いつの日か、安らぎの地へ
文字数 4,185文字
4.
夕闇が、心と迷宮にのしかかってきた。カタカタと音がするのは、『鳥飼い』の言葉つかいに操られるばね仕掛けの鳥たちで、忙しなく飛び回り、害虫を除き、植物の受粉を助けているのだ。都市には、ニワトリや七面鳥などの家畜を除いて生きている鳥はいない。
チルーは校舎の裏の階段に腰を下ろし、自分の膝に肘を置いて、頬杖をついていた。そばにはリリスが手すりにもたれかかって立っている。迷宮の壁が直射日光を遮るので、赤い空の下には累々 と影が横たわるばかりだった。
「死者が死にたい人しか連れていかないなんて嘘だよ」
疲れ果てたチルーは、何度も心に繰り返した言葉をとうとう口に出した。リリスは返事をしなかった。
「イースラは明るかったじゃない」
沈黙を嫌い、チルーは一人話す。
「いつも笑ってて、すごくかわいくて、男子部の子たちにもモテて」
死にたかったとは思えない。
リリスが適当に生返事を寄越した。その気のない声よりも、切り裂く風のほうが雄弁で、聞き逃がしてはいけないことを警告しているように感じられた。
風に乗って、羽音のようなものが近付いてきた。
ばね仕掛けの鳥とは違う。
聞いたことのない羽音だ。
顔を上げると、何か軽いものが顔の前に落ちてきた。それが手に当たる感触。チルーは声を上げた。
「えっ、えっ?」
それは青い鳥。
長く黒い嘴と、漆黒の瞳、オレンジ色の腹を持つ、青い翼の鳥だった。
「なに? えっ……」
「鳥だ」驚きに満ちた様子で、リリスがチルーの前に屈み込んだ。「鳥だよ、チルー! 本物の鳥だ!」
そんな、と言ったきり、チルーは声を失った。本物の野鳥など、都市のどこにもいないはずだった。ここレライヤに限らず、都市の鳥といえば家畜もしくは言葉つかいが操る機械のようなもの。
「どうしてそんなものが……?」
「君が鳥飼いだからだよ」
「でもこれ、生き物だよ? 本物の鳥は鳥飼いなんて必要としない」
青い小鳥は、首をかしげながらチルーを見上げていた。どういうわけだか飛び立つ気配はない。
リリスはどこか興奮した様子だ。
「君を選んで来てくれたんだよ。ほら、全然逃げやしない」
チルーもまた、鳥のように首をかしげた。
「でも、どこから?」
チチチ、チィチィと、青い鳥は鳴いた。両翼を僅かに広げ、甘えているように見えた。
市街で拡声器が喚いた。
『市民は家に帰るように!』
つい震える。
『抵抗教会のビラを拾うな。市民に告ぐ。抵抗教会のビラを拾うな。用のない市民は帰りなさい。抵抗教会のビラを拾うな!』
階段の下、丘の下、迷宮の壁の中で、騒ぎが起きているようだ。気がつけば鳥はいなくなっていた。ただ、チルーの右の掌に、鳥の紋様が残っていた。
「ほらね、やっぱり君は鳥飼いだから……」
チルーは鳥飼いの授業を選択しているから、その紋様を、授業で習い知っていた。
「チルー、本物の鳥を手に入れたんだよ。すごいじゃない」
カワセミの紋様だ。
「カワセミ」
知らず笑みがこぼれる。
「すごい、初めて見た」
リリスが白い手を伸ばし、チルーの冷えた両手を包み込む。
「誰にも見つからないようにしないとね。それは本当にいいものだから……」
少女二人は、深まりゆく宵闇の中で互いの手を温めた。やがて、するりとリリスの手が離れると、チルーは右手の中にむず痒さを覚えた。
手を開く。鳥が、実体を持って現れていた。それがチルーの手を蹴って、翼を広げて飛んでいく。
黒く暮れる空へ。迷宮の壁を飛び越えて。
リリスが立ち上がりながら、銃剣に手を添えた。
腰をよじりながら抜き放ち、空を切る。
ぽん、と音がした。
紙のようなものが、二人の足許に崩れ落ちた。
