殺しあうまでもなく

文字数 4,864文字

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 爆発につきものの全て、衝撃波、音、炎が舗道を揺るがせた。民家の窓を割り、屋根瓦を落とした。近くの民家の陰に滑り込んだアズは、伏せて頭を庇いながら屋根瓦の割れる音を聞いた。腕の力を緩め、顔を上げる。
 ルーは?
「信じられっか? 民家だぞ!」
 日の光を浴びて、屋根の縁からアズを見下ろしていた。アズが手で合図をすると、家の外壁を歩いて下りてきた。
「説教してやりてぇ」
「無駄だ、連中には自分たちの崇高な目的しか見えていない。言葉つかいは俺が相手をする。お前は力を使わないほういい」
「はあ? 何か言ったか?」
 アズは口に指を当て、耳を済ませた。
 銃撃の音は聞こえなくなっていた。聞こえるのは、警官たちが揉める声。
「あっちは終わったみたいだな」
 ルーは鋭い目つきでアズを見つめるのをやめない。
「わかってるだろう、ルー。お前はこの街で正体を隠してなければならないんだぞ」
「で? だったら自分の縄張りが荒らされるのを大人しく眺めてろって?」自分の太腿をピシャリと叩く。「ふぅん、そうか。まあお前だったらそうするんだろうな。犬だもんな。豚に飼われてる犬だもんな」
「どこまで口が悪いんだ。信じられない」
「は? 怒るのか?」
「呆れたんだ」
 アズは民家の壁に背をつけ、通りを窺った。舗道の石畳はめくれ上がり、黒こげになっていた。
「奴らは退()くのか?」
 ルーは憮然とした表情で、壁の穴を手で示した。
「撃ってみろよ」
 アズは腰を落とし、拳銃を左手に持ち替えながら、用心深く穴に接近した。向こう側に人がいないか確かめようとして、思わぬものを見た。
 青白く、薄汚れた足。裸足(はだし)の足、足、足。
 迷宮を練り歩く死者の足。足音は立てない。群衆の足。巡礼団。
 その足は、穴の向こうの通りを右から左へ流れていく。アズは背中に回した図面入れを下ろす。いつしか世界は無音だった。既にルーの姿は見えず、アズは一人きり。急ぎ足で、壁の向こうの死者の流れに逆流する。
 壁が直角に折れ曲がる場所に出た。道なりに進むと、一歩ごとに遠くから音が戻ってくる。
 少し遠くに、道端で腰を抜かしている男を見つけた。男もアズを見つけると、甲高い声で何か喚きながら手をばたつかせた。
 駆け寄ると、男がいるのはカフェテラスの前だった。一段高いテラスから、困ったように女が見下ろしていた。二人の顔に見覚えがある。ホテルから飛び出したときにすれ違った若いカップルだ。
 物言いたげな女と視線を合わせている間に、男がアズの脚にしがみついてきた。
「助けて、助けて! そこ、あの、人」
「巡礼があったんです」女は冷静だった。「私は二回目だし、本格的に巻き込まれたわけじゃないけど、彼は初めてだったみたいで」
「変に!」
 脚に抱きついたまま男が見上げてきた。飼い主にしがみつく子犬のようだった。
「人がなんか、どんどん」
「落ち着いてください」
「顔が」
「大丈夫ですから――」
「白みたいな、ちょっと紫みたいな、黄色みたいな」
 見かねて女が注釈を入れる。
「目の前で連れて行かれたみたいで」
「教えてください。巡礼団はどこに」
 通りの先を指差し、「あっちのほうだけど、行ってどうするつもりなの?」
 アズはロザリオを出し、教皇庁の紋章が入った聖四位一体を女の前に示した。
「言葉つかい」目にするや、女はテラスの段差を下りてきた「助けて。お願い」
「巡礼を斬らなくては」
「私、託児所の職員なんです。今日は休暇だったんですけど、見に行かないと。巡礼が向かうほうなの」
「フローレン!」男が血走った目で喚く。「まだそんなこと言ってんのかよ、早く逃げよう!」
「お願い、そんなに遠くないんです」
 脚の自由を奪われている上に、今度はフローレンに右腕を取られた。
「お願いします。大人だってこんなに取り乱すのに、あの子たちはまだちっちゃい子供なの」
「わかりました」アズは諦めた。「案内していただけますか?」
「駄目ぇ!」
 男は膝立ちになり、今度は腰にしがみついてきた。奪われないよう銃把に手を置くが、相手はお構いなしだ。
「あんな所に戻る気? 冗談じゃないよ! やめてよ! ねえ、早く逃げないと!」
