殺戮は我が聖務

文字数 2,834文字

 3.

 ガイエンの革命勢力は、早急に蜂起を完遂せねばならなかった。昨日の首都レライヤ征圧で、敵たちに、つまり政府と公教会とに、手の内を知られたからだ。狙いは都市中枢ではないと。それでも彼らはガイエンのライフラインを着実に手中に収めていった。
 住宅地への送電は止まっていた。ガス局が征圧されると、ガス灯の消えて闇に沈む大通りが一つずつ増えていった。それらの通りは流血と屍で既に埋め尽くされていた。
 駅および架橋という高所を奪われたのは、ガイエン守備隊にとって致命的な痛手だった。そこには脱走兵による部隊が配置され、政府と教会への恨みを抱く革命軍――彼らは既に確固たる指揮系統と軍規及び独自の教練法を持つゆえに、自らの武装組織を軍と呼び、これは蜂起ではなく戦争であると標榜(ひょうぼう)していた。事実そうなりつつあった――の兵士らは、陸橋で狙撃銃を構え、迷宮の内部を右往左往する現役兵士らを撃ち抜いていった。だが、彼らは背後の河川への警戒を怠っていた。河川と橋とを守る仲間たちが既に殺されているなどと、知る(よし)もなかったからだ。
 もしかしたら何人かは、駅に繋がる階段の下で、仲間たちが「撃て!」と叫ぶ声を聞いたかもしれない。彼らは狙撃銃を撃ちまくっていた。駅の真下でも銃声があがった。
 陸橋の下、立ち並ぶ橋脚に沿って走るのはアズだった。(へそ)のあたりで剣帯と銃帯を交差させ、外套の裾をなびかせて駆けていた彼は、橋脚の間のアーチ型の空間に飛び込んで、その反対側に飛び出した。
 踊るように身を翻す。
 出口で待ち構えていた革命家の銃弾が、橋脚に跳ね返された。迷宮と建物と陸橋、それらを掻い潜ってなお届く天空の光、慈悲深い眼差しのような月光の溜まる場所に突入したアズは、走る勢いを落とさず、月に向かって左手を掲げた。五本の指と掌が虚空を滑ると、指の間に月光の筋が残った。その筋は、ナイフに少し似て、操る者の意志のように、冷徹で澄んでいた。
 アズは指のまたで筋状の月光を握りしめた。実体があるのだ。
 走るのをやめ、爪先立ちになる。ごつごつした石畳の上で、腰をひねり、外套の裾を広げながら振り向いた。
 手の中の、月の光を投げ放つ。
 その一つが陸橋の階段からアズを狙撃しようとしていた男の胸に直撃し、残りは近くの路地の暗がりへと吸い込まれていった。暗がりで光が爆発した。悲鳴が上がった。だが、アズは聞かず、あとの惨状を見もしなかった。彼は既に、市電の陸橋の上を目指していた。目的地へ向かうのに、彼は階段を必要としなかった。空の光が彼に味方した。
 星月夜の天使。
 アズが手をかざし、動かすと、彼の静かな目が向く先で月と星の光が(こご)った。
 凝固する光が、カーブを描く足場を空中に描き出した。
 風の中、その足場を順に蹴り上げて急ぐ。アズが通ると光は弾け、跡形もなく消えた。
 陸橋を占拠した脱走兵たちも、この街の言葉つかいを警戒しておれど、あるべくもない足場を駆け上がってくるとは想定していなかった。
 アズは最後の足場を靴底で蹴り、右手で陸橋の低い胸壁を掴むと、右手を支えに音もなく壁を乗り越えながら、左手で空の光を集めた。
 今宵(こよい)は半月であった。半分に切り落とされた月は、殺戮と無関係にまどろんでいる。一人、気配を察知した者がいて、レールを挟んだ反対側の胸壁から振り向いた。彼はアズを目視するまでもなく光に目を()かれた。光の波が音もなく狙撃手たちを切り刻み、体と命を破壊すると、光は消え、闇が戻ってきた。
 ちぎれた手足や首、一揃えの内臓が地上に雨と降り注ぐ、重く湿った音が続いた。それらは電飾よろしく壁や駅舎を彩った。
 アズは線路を走る。
 下町へ。
 胸壁に手をかけ、乗り越える。月の光は彼の足許(あしもと)虚空(こくう)に細い橋を渡した。
 橋を渡り、向かいの建物の屋根を駆け去る。
 石畳や壁にへばりつく眼球、持ち主の目から飛び出して他人の腕や服にめり込んだ眼球、ちぎれた首の焼け爛れた顔面に収まったままの眼球が、アズを見ていた。