えっ、と声を上げるチルーの手を、リリスが強く掴んだ。
「逃げるよ」
そのとき初めてチルーの耳にも聞こえた。
死者の巡礼団、その低い唸りが。
「昼のより大きい!」
うまく立ち上がれたのを、奇跡だとチルーは思う。唸りは今や地に満ちて、黒い煙のように丘を上がってくる。
リリスに手を引かれ、学園の階段を駆け上がる。
唸りが段階的に大きくなる。大きく。大きく。大きく。
「死にたくない!」チルーは喚くが、確信を持てなかった。「嫌だ! 私、死にたいなんて思ってない!」
階段を上り切った。
赤煉瓦の校舎へ。その、外階段を駆け上がる。
二階。
三階。
四階。
チルーは顎を上げ、苦しい息をする。リリスも苦しそうだった。
五階。
六階。
六階と七階の途中で、膝が脱力する。よろめき、チルーは階段に手と膝をついた。
振り向けば街を見下ろせた。
壁の狭間 の街の灯が、一つ、また一つ消えていく。
校舎の裏口で悲鳴が巻き起こり、すぐに消えた。家の明かり、教会の明かり、広場の明かり、工場の明かり、議場の明かり、井戸場の明かり、通りの明かり、警察署の明かり。
全てが消えていく。
視線を感じた。
顔を反対側に向け、階段上を仰ぎ見る。
そこにリリスはいなかった。
リリスがいた場所に今立っているのは、黄色い髪のイースラ。リボンをなくし、髪のほどけたイースラ。微笑みのイースラ。栗鼠 のようなイースラ。
手を後ろに組み、ニコニコと笑っている。
喋らない。
それはそうだ。
操屍 の賜物 がなければ死者とは会話できないのだから。
「イースラ?」
チルーは体に力を入れようとした。無理に動けば階段を転げ落ちてしまいそうだった。
「死んだなんて嘘でしょ?」
踊り場には裸電球が点 っていた。オレンジ色の光の下で、死者は確かに立っていた。顔には陰影がついていた。足許 から、チルーへと、濃い影が伸びていた。
二人の間には、距離と事実だけがあった。
イースラが笑っているという事実。
どうして彼女が死んだのか、結局わからないという事実。
チルーは瞬きを繰り返した。
一段、イースラが階段を下りた。
イースラが持つ賜物 ――賜物は、教会のしきたりの外では単に異能と呼ばれる――は、チルーと同じ『鳥飼い』だった。
だから、待ち受ける未来もチルーと変わらない。
卒業したところで、きっと帰るところはない。鳥飼いになれば、環境維持の名目のもと、夜明けから深夜まで働かされる。
もう一段、イースラが降りる。
チルーは一つわかった。その未来予測は正しい。教師たちの態度が明かしているようなものではないか。
チチチ、チィチィ。鳥が鳴く。チルーの上を飛び回る。裸電球が鳥の影を落とした。その影が、イースラの愛らしい顔、目まぐるしく変わる表情、あの明るい笑顔に濃い陰を刻んだ。
イースラは明るかった。
そう。
明るくなければ誰とも友達でいられなかったのだ。
もう一歩下りたイースラの姿が、ぽんと弾けた。彼女の後ろにリリスがいた。銃剣で刺したのだ。
「見つけた」
興奮に息を弾ませて、リリスが言い放つ。金縛りが解けた。はっとして手を開くと、カワセミが降り立って、掌の上の紋様に変わった。階段の上と、中ほどとで、リリスとチルーは見つめあった。その高低差が永遠の距離に見えた。
「おいで」
リリスが促した。
「死んだんだ」と、チルー。「イースラは、本当に死んだんだ……」
距離を詰めたのは、リリスのほうだった。階段を下り、歩み寄ってチルーを立たせた。
二人は階段を、最上階の七階まで上り切った。そこから眼下の街を見下ろした。沈黙の街では、公教会の言葉つかいたちが巡礼団を相手に戦っているはずだ。
