第55話

文字数 1,667文字


 〝大道(すた)れて仁義有り〟――。

 境丘を訪れた(こう)の卿士・(チゥー)(ムー)に、たしかに自分はそう言った。尊寶(スンバォ)は、西に座する(ツァィ)才俊(ツァィヂィン)の顔を見返した。
「……貴方のいう〝大道〟とは何だろうか」
 そう訊いた蔡才俊は、その尊寶をまっすぐに見据えている。
 その目を見れば、この男が、〝大道〟とは〝法〟のことであろう、などと自分の主張に迎合するような短絡したものを期待してはいないことがわかる。
 儒家であった自分が、敢えて五常五倫の教えを否定する(ことば)を使うに至ったことの、ほんとうのところを訊きたいと、その目は言っていた。
 尊寶は目を閉じた。そうすると、瞼の裏に母の似姿が浮かんだ――。

 尊寶――(シャオ)(ダイ)の母は、津侯に仕える大夫・蕭董の妾だった。領主の目に留まるだけに、貧しい奇口(きこう)の娘ながら、野の百合のように美しく嫋やかな女性であった。
 早くに母と引き離された(ダイ)は、父の正妻によって厳しく躾けられた。その一方で母は、同じ邸の中で、妾というより婢に近い扱いを受けていた。
 いつもすりきれた衣裳で、倒坐房(とうざぼう)(※ 南の建屋。北向きで日当たりが悪い)で(はた)を織って暮らす彼女が実の母と知ったのは、正妻が弟を生んだ六歳のときだった。
 別段、驚きはなかった。育ての母の冷淡さも、家人たちの陰口もすべて納得がいき、むしろ安堵すらした。
 しかし皆が帯を妾の子と蔑む中で、実の母だけが、ただひとり彼を大夫の長男として敬い続けた。
(あなたは僕の母上なのでしょう――)
 いくら帯がそう問うても、彼女は微笑んで首を横に振った。蕭邑の誰もが――そう、帯すらが確信していることを、母だけが決して認めなかった。
(そんなわけがありません。孟さま(=ご長男さま、の意)は董さまのご長子、どうしてわたくし如きが母でありましょう)
 それでもなお、幼い帯が追及すると、彼女は困ったように首を傾げ、邑のはずれの小高い丘の上へと彼をいざなった。
 そこからいま来た方に向き直り、丘陵のさきに広がる〝蕭〟の景色を見遣るよう促した。
 よく晴れた日の穏やかな陽射しの下の〝蕭〟の邑は、安楽康寧を画に描いたようだった。
 そうして母は、(おもむろ)に口を開いた。
(――よろしいですか、孟さま。これから先、苦しいことや辛いことがありましたら、ここから見た蕭邑の景色を思い出されませ。
 邑の中では、様々な人が、それぞれの想いで生きています。
 ときに他人を押し退け、相争うということもあるでしょう。
 ですが、こうして外からこの蕭邑を見たとき、ここは、みな平穏無事に暮らし、穏やかです。
 お父上さまは、この蕭で、みながそうして生きてゆけるよう心を砕いていらっしゃいます。それはたいへんなことです――)

 後に知ったことには、嫡子でなかった蕭帯の父・蕭董が家督を継いだ後に迎えた正妻は、津の相邦(しょうほう)(※ 廷臣の最高職)の氏に列なる家より迎えたとのことだった。これより先に、父と母との間にどのような情があったにせよ、家と家との結びつきが士大夫の婚姻というものである。その後に母に起こったことは避けられなかったろう。
 いま思えば、正妻に子が生まれたことで始まる我が子の苦労を思いやり、心を痛めていたのに違いない。その横顔は、蕭帯が不安になるほど白く、優し気だった。
()()は、好きですか?)
 帯が訊くと、母はふうわりとこたえた。
(ええ。……わたくしは、この蕭が好きですよ)

 (うち)(いさか)いを抱えようとも、公衆に利を諭し、八方を丸く治めるのが〝徳〟であると学んだのは、それからずっと後になってからだった。
 治められてさえいれば、外から見たそれは、如何にも平穏といえる。
 たとえ(うち)に相克が残ろうとも、平穏であるには違いなく、それを偽りというのは余りに傲慢だろう。
 長じて想い返したとてそう思えるほど、あの日見た〝蕭〟の邑は長閑(のどか)で、ふうわりとしていた。
 首を傾げて見上げる自分の目線の先で、透けるように白かった母の横顔がおぼろげに思い出された。
 その母は、それから間もなく、倒坐房の中で、誰にも看取られることなく逝ってしまった。
(母の……あの(ひと)の名は、なんといったろう…――)
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