』

「聖父被昇天の日に、礼拝の途中で嘔吐(おうと)の発作を起こした女性がいました」
 リィの面影。決して高級な品ではないが、それでも奮発して買ったのであろう黒いワンピース。そのワンピースで床に膝をつき、雑巾で吐瀉(としゃ)物をぬぐうリィの姿が脳裏に鮮明に描かれた。顔は、長い髪で隠れている。誰も彼女を手伝わない。なんなら発作の第二波、第三派に見舞われながら、バケツの中に吐瀉物を入れ続ける。周囲に立つ人々は、素知らぬ顔で聖歌を歌い続けている――。
「誰も彼女を手助けしなかった。神を賛美するのに忙しかったんですよ」
 あまりにも寒々しいイメージだった。アズは嫌悪を堪えることができず、眉を寄せた。革命家は見かけばかりの同情を顔に表した。
「あんたが公教会を裏切るリスクを負うには小さい理由だと思うけどよ。まさかこのまま革命軍に加わるつもりじゃなかったんだろ?」
「先のことは考えていません」
「フクシャに家族は?」
 いませんと言いかけて、直前で変更した。
「妹がいます」
 そう言っておくのが正解だとわかったからだった。この町に足を踏み入れたこと自体、自ら毛虫を食らうのと同じことだった。
 早々に去るべきだ。
「じゃあ、フクシャに帰れ」
 男はペンを取り、インクをつけ、もとから机にあった紙をペン先で引っ掻き始めた。
「礼金を出すようにフクシャの仲間に伝えよう」
「一日か二日、ここに泊めていただくことはできますか?」
 無論、早々に去る。ただしルーを見つけてから。
「ここまで長旅でした。帰り支度(じたく)が必要です」
 男は少しの間ペンを止めたが、すぐに「いいぜ」と答えた。


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登場人物紹介

■チルー・ミシマ

■14歳/女性


『言葉つかい』と呼ばれる異能力者の育成機関、聖レライヤ学園の第十七階梯生。

内気で緊張に弱く、場面緘黙の症状に悩んでいる。

『鳥飼い』の賜物(=異能力)を持つ。

■リリス・ヨリス

■14歳/女性


チルーの同級生で、唯一の友達。『英雄の娘』と呼ばれるが、両親のことは名前以外に何も知らない。

迷宮の壁に作用する『石工』の賜物を持つ。

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