夜空は心のように

文字数 2,969文字

 3.

 夕餉(ゆうげ)どきには、アズは『聖母の涙修道会』の宿舎にいた。結局こうなるのだ。教会と続きになった宿舎の客間で、アズは食後の紅茶を修道会司祭のローザ神父と囲った。紅茶の産地や品種に関する蘊蓄(うんちく)を聞き流し、ローザの過去の経歴に長話が移ったところでアズは話の流れを止めた。
「失礼します、ローザ神父。今、レライヤ学園で教師をされていらしたと?」
「左様ですとも。最も教科は物理で、私自身は言葉つかいの賜物を持たぬ者ですが、あなた方を目にすると昔の教え子に会ったような気がします」
「ローザ神父殿は、いつ頃教師を引退されましたか?」
「かれこれ十二、三年になりますか……」
「教えてください」
 アズは布張りのソファから身を乗り出した。
「教師たちだけが知っているレライヤ学園の秘宝について、私は知らなければならないことがあるのです」
 二人はどちらともなく客間の扉に目を向けた。確かに閉まっていた。マホガニー材の書棚のガラスに、疑心暗鬼に囚われた若者と老人の姿が映っていた。二人の頭上では、電球のシャンデリアが(だいだい)色に(とも)り、磨き込まれたコーヒーテーブルに光の膜を張っていた。窓には絨毯のように重たげなカーテンがかかり、その奥で風が窓枠を鳴らしていた。その音に耳を澄ませ、自分たちの他に誰もいないことを確かめながら、まずアズのほうから秘密を打ち明けた。すなわち任務の内容を。
 話を聞くと、長話の好きな司祭の口は閉ざされ、顔は苦渋に満ちたものとなった。
「何か、ご存知なのですね」
「ラティアさん、あなたは本当に、逃げた学生を追うようにとしか言われていないのですか?」
「神父殿、もしかしたらですが」アズは相手を見つめながら言った。「この修道院が見舞われた災難について、私に協力できることがあるかもしれません。ただ――」
「本来の任務を差し置いてというわけにはいかないのでしょう。わかりますよ」
 前のめりになりながら、ローザは視線を一巡(いちじゅん)させた。アズの目をひたと見据えたかと思ったら、そらした。心は決まっているようだ。アズは相手が話し出すのを待った。
「ラティアさん、それは……」
「はい」
「それは、そういうことは……つまり聖レライヤのカワセミが学生を選ぶのは、今に始まったことではないんですよ」

 ※

 アズは唾をのみこんだ。
「どういうことでしょうか」
「三十年周期です。およそ三十年に一度、命をすなどるカワセミは『鳥飼い』を選ぶ。男子学生だったこともあります。教員だったことさえあると」
 ローザは目を伏せ、ティーカップに指をかけたが、すぐに離した。
「今から三十年前。当時もトレブとの戦争で、今と似たような状況でした。選ばれたのは、今回と同じく女学生です。初めて自分の鳥と出会えた生徒でした」
 はやる気持ちを抑え、普段よりも重い口調でアズは尋ねた。
「どのように処置されたのですか」
「それまではすぐに熟練の鳥飼いによって回収されるのが常だったようです。常と言っても、当時学園は百五十周年め。前例は四つしかありませんでした。
 過去に選ばれた四人のうちの一人は、右手を切り落とされたのちに自殺しました。回収に応じなかったからです。
 鳥飼いは、一度自分の鳥を失えば、再び巡り合えることはほとんどないと言われています。死活問題です。回収に応じない生徒がいても無理はない」
「なんて(むご)い……」
 アズは言いさしてから咳払いした。
「……例えば、レライヤのカワセミが何を目的として鳥飼いを選ぶのか調査しようという話は出なかったのでしょうか」
「鳥が鳥飼いを選ぶのは、その鳥飼いに使われるためです。ですが、あの鳥は、さまよう霊を壁の中心の楽土に導くと言い伝えられるもの。鳥について多くを知るには実際に巡礼を呼ぶしかありません。調査に伴う多大な犠牲に目をつぶることはできませんでした」
 ローザの目は問いかける。
 あなただって責任を負えやしないでしょう。
 そう。
 だから鳥と鳥飼いを野放しにせず、追いかけているのだ。
「ええ」とアズは曖昧な返事をした。「三十年前は、どのように処置されたのでしょうか」
「その学生は逃げました」
 アズの背筋にピリピリとした緊張が走った。
「逃げた?」
「ええ。ですから、今回が逃走の二例めということになりますね。あの頃は学園も対応に苦慮しましたとも。抵抗教会の勢力がこのレライヤにおいても台頭し、公教会の権威の弱体化は既に明るみに出ておりました。言葉つかいの見習いが学園から逃げたなど、何がなんでも隠しおおさなければなりませんでした」
「その学生は存命ですか」
「わかりません」
 悔悟で濁った目を宙に向け、老いた司祭は首を振った。
「直ちに捜索隊が結成されましたとも。ですが、学生は見つからず、鳥だけが戻ってきたのです。十年も経ってから」

