第55話
文字数 1,667文字
〝大道
境丘を訪れた
「……貴方のいう〝大道〟とは何だろうか」
そう訊いた蔡才俊は、その尊寶をまっすぐに見据えている。
その目を見れば、この男が、〝大道〟とは〝法〟のことであろう、などと自分の主張に迎合するような短絡したものを期待してはいないことがわかる。
儒家であった自分が、敢えて五常五倫の教えを否定する
尊寶は目を閉じた。そうすると、瞼の裏に母の似姿が浮かんだ――。
尊寶――
早くに母と引き離された
いつもすりきれた衣裳で、
別段、驚きはなかった。育ての母の冷淡さも、家人たちの陰口もすべて納得がいき、むしろ安堵すらした。
しかし皆が帯を妾の子と蔑む中で、実の母だけが、ただひとり彼を大夫の長男として敬い続けた。
(あなたは僕の母上なのでしょう――)
いくら帯がそう問うても、彼女は微笑んで首を横に振った。蕭邑の誰もが――そう、帯すらが確信していることを、母だけが決して認めなかった。
(そんなわけがありません。孟さま(=ご長男さま、の意)は董さまのご長子、どうしてわたくし如きが母でありましょう)
それでもなお、幼い帯が追及すると、彼女は困ったように首を傾げ、邑のはずれの小高い丘の上へと彼をいざなった。
そこからいま来た方に向き直り、丘陵のさきに広がる〝蕭〟の景色を見遣るよう促した。
よく晴れた日の穏やかな陽射しの下の〝蕭〟の邑は、安楽康寧を画に描いたようだった。
そうして母は、
(――よろしいですか、孟さま。これから先、苦しいことや辛いことがありましたら、ここから見た蕭邑の景色を思い出されませ。
邑の中では、様々な人が、それぞれの想いで生きています。
ときに他人を押し退け、相争うということもあるでしょう。
ですが、こうして外からこの蕭邑を見たとき、ここは、みな平穏無事に暮らし、穏やかです。
お父上さまは、この蕭で、みながそうして生きてゆけるよう心を砕いていらっしゃいます。それはたいへんなことです――)
後に知ったことには、嫡子でなかった蕭帯の父・蕭董が家督を継いだ後に迎えた正妻は、津の
いま思えば、正妻に子が生まれたことで始まる我が子の苦労を思いやり、心を痛めていたのに違いない。その横顔は、蕭帯が不安になるほど白く、優し気だった。
(
帯が訊くと、母はふうわりとこたえた。
(ええ。……わたくしは、この蕭が好きですよ)
治められてさえいれば、外から見たそれは、如何にも平穏といえる。
たとえ
長じて想い返したとてそう思えるほど、あの日見た〝蕭〟の邑は
首を傾げて見上げる自分の目線の先で、透けるように白かった母の横顔がおぼろげに思い出された。
その母は、それから間もなく、倒坐房の中で、誰にも看取られることなく逝ってしまった。
(母の……あの