陽 はとうに沈んでいた。残照はもうない。もしそれが、東のほうに微かに残っているとしても、聳 え立つ無数の壁がそれを見えなくするのだ。迷宮は、空を切り刻んでいた。汚れた大気の都市。星の一つもない空を、さらに閉ざす迷宮。
「そのカワセミだよ」
手すりから身を乗り出しながら、リリスが独り言のように言った。
「偶然とは思えないよ」
「何のこと?」
「同じ都市が一日に二回も巡礼団に襲われるなんて。絶対に無関係じゃない」
無意識に右手を握りしめる。その右手にリリスが視線を向けてきた。
「その鳥が死者を呼ぶんだ」
チルーは面白くもないのに笑った。
「まさか」
「偶然のはずがない」
市街で、言葉つかいの誰かが異能をふるい、炎を出現させた。一閃する炎が、リリスの目にきらめいた。
「チルー、出ていこう」
「え?」同じ炎がチルーの目にも映っていた。「どこから?」
「決まってるじゃない」
「学園から? でも――」
「この街からだよ。必要ならこの国からだって」
チルーは恐怖して尋ねた。
「どこへ行くつもりなの」
「ねえ、その鳥が死者を呼ぶなら、私たちは死者を追おう。死者は壁の中心の地を目指してる。私たちもそこにたどり着けるんだ」
呆気 にとられるチルーをよそに、リリスは顔を空に向ける。壁に切り刻まれた空。月しか輝かぬ空。
「……辿り着いて、どうするの?」
「壁の聖女に会おう。そうすれば、死者はもう彷徨わない。迷宮は消える」
チルーに顔を戻し、無理矢理といった感じで微笑んだ。
「壁のない世界を見たくない?」
私は見たい、と呻く。
「学園に閉じ込められていれば、私たちに未来はないけれど――」
リリスが夜空へと、顎をまっすぐに上げた。。
「――きっと、この世界の空は広い」
遥か昔、歴史が始まる頃、神は地球人を創造し、やがて自らの息子を救い主として地球人に与えた。
時が下り、地球人は言語生命体と呼ばれる新人類を創造し、虐げ、アースフィアと呼ばれるこの惑星に捨て去った。
神は言語生命体を憐れみ、救い主として娘をお与えになった。
それが六百年前に、この世界に起きた奇跡。大陸中に広く信じられる教義。
言語生命体の救い主は、壁の中心の安らぎの地に御坐 し、壁を織りなす歌を歌い、さまよう死者の巡礼団を迷宮に閉じ込めている。
けれど、いつの日か死者の巡礼団が安らぎの地にたどり着けば、世界の壁は消えると言い伝えられていた。
夕闇が、心と迷宮にのしかかってきた。カタカタと音がするのは、『鳥飼い』の言葉つかいに操られるばね仕掛けの鳥たちで、忙しなく飛び回り、害虫を除き、植物の受粉を助けているのだ。都市には、ニワトリや七面鳥などの家畜を除いて生きている鳥はいない。
チルーは校舎の裏の階段に腰を下ろし、自分の膝に肘を置いて、頬杖をついていた。そばにはリリスが手すりにもたれかかって立っている。迷宮の壁が直射日光を遮るので、赤い空の下には
「死者が死にたい人しか連れていかないなんて嘘だよ」
疲れ果てたチルーは、何度も心に繰り返した言葉をとうとう口に出した。リリスは返事をしなかった。
「イースラは明るかったじゃない」
沈黙を嫌い、チルーは一人話す。
「いつも笑ってて、すごくかわいくて、男子部の子たちにもモテて」
死にたかったとは思えない。
リリスが適当に生返事を寄越した。その気のない声よりも、切り裂く風のほうが雄弁で、聞き逃がしてはいけないことを警告しているように感じられた。
風に乗って、羽音のようなものが近付いてきた。
ばね仕掛けの鳥とは違う。
聞いたことのない羽音だ。
顔を上げると、何か軽いものが顔の前に落ちてきた。それが手に当たる感触。チルーは声を上げた。
「えっ、えっ?」
それは青い鳥。
長く黒い嘴と、漆黒の瞳、オレンジ色の腹を持つ、青い翼の鳥だった。