 ※

 客間を出ると、薄暗い裏口に助けた婦人が一人で立っていた。助けたもなにもアズのせいで危険にさらされたわけだが、そんなことはつゆ知らず、裸電気が下がる真下で、円いマットレスに乗ってアズに頭を下げた。彼女の後ろの扉には百合のステンドグラスが嵌っているが、夜に染まり、色彩は失せていた。
「夜分にすみません。先ほどは気が動転し、名を告げてもおりませんでした。私はスーデルカ・マデラ。家庭教師をしている者です」
「ご丁寧にありがとうございます」アズも一礼した。「私はアザリアス・ラティア。教会関係の仕事をしております」
「言葉つかいの方ですね」
 スーデルカはおっとりした口調で断言した。
「助けていただいたときのあの光は、ラティアさんが出されたものでしょう」
「本当はあまり人に見せるものではないのですが」
 廊下を一度振り返った。
「お連れのお二方は生徒さんでいらっしゃいますか?」
「はい。事情があり、あの子たちの親戚のもとへ届けたく」
「どちらまで」
 スーデルカは答えに詰まった。
「いえ、詮索はいたしません。決して問い詰めているわけではございませんから」
 しばしの気まずい沈黙があった。
「生徒さんは今はどちらに」
「先に休ませています。南ルナリアから汽車で西に向かう予定でしたが、トレブ陸軍の工作で線路が破壊されたと聞きました。しばらくはこの町に足止めです。ラティアさんは」
「私も足止めです。事情は違いますが」
 二人は裏口から一緒に外に出た。
 庭園に花はなく、薄く雪が積もっていた。
「マデラさんは、どうか先に宿舎にお戻りください。私は夜風に当たりたいので」
「そうですか。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
 スーデルカの後ろ姿が闇に紛れるのを見送って、煉瓦の小径(こみち)がある庭園にアズは(たたず)んだ。風の中にすすり泣きを聞いた。桃の種が泣いているのだ。
 ジャケットから折りたたんだ紙を出す。広げて教会の外壁の照明にかざした。追跡対象の女学生二人の写真と、髪の色や身長などの特徴が印刷されている。
 目を通し、頷くと、元どおりに折りたたんだ。
 顔を上げた。
 夜空は心のように黒く澄んでいた。
 星々が輝くが、希望の光と呼ぶにはあまりにも遠すぎた。


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登場人物紹介

■チルー・ミシマ

■14歳/女性


『言葉つかい』と呼ばれる異能力者の育成機関、聖レライヤ学園の第十七階梯生。

内気で緊張に弱く、場面緘黙の症状に悩んでいる。

『鳥飼い』の賜物(=異能力)を持つ。

■リリス・ヨリス

■14歳/女性


チルーの同級生で、唯一の友達。『英雄の娘』と呼ばれるが、両親のことは名前以外に何も知らない。

迷宮の壁に作用する『石工』の賜物を持つ。

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