第28話

文字数 1,825文字


 大路を行き交う人のうちのひとりが、立ち話のふたりを邪魔そうに(にら)んでくる。人壁の向こうの輿行列は、もうかなり先へと進んでしまったが、(ファ)子瀚(ヅゥハン)の高説は一向に止まない。
「そうそう聞いているかい。近く境丘からまとまった数の学匠学徒が、王府の求めに応えて洛邑に上ることになるらしい。なんでも(ツァィ)宰輔(さいほ)の推し進める〝変法〟について鷲申君が諮問(しもん)(こた)えうる人材を求めていて、それに応じて人材(ひと)を出すらしいよ。僕が思うに、(シャオ)尊寶(スンバォ)(ホン)大慶(ダーチィ)の如き軽輩は洛邑に行って欲しくないな。だってそうだろう? あんなやつらが境丘の門人などと思われたら、僕らまともな――」

「あ、あの子瀚(ヅゥハン)(ヅゥ)
 (シュイ)(ユィン)は苦労して、顔全体に〝本当に申し訳ないのですが〟という表情を作って言った。
「まことに失礼とは存じますが、本日はこれから所用がありますので」
「…………」
 花子瀚は、演説をさえぎられて鼻白むのを、矜持(きょうじ)の力で押し隠した。
「ふうん、そうかい。それは邪魔をして悪かった」
「いえ、本当に久しぶりにお目にかかれて嬉しかったです」
 よくもまあ、思ってもいない言葉がすらすら出るものだ。自分はこんなに腹芸が得意だったろうかと呆れながら、徐云は揖礼もそこそこに、その場を後にしたのだった。

 ようやく花子瀚から解放されて大路を見遣れば、(ツゥイ)雅雯(ィアウェン)の輿はもう二つ先の辻を折れていて、もう後を追う気も失せてしまっていた。
 徐云は、新婦の輿の後ろに付き従っていた、あの切れ長の目をした(おんな)の顔を思い起こし、記憶の中の顔のわきを流れるにまかせていた()()豊かな巻き髪が、今日は美しくまとめられていたことに戸惑っている自分に気づいた。
 〝士別れて三日、即ち更に刮目(かつもく)して相待(そうだい)すべし(※)〟とはいうけれど、女とはもっと変わるものらしい、と。
(※ 時が経てば人も変化し進歩もする。それをよく見よ、という意味)

 ふと明璇(ミンシォン)の、やはり勝気ではあるが、ずっと端麗な白い顔が思い出された。今年、明璇は十四歳、次の春には笄礼(けいれい)を許される身だ。さぞや勝気に――そして美しく成長しているだろう。
 徐云はそこで息を一つ吸い雑念を払うと、学友ふたりを待たせている南宮(ナンゴン)(タン)の邸の方へと歩みをはやめた。



「……それで(ファ)子瀚(ヅゥハン)(ヅゥ)御託(ごたく)を聞かされる羽目となったか」
 南宮(ナンゴン)(タン)の書庫のなかで書棚を漁っていた(ホー)(ジェ)は、徐云から、あの後にばったりと花子瀚と行き合ったことを聞かされても、何の興味もない、という表情で応じた。この場合の〝~(ヅゥ)〟とは相手を敬っているのではなく、〝~坊ちゃん〟と、子瀚を揶揄した言いようなのは明らかだ。
「おまえも(いよ)(いよ)、貴人に好かれるよな」
 本当に〝どうでもいい〟ように言われると、徐云は〝ほっといてくれ〟とそっぽを向くしかない。

 徐云、何捷、それに立青(リィチン)の三人は、南宮(ナンゴン)(タン)の邸に着いたものの、邸には今日は誰も居ないことを居候の火車(フゥオチゥー)から聞かされたのだった。南宮唐の邸では、何度かこういうことがあった。待っていても、十日ほどは主も客人――大慶と尊寶――も戻って来ないというので、それでは書籍でも拝借したいと云ってみると、火車はあっさり書庫へ入れてくれた。もうすっかり〝通いの弟子〟の扱いだった。
 名家に仕える家人の子に、流浪の士分の子、そして卑賎の家童が、薄暗い書庫のなかで同じように肩を並べている。

 ()()では立青はすらりと横やりを入れた。
「それは(シュイ)(ヅゥ)の人徳というものでしょう」
「なんだ立青(リィチン)。それじゃまるで、俺には人徳がないようじゃないか」
「〝一目即了〟」
 立青が、にやにやとなりそうな表情を(こら)えながらそう応じると、何捷の方は〝自覚がないわけではない〟こともあってか、ばつの悪さを押し隠したふうに、
「こいつ……」
と、小さく鼻を鳴らすのであった。
 最近はすっかり打ち解け、このように他に人目がなければ、屈託なく、くだけたやり取りをするようになった三人である。
「だけどあの方は、全く変わりませんね。(シュイ)(ヅゥ)をお気に入りなのも、そのままです」
 可笑しそうな口調で続けた立青に、徐云は迷惑そうな表情で応えた。
「あれは僕を気に入ってるんじゃないさ。僕の後ろにいらっしゃる、簡孟姚(かんもうよう)さまを気に入ってるんだ」
 上昇志向の強そうな花子瀚からすれば、王淑公孫の血筋の明璇は、姚姓との婚姻関係を結ぶのに格好の相手だろう。そういえば明璇は次の春には笄礼(けいれい)を許される。嫌な想像を忘れるように、徐云は書棚の上の冊簡(さっかん)に手を伸ばした。
 そんな一瞬の徐云を、それぞれに複雑となった想いで見る何捷と立青であった。
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