「なに? えっ……」
「鳥だ」驚きに満ちた様子で、リリスがチルーの前に屈み込んだ。「鳥だよ、チルー! 本物の鳥だ!」
そんな、と言ったきり、チルーは声を失った。本物の野鳥など、都市のどこにもいないはずだった。ここレライヤに限らず、都市の鳥といえば家畜もしくは言葉つかいが操る機械のようなもの。
「どうしてそんなものが……?」
「君が鳥飼いだからだよ」
「でもこれ、生き物だよ? 本物の鳥は鳥飼いなんて必要としない」
青い小鳥は、首をかしげながらチルーを見上げていた。どういうわけだか飛び立つ気配はない。
リリスはどこか興奮した様子だ。
「君を選んで来てくれたんだよ。ほら、全然逃げやしない」
チルーもまた、鳥のように首をかしげた。
「でも、どこから?」
チチチ、チィチィと、青い鳥は鳴いた。両翼を僅かに広げ、甘えているように見えた。
市街で拡声器が喚いた。
『市民は家に帰るように!』
つい震える。
『抵抗教会のビラを拾うな。市民に告ぐ。抵抗教会のビラを拾うな。用のない市民は帰りなさい。抵抗教会のビラを拾うな!』
階段の下、丘の下、迷宮の壁の中で、騒ぎが起きているようだ。気がつけば鳥はいなくなっていた。ただ、チルーの右の掌に、鳥の紋様が残っていた。
「ほらね、やっぱり君は鳥飼いだから……」
チルーは鳥飼いの授業を選択しているから、その紋様を、授業で習い知っていた。
「チルー、本物の鳥を手に入れたんだよ。すごいじゃない」
カワセミの紋様だ。
「カワセミ」
知らず笑みがこぼれる。
「すごい、初めて見た」
リリスが白い手を伸ばし、チルーの冷えた両手を包み込む。
「誰にも見つからないようにしないとね。それは本当にいいものだから……」
少女二人は、深まりゆく宵闇の中で互いの手を温めた。やがて、するりとリリスの手が離れると、チルーは右手の中にむず痒さを覚えた。
手を開く。鳥が、実体を持って現れていた。それがチルーの手を蹴って、翼を広げて飛んでいく。
黒く暮れる空へ。迷宮の壁を飛び越えて。
リリスが立ち上がりながら、銃剣に手を添えた。
腰をよじりながら抜き放ち、空を切る。
ぽん、と音がした。
紙のようなものが、二人の足許に崩れ落ちた。
えっ、と声を上げるチルーの手を、リリスが強く掴んだ。
「逃げるよ」
そのとき初めてチルーの耳にも聞こえた。
死者の巡礼団、その低い唸りが。
「昼のより大きい!」
うまく立ち上がれたのを、奇跡だとチルーは思う。唸りは今や地に満ちて、黒い煙のように丘を上がってくる。
リリスに手を引かれ、学園の階段を駆け上がる。
唸りが段階的に大きくなる。大きく。大きく。大きく。
「死にたくない!」チルーは喚くが、確信を持てなかった。「嫌だ! 私、死にたいなんて思ってない!」
階段を上り切った。
赤煉瓦の校舎へ。その、外階段を駆け上がる。
二階。
三階。
四階。
チルーは顎を上げ、苦しい息をする。リリスも苦しそうだった。
五階。
六階。
六階と七階の途中で、膝が脱力する。よろめき、チルーは階段に手と膝をついた。
振り向けば街を見下ろせた。
壁の
校舎の裏口で悲鳴が巻き起こり、すぐに消えた。家の明かり、教会の明かり、広場の明かり、工場の明かり、議場の明かり、井戸場の明かり、通りの明かり、警察署の明かり。
全てが消えていく。
視線を感じた。
顔を反対側に向け、階段上を仰ぎ見る。
そこにリリスはいなかった。
リリスがいた場所に今立っているのは、黄色い髪のイースラ。リボンをなくし、髪のほどけたイースラ。微笑みのイースラ。
手を後ろに組み、ニコニコと笑っている。
喋らない。
それはそうだ。
「イースラ?」