「こちらの方とはお付き合いをされてらっしゃるのですか?」
「彼は――」
 更に喚く。
「かわいそうだけど諦めよう!」
 フローレンは足をあげ、踵を男のこめかみに押し付けた。そして、そのまま蹴倒した。男は舗道にひっくり返り、アズを解放した。
 フローレンは冷たく、「もう違う」
 彼女について歩けば、外傷のない死体が道に転がるようになった。舗道の真ん中でうつ伏せていたり、花壇に顔を突っ込んでいたり、膝立ちになって両手を壁に添え、壁が窓であるかのようにじっと覗き込んで死んでいる人たち。おどおどしながら誰かを探し回る老人とすれ違った。
「あそこ」
 フローレンが、広いポーチを(そな)えた木造住宅を指さした。直後、耐えきれぬとばかりに駆け出した。ポーチの階段を段飛ばしで上がり、真鍮のドアノブを掴む。鍵はかかっていなかった。どこかで集団パニックが起きていた。男女の叫喚(きょうかん)が聞こえる。フローレンの言う通りだ。大人でも取り乱す。
 それで、子供たちは?
 結論を先に言えば、誰も取り乱していなかった。斜めの屋根、天窓。明るい日差しが降り注ぐエントランスの正面に両開きの扉があり、それを開け放って、フローレンは立ち尽くした。
 アズは大股で歩み寄り、フローレンの肩越しに部屋の様子を窺った。中央に(まる)いカーペットが敷かれた広い部屋で、吊るし飾りや子供たちの絵が壁を彩っていた。柵つきのベビーベッド、木馬、つづら折りの傾斜に玉を転がして遊ぶ木製のおもちゃ、積み木、ブリキの兵隊、布のボール、子供たちはというと――二十人弱の、本当に小さな子供たちだった――誰も声を出さず、指をくわえたり、ぬいぐるみを抱いたりしながら座って窓のほうを見ていた。
 何故みんな窓辺で死ぬのだろう、とアズは考えた。このような場面で考え事に走るのはある種の現実逃避である。窓辺で(ひざまず)き、(さん)に顎を乗せて、白衣の老人が目を閉ざしていた。目を閉じても口は開いており、彼が最期に何を言ったのか知っている子供たちは、一人、また一人と戸口を振り向いた。取り乱さず、泣かず、見たもの全てを受け入れたがゆえの(けが)れた目で、大人たちを見つめた。
 フローレン。聖母と同じ名の女は、土足のまま部屋に上がり込んでいった。
「さあ、みんないらっしゃい。お昼寝の部屋に行くわよ」
 子供たちはきびきび動くフローレンを顔で追うが、誰も立ち上がろうとしなかった。フローレンは部屋の奥のピンクのドアを開け、中の様子を確かめると、一人ずつ子供の脇の下に手を入れて立たせ始めた。
 手伝ったものかと思案していると、外から窓が叩かれた。
 窓の格子の向こうにルーの姿があった。
「お昼寝の部屋に行きましょうねー。おやつを食べたい子はいるかしら? 今日はたくさん食べてもいいのよ。ネネ、さあ、立ってごらん。お昼寝の部屋よ、お昼寝の部屋、お昼寝の部屋、お昼寝の部屋……」
 死体を倒さないよう注意して窓を開ける。
「お前なにこんな(とこ)で油売ってんだよ」
 子供の一人が、ぼんやりした様子ながらもやっと言葉を発した。
「おひるねのへや……」
「すまん。託児所が気になって」フローレンが子供を半ば引きずるように連れて行くのを見ながら、「巡礼は?」
「追ってる最中だ。お前も来い」
「来てくれてありがとう!」
 一歳くらいの子供を抱き上げながら、フローレンがアズを見て言った。
「ここはもう私一人で大丈夫。どうもありがとう」
 アズはしばしの逡巡(しゅんじゅん)ののち、フローレンの言葉を信じて一礼した。
 猫のように軽々と窓から外に出る。
「こっちだ」
 だが託児所を出て左に進み、最初の角を曲がったところで二人はすぐに立ち止まった。
 男が一人、壁に向かって立っていた。
 異常なのは、その左手首から先が迷宮の壁に沈んでいること。
 石工だ。
 右手で何か作業をしているようだ。アズが、そしてルーが、慎重に歩み寄る。次第に大股になり、走り出した。
 後ろから覗き込むと、男は右手にドアノブを握りしめていた。
 既にノブは台座ごと壁に取り付けられ、石工の言葉つかいは、背後の二人に気付かないのか、ドアノブを回し、引き、扉のように開けようと努力を繰り返している。
 アズは無言で肩を掴み、強引に振り向かせた。
「聞こえるか」
 髪は黒い縮毛(ちぢれげ)。顔はほとんど見えない。前髪が伸びて目を隠し、顔の下半分のほとんどを無精髭が覆っているのだ。
