第46話

文字数 1,667文字


 (ホー)(ジェ)(リィゥ)次倩(ツーチィェン)が逢の都・洛邑に入って半月ほどが過ぎた頃、ふたりは祥逸という賈人の仲立ちで、呂原という官人に会える算段をつけた。呂原は天官府で大行人の役にあるという四十がらみの男で、天官府の官人ということは(ツァィ)宰輔(さいほ)は上司筋といえる。なるほど、ここまでは、まずまず次倩の目論見の通りに進んでいると言えよう。
 祥逸からは、呂原に会うにあたり〝(くだん)のもの〟を忘れずに、と教示(アドバイス)された。〝件のもの〟とは、言うまでもなく黄金である。
 それには〝(ファン)(クゥァ)〟こと何捷の眉が寄った。
(リュ)(ユェン)(かね)に汚い男か……」
 何捷としては、(ツァィ)才俊(ツァィヂィン)に近づくのはよいが、貨を積んでそのうえを渡ってゆくようなやり方は、気に染まないところもある。次倩は、やれやれと連れの顔を見やった。
「そうではございません」 同行した祥逸はなんともいえぬ表情で応じた。「……(リュ)子は貨を愛しておられるというべきです。蓄財は無二の楽しみなのでしょう。ですが、根は親切な方です」
 そう言われ、何捷は、あとはもう何も言わずに、次倩ともども祥逸について呂原の邸に赴いたのだった。

 呂原の邸は、実際に目にしてみれば存外に小さなものだった。章弦君の食客にすぎない(ガオ)偉瀚(ウェイハン)の邸と比べても、()してかわらぬ規模である。
 現れた家宰は、手入れの行き届いたあごひげの目立つ男であった。話は祥逸から聞かされていたようで、確認のため、ふたりの姓名と生国、それに家系を訊いてきた。
「ほう。『杞』の大夫の子孫であられるか――」
 次倩が過所(かしょ)の記載をもとに(多少の創作を加えているだろう)口上を述べると、家宰は、わずかに見直したような目つきになった。それから何捷……いまは(ファン)(シィァン)の若い顔へと目線を移す。
 すかさず次倩は黄金の小包みをみせた。
「――些少(さしょう)ですが、お納めを」
 すると家宰は鷹揚(おうよう)に肯いて、ふたりを大いに見直したような目つきになった。
 ――わかりやすい表情をする男だな。
 何捷は内心で長嘆息しつつ、主人(あるじ)の次倩ともども揖をしてみせる。
 揖を交わすと、一行は次の間へと通された。
 そこで家宰は気持ちよさそうにあごひげを撫ではじめ、目を細めて、ふたりを黙って眺め始めた。
 そこからは、無為に時間(とき)ばかりが過ぎていった。
 ――なぜすぐに取り次がぬ。
 何捷がいらいらし始めた。次倩は、最初は例の人好きのする表情を取り繕っていたが、そのうちに、顔の表情はそのままに半眼になって動かなくなった。祥逸だけが、初めから落ち着き払っている。
 やがて家宰は、
「さて……」
 と呟いて、あごひげをひと撫ですると、
「さきほど主人は髪を洗っておりましてな。客があるときは必ずそういたします。清潔好きなのですよ。もう乾いたころでしょう。そろそろ申し上げてこよう」
 と言って立った。
 ――主従そろって〝清潔好き〟とは笑わせる。
 何捷は失笑しそうになった。次倩は肩を震わせた。懸命に笑いを堪えているのであろう。祥逸は微動だにしなかった。
 今度はさほど待たされなかった。
「どうぞ」
 家宰の声に厳重さが加わった。ふたりは大室に案内された。祥逸は庭先に回っている。そこに財賄を積んで呂原に見せるためである。その財賄は祥逸の店で調達したものだ。
 何捷と次倩の前に姿を現した呂原は、初老の男で、その人品は卑しくなかった。体つきはすんなりと細く、皮膚は白く、背は実際には高くはなかったがそれを感じさせぬ居住まいがある。
 ――なるほど。
 何捷と次倩は、それぞれに内心で頷いた。……呂原の髪に、わずかな湿り気も感じはしなかった。
 呂原はちらりと庭先を見た。次倩が用意した手土産と称するものが積まれている。
 ひとつふたつ頷くと目を戻し、呂原は言った。
「なるほど、あなた様に才覚は御有りらしい。よろしい。近日のうちに()()にお目通りできるよう計らいましょう」

 ――…()()……⁉

 何捷は、感情の現れない呂原の声を聞いたとき――思いの外、手応えはないにもかかわらず――〝賈人から官人に近付いて蔡宰輔まで渡りをつける〟という流次倩の目論見は、どうやら、()()()()()()()()()()()()()完成したらしいと知った。
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