第43話
文字数 1,598文字
冬の朝――。
白河の流れの上を白い霧が揺蕩っている。どこかで水鳥の鳴く声がしたかもしれない。
何捷は、霧を押し退けるように河面を吹き渡った風の冷たさに首をすくめるでもなく、艏の先に、遠く、鼓の音を聴いた。
逢の都・洛邑の朝は、鼓の音とともに明ける。
緩やかに光量を増してゆく東の空と対照的に、西の山肌がくっきりとした黒さを際立たせる時刻、春官(礼典・祭祀を司る官府)の官吏が鼓楼に上がり、最初の開門鼓を打ち鳴らす。それを合図に都城の条坊の十二の門が一斉に開かれ、衛士たちの夜の守りが解かれるのだ。
刻々と明るさを増してゆく陽光に、周囲の霧が何処へと退いてゆく。そうして視界が開けた先には、澄み渡る空の青さを背景に、都の東の玄関口たる港邑・亀城の城楼の遠景があった。亀城に入れば、市中まではもう、車を馬に牽かせて四半刻(三十分)ほど、とのことである。
そんな景色に何とはなしに視線をやっていた何捷は、傍らに人の立つ気配を感じた。
「さすがは中原の華、洛邑や。見事な都やな」
白い息を吐きながら、そう沿海訛まじりに語るのは、傍目には大人(=度量のある人。大人物の意)の風采のある男で、流次倩といった。年の頃は三十路(=三十歳)に届くか届かないかだろう。その出で立ちは、素衣・素裳・素冠である。
何捷は顔を向けずに声だけで応じた。
「邑の北と東に川がある。これは陰気が溜まり、よくない」
「桃原やって、東に泗水が流れとるが」
水を差されたような次倩が、それでも沿海の軽妙な語り口のままに訊き返す。
「桃原も、吉相とはいえない。遷都した方がいい。川は南にあるべきだ」
と、以前に南宮唐から得た智見を披瀝しかけつつも、桃原に何らの感慨もない、とばかりに何捷は言を打ち切った。
「やはり博識やな」
そう〝感心しきり〟というふうに肯かれた何捷の装いもまた、素衣・素裳・素冠だった。
何捷は、冬になる前に境丘を去っていた――。
けっきょく、あの日の立青のことが何捷にそうさせたのだった。
高偉瀚の邸を出たとき、何捷の意識は、逢の宰輔、蔡才俊に向いていた。彼の主張する〝変法〟が実現されれば、万民が法の下、平等に生きることができるのだ。
何捷は、それに賭けることを選んだ。
が、いざ境丘の学派を離れてみると、ことは容易に進まなかった。
洛邑に入るのに必要な『過所』(=旅券。『過書』とも)が、冠礼前の何捷には手に入らないのである。あれこれ試みたものの結果は芳しくなかった。伝手もなければ金もないのであるから、当然と言えば当然である。そのうちに役人からは胡乱な目で見られることになる始末……。
仕方がないので、いったん桃原を離れて白河の南岸を徒歩で下り、洛邑の東を囲う洛水の流れが白河に注ぐ港邑・許に入った。
そこで何捷は、路銀を増やそうと少々あぶない橋を渡る。賭博場に入ったのだ。
この時代の賭博といえば「博」(盤双六、またはバックギャモンのイメージ)である。南宮唐の邸に通っていたころ代講の蕭尊寶から手解きを受けたことがあり、自信があった。
はじめ先手で勝ち、つぎは後手で勝った。三局めに後手で負け、最後の四局目は先手で負けてしまうのだが、ここで騒動となった。
何捷がイカサマを見破りそれを指摘すると、賭博場の奥から一見して用心棒という態の大男が三人ほど姿を現したのだ。
これはさすがに分が悪いと、何捷は逃げ出す隙を伺いはじめたのだが、そのとき、誰かが大きな声で警吏(=警官)を呼んだ。途端に、賭博場は大混乱となった。
ここで捕まってはたまらない何捷も賭博場から飛び出したわけなのだが、土地勘など有ろうはずなく、どちらに逃げるべきかと逡巡した。
そのとき偶々目の合った男が、〝こっちだ〟、と無言で嚮導(先に立って導くこと)してくれたことで、その場を凌ぐことができたのだった。
その男が流 満であった。……字を次倩という。
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