第64話
文字数 1,680文字
九月二十二日の桃原では、洛邑より舞い戻っていた
先だって王孫航は、洛邑で起こりつつある変事についてを伝えていたのであるが、事態を把握した高偉瀚の行動は迅速だった。すぐさま境丘の学匠らのうちの
同時に、弟子たちには謹慎することを求め、外部との往来を禁じている。云うまでもなく、太師・太傅
そうしてすっかり人の出入りのなくなった
王孫航としては片腹痛しというところであったが、しかしながら無下に応ずることは得策ではないとも考える。いまだ姚華の勢力は侮りがたく、万が一にも窮地を脱すれば、頃王を廃して太師の位に返り咲くこともあり得た。そもそも彼は〝君子〟であることを自らに課している。この場合の君子とは〝危うきに近寄らず〟にのみ掛かるわけなのだが……。
――さて、どのようにして煙に巻こうか……。
そうした思案は
「
目を細めて笑う師に、王孫航は表情を改めた。
「いまさらそれがしに白羽の矢を立てねばならぬ
表情を変えることのない逢室の末裔に、
「――
高偉瀚は満足気に頷いて言継ぐ。「
ふ、と鼻で笑うよう、わずかに視線を下げた王孫航に、高偉瀚は事もなげに言い放った。
「
「
姚丹は光銘の父である。
「
「不肖の子とは違い懸命であられるな」
納得気に嗤いを漏らす王孫航に、高偉瀚は続けた。
「しばし桃原を離れるか。ここ王淑にも波風が届きつつある」
その言で王孫航は察した。
「では、やはり王淑公室も割れますか?」
「かたちの上ではな。章弦君はつらい立場だ。王淑公もそれを
表情を変えずにそう応じた高偉瀚に、しばらく躊躇ってから王孫航は訊いた。
「車夫人は……」
「あの方は賢い。もうずっとまえから、かようなことになることを承知し、覚悟もしておられた」
王孫航は、深く息を吐いて視線を落とした。
やがて――、
「では、いましばらく桃原に残りましょう。〝お母上〟には御恩がある」
言って、それまでとは違った微笑を、その秀麗な貌に浮かべる。
高偉瀚は安堵するような、揶揄するような、そんな表情となって弟子を見て言った。
「そなたも存外、親離れが出来ておらぬ、ということよな」
王孫航は、やはり変わらぬ表情で師を見返したのだった。
この桃原での王孫航と高偉瀚の座談より
洛邑と燦との連絡には、船と馬を使っても十一日は掛かる。ということは、太傅方は
昌の宮廷は国主の命に従い、直ちに軍を発出した。
三師・七千五百の兵と
このうち騎兵のみで構成された一旅は本隊に先行して全力で北上し、二十二日の時点で、すでに王淑の版図に入りつつあった――。