チルーは体に力を入れようとした。無理に動けば階段を転げ落ちてしまいそうだった。
「死んだなんて嘘でしょ?」
踊り場には裸電球が
二人の間には、距離と事実だけがあった。
イースラが笑っているという事実。
どうして彼女が死んだのか、結局わからないという事実。
チルーは瞬きを繰り返した。
一段、イースラが階段を下りた。
イースラが持つ
だから、待ち受ける未来もチルーと変わらない。
卒業したところで、きっと帰るところはない。鳥飼いになれば、環境維持の名目のもと、夜明けから深夜まで働かされる。
もう一段、イースラが降りる。
チルーは一つわかった。その未来予測は正しい。教師たちの態度が明かしているようなものではないか。
チチチ、チィチィ。鳥が鳴く。チルーの上を飛び回る。裸電球が鳥の影を落とした。その影が、イースラの愛らしい顔、目まぐるしく変わる表情、あの明るい笑顔に濃い陰を刻んだ。
イースラは明るかった。
そう。
明るくなければ誰とも友達でいられなかったのだ。
もう一歩下りたイースラの姿が、ぽんと弾けた。彼女の後ろにリリスがいた。銃剣で刺したのだ。
「見つけた」
興奮に息を弾ませて、リリスが言い放つ。金縛りが解けた。はっとして手を開くと、カワセミが降り立って、掌の上の紋様に変わった。階段の上と、中ほどとで、リリスとチルーは見つめあった。その高低差が永遠の距離に見えた。
「おいで」
リリスが促した。
「死んだんだ」と、チルー。「イースラは、本当に死んだんだ……」
距離を詰めたのは、リリスのほうだった。階段を下り、歩み寄ってチルーを立たせた。
二人は階段を、最上階の七階まで上り切った。そこから眼下の街を見下ろした。沈黙の街では、公教会の言葉つかいたちが巡礼団を相手に戦っているはずだ。
「そのカワセミだよ」
手すりから身を乗り出しながら、リリスが独り言のように言った。
「偶然とは思えないよ」
「何のこと?」
「同じ都市が一日に二回も巡礼団に襲われるなんて。絶対に無関係じゃない」
無意識に右手を握りしめる。その右手にリリスが視線を向けてきた。
「その鳥が死者を呼ぶんだ」
チルーは面白くもないのに笑った。
「まさか」
「偶然のはずがない」
市街で、言葉つかいの誰かが異能をふるい、炎を出現させた。一閃する炎が、リリスの目にきらめいた。
「チルー、出ていこう」
「え?」同じ炎がチルーの目にも映っていた。「どこから?」
「決まってるじゃない」
「学園から? でも――」
「この街からだよ。必要ならこの国からだって」
チルーは恐怖して尋ねた。
「どこへ行くつもりなの」
「ねえ、その鳥が死者を呼ぶなら、私たちは死者を追おう。死者は壁の中心の地を目指してる。私たちもそこにたどり着けるんだ」
「……辿り着いて、どうするの?」
「壁の聖女に会おう。そうすれば、死者はもう彷徨わない。迷宮は消える」
チルーに顔を戻し、無理矢理といった感じで微笑んだ。
「壁のない世界を見たくない?」
私は見たい、と呻く。
「学園に閉じ込められていれば、私たちに未来はないけれど――」
リリスが夜空へと、顎をまっすぐに上げた。。
「――きっと、この世界の空は広い」
遥か昔、歴史が始まる頃、神は地球人を創造し、やがて自らの息子を救い主として地球人に与えた。
時が下り、地球人は言語生命体と呼ばれる新人類を創造し、虐げ、アースフィアと呼ばれるこの惑星に捨て去った。
神は言語生命体を憐れみ、救い主として娘をお与えになった。
それが六百年前に、この世界に起きた奇跡。大陸中に広く信じられる教義。
言語生命体の救い主は、壁の中心の安らぎの地に
けれど、いつの日か死者の巡礼団が安らぎの地にたどり着けば、世界の壁は消えると言い伝えられていた。