 ※

 中央郵便局とその近辺も、戦争の悲劇の舞台となった。
 中央郵便局はガイエン司教座聖堂に至る途上にあり、周辺は警察隊と聖教軍とで構成されるガイエン守備隊に守られていた。
 隣には結婚式場を兼ねたささやかな礼拝所があり、式場の下の部屋に、明日式をあげる予定の男女が泊まっていた。厳格な公教会信徒の家の新婦と、抵抗教会信徒の新郎の、周囲に望まれない結婚であった。親類縁者の誰にも告げずに挙式し、人知れず田舎に落ち延びるつもりの二人だったが、日没、新郎の友人が訪ねてきた。彼は部屋に招じ入れられると、二人を射殺した。
 時を置かずして、下水道から忍び込んだ革命軍兵士たちが、五階建ての中央郵便局の二階から、郵便局前に布陣するガイエン守備隊へと機関銃を乱射し始めた。
 郵便局で戦闘が始まったことをアズは音で知った。同時に、郵便局へ至る迷路が死骸で埋まっていない事実にも気付かないわけにいかなかった。革命軍が下水路を掌握している事実が察せられた。
〈お兄さん〉
 呼ばれた。
 地上、闇に沈んだ迷路のどこかから。
〈ちょいと、お兄さん〉
 アズが暗闇に目を落とし、そこへ降りる月光の階段を視線の動きで作り出した。
〈言葉つかいのお兄さん。あんた、公教会のお人だろう?〉
 老人の声だが、それは耳で聞こえるというよりも、地の底から(のぼ)りきて、直接心に響くように聞こえた。アズは手の中に月と星の光を集めながら下りていった。壁が作り出す影に入り、月の光が届かなくなっても、手の中の光は消えなかった。
 声がしたほうにあたりをつけ、光を投げる。
 声の主、老人の姿が光を放つようになった。青白く透けている。わかっていたが、やはり、生きている人間ではなかった。
 アズには仕事があったが、死者は尊重しなければならなかった。立ったまま一度、軽く頭を下げた。
「どのような御用でしょう」
〈お兄さん、俺はね。殺されちまったんだよ。公教会の偉いさんなら知っとるかもしれんがね、こう、こういうことになっちまったのさ。あんた方が処刑をやめん報復でね〉
 と、縄を使って自分の首を絞める真似をした。それから、さして恨みも怒りも感じられない乾いた声で笑った。
〈なあ、頼みがある〉
「伺います」
〈俺の娘婿が聖教軍に入っててね。ちょっと行って、助けてやれんかね〉
 アズは聞くだけ聞いてみた。「所属の部隊は」
〈知らんが、ここ数日昼にこの道を通るよ。電話局の方面じゃないのかね〉
 偶然にも、次の目的地と定めていたところだった。
「お望みならば、そのように」
 白く透けていても、帽子をかぶってうなだれる老人の口の周りに、短い髭が生えているのがわかった。
 老人は皮のむけた唇を吊り上げた。


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登場人物紹介

■チルー・ミシマ

■14歳/女性


『言葉つかい』と呼ばれる異能力者の育成機関、聖レライヤ学園の第十七階梯生。

内気で緊張に弱く、場面緘黙の症状に悩んでいる。

『鳥飼い』の賜物(=異能力)を持つ。

■リリス・ヨリス

■14歳/女性


チルーの同級生で、唯一の友達。『英雄の娘』と呼ばれるが、両親のことは名前以外に何も知らない。

迷宮の壁に作用する『石工』の賜物を持つ。

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