 だが、髭の下の肌が異常であることは一目瞭然だった。ちょうどフローレンの元恋人が口走ったように、白のような、紫のような、黄色のような。
 つまり血の気がない。
 傷一つ負っていなくても、大量に血を抜かれたのだ。
「俺を見ろ」
 左手で男の前髪をかきあげる。肌が冷たい。うつろな目が現れた。そこに懐かしい面影を見て、アズは叫んだ。
「タルボ!」
 男の目は落ち(くぼ)み、同窓生とは思えないほど()け込んでいた。
「タル、どうしてなんだ? タル!」
 ルーが強引にアズを押しのけた。
「タル。お前何を見た?」
 張り詰めた声に頓着(とんちゃく)せず、石工はまたも壁に向き合おうとする。ルーが肩を掴んで阻止すると、舗道に崩れ落ちた。
「タル!」
 ルーも、そしてアズも、共に膝をついて男の顔を覗き込む。
「言ってみな、扇動者の型は? 型は何だ?」
 まだ、理性があった。男はゆっくり目を閉ざし、また開ける。
「……お、う……」
 また閉じた。
「王……」
 今度は開かなかった。
 舗道に寝かせながらルーが呻く。「さまよう王――」
 アズはルーの鼻先に図面鞄を突き出した。
 処刑刀はとうに腰に下がっていた。
「持っててくれ」
「よせ」二人は同時に立ち上がる。「王に勝てる言葉つかいはいねぇ」
「今まではいなかった」
「本気かよ!」
「俺だ」
「は?」
 顔を背ける。
「王は俺について来たんだ」
 一人で走り出した。
 巡礼は、まだいる。
 息絶え、道に点々と横たわる人の体を辿って進むと声が聞こえてきた。
 近くにつれ、徐々に大きくなるのではなく、段階的に大きくなる特徴的な呻き。それが旋律として認識できる距離に来ると、周囲が暗闇になった。
 瞬きを一つ。
 闇が晴れる。
 都市の通りには、アズ、そして死者たち。
 巡礼の最後尾が見えていた。直進すれば行き止まり。壁が道を塞ぎ、その上に、白い太陽が煌々(こうこう)と輝きを放っている。澄んだ空は明るいので、その下の死は、いっそ何か爽やかな出来事のようだ。
 巡礼は、突き当たりの壁を折れて右へ。壁が落とす短い影に入り進む。アズもまた、光から影の中へ。
 右に曲がる。
 巡礼の死者が一人、列を離れ、道を戻ってくるのが見えた。
 身構え、左手を処刑刀の柄に置く。
 巡礼の真白き屍衣。
 影から光へと、死者は出てきた。壁を離れて家々が身を寄せ合うほうへ。
 無音のまま窓が開く。
 誰かが家の中から腕を差し伸べた。その腕はシクラメンの鉢を舗道に落とした。
 死者は歩み寄る。腕の方へ、音もなく割れたシクラメンの鉢へ。開かれた窓へ。
 アズは水の流れのように走り、処刑刀を抜き放つ。
 腰を落とし、突きの構え。
 躊躇ない突進。巡礼者を刺し貫いても、手応えはなく、今日は小枝をへし折るときのポキッという音がした。
 それを契機に、あらゆる音が戻ってきた。
 道の向こうで荷車に死体を積む男たちの怒号。自動車の走行音。警官が吹き鳴らす呼子(よびこ)。近しい人を呼び求む叫喚。啜り泣き。
「何てことを!」
 窓から出た腕が、外套を着たアズの胸ぐらを掴んだ。窓辺に引き寄せられ、慌てて踏ん張りながら見れば、窓から身を乗り出すのは不健康な太りかたをした中年の女だった。
 死にそびれた女は泣き叫ぶ。
「何てことを、この野郎!」
 振り払うまでもなく、女の腕から力が抜け、アズを解放した。言葉もなく後ずさるアズは、視界の端に動くものを見つけた。
 家と家の隙間から出てきた黒髪の女が拳銃を構えていた。
 その目と銃口は、アズに狙いをつけていた。


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登場人物紹介

■チルー・ミシマ

■14歳/女性


『言葉つかい』と呼ばれる異能力者の育成機関、聖レライヤ学園の第十七階梯生。

内気で緊張に弱く、場面緘黙の症状に悩んでいる。

『鳥飼い』の賜物(=異能力)を持つ。

■リリス・ヨリス

■14歳/女性


チルーの同級生で、唯一の友達。『英雄の娘』と呼ばれるが、両親のことは名前以外に何も知らない。

迷宮の壁に作用する『石工』の賜物を持つ。

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