第17話

文字数 2,043文字


 (シュイ)(ユィン)(ホー)(ジェ)が、師の(ガオ)偉瀚(ウェイハン)から所用を仰せつかり桃原の市中に出たのは、雨季も盛りを越した頃の明るい午後だった。
 用事の目的は数冊の書物を姚姓の貴人、王孫(ワンスン) ()(ハン)のもとへと届けるというもので、雨季の晴れ間のこの日、高老師は邸内に起居する門人のうち、新参のふたりに言付けたのだった。
 それでふたりは午後の予定をあきらめ、この使いを果たすべく桃原の右京( )(市域の西側)に在る王孫航邸へと向かった。

 朝のうちこそ()()()()激しい雨音を聴いたものの、昼前に雨はあがり、いまは雲間に青い空が見えている。
 そんな空を見上げたり、路の端を流れる水路に目を遣ってり、ときおり困ったような表情を浮かべて歩く徐云と、その数歩先を終始怒ったような表情で一心に進む何捷…――。
 ふたりは使いを果たすべく、師より託された数冊の編綴簡(へんてつかん)をふところに、王孫航の住まう邸()()桃原の都心……というより花街へと()()()()()ところだった。

 すこしまえ、王孫航の邸の門前に着いたふたりが対応に出てきた家僮に用向きを伝えたところ、すぐに奥から家令が出てきて、申し訳なさそうに主の不在を告げられた。
 家令は冠礼(かんれい)まえの学童に過ぎない徐云と何捷に丁寧に詫びたうえで、(ことづけ)の書物を預かろうと申し出たのだが、ふたりは高偉瀚から「くれぐれも王孫どのに直接お渡しするように」と送り出されてきていた。それでわずかに()()の悪そうな表情(かお)の家令に、すでに見当(あたり)の付いている王孫航の居場所を質したのだった。
 答えはすぐに返ってきた。なじみの妓楼から戻ってきていないという。見当の通りである。
 ふたりの顔に、名状しがたいものが浮かんだ。
 ――また()()か……。
 じつは〝王孫航への使い〟で()()()()()()()となったのは、これが初めてではない……。

 王孫(ワンスン)(ハン)は、その氏が示すように逢王室に連なる人物である。
 王孫氏の祖は「逢」の桓王――治天の( )(けい)王)から数えて四代前の王――の孫の姚可。航の父は、三十年前〝王城〟を揺るがせた『王孫可の変』で父に殉じて自害した王孫可の次男・志銘。つまり彼は、王孫可の孫に当たる。
 変の折、まだ嬰児だった航は、母の姉である王淑の靖公の正妻、車夫人の嘆願によって命を救われた。かくして彼は、車夫人の子・公子章らとともに、彼にとっては宿敵ともいえる王淑公室の庇護の下で成長した。
 長じると彼は書見に興味を示すようになり、その様子を判じた車夫人は名のある学匠を航のために招こうとした。白羽の矢が立ったのが高偉瀚だった。まだ境丘の地に賢人学徒が(つど)うまえである。
 高偉瀚は王孫航と面会すると、市中に開く教場に通うならばお教えしようと応えたという。王孫航も強くそれを望んだこともあり、車夫人は市中に別邸を用意して高偉瀚の教場に彼を通わせることにした。その際、義理の兄である鷲申君・王淑公伯姚華に後見を頼んでいる。
 鷲申君は逢の朝廷で卿士に名を連ね、最終的に三公の最高位・太師にまで昇りつめる実力者である。鷲申君は王孫航の学業のため、当時、右京にあった高偉瀚の教場にほど近い適当な広さの瀟洒な邸を買い上げ、彼に与えたのだった。
 ところが高偉瀚の許で学び始めるや否や、王孫航はそれまでの士君子の衣を脱ぎ捨て、夜な夜な市中にさまよい出る遊び人に変貌した。祖父譲りの秀麗な顔立ちを武器に、おんなをとっかえひっかえ、朝になっても邸に戻らぬ始末。もちろんこれでは学問どころではない。
 育ての親の車夫人がいくら諭しても柳に風、なじみの妓女が邸で鉢合わせとなってひと悶着となることも珍しくないあり様に車夫人の顔も曇るばかり。そんな不詳の弟子に、師たる高偉瀚は何も言わず、させるがままなのであった。
 しかし王淑公室の一門からすれば、王孫可の孫がかような腑抜けであるのは好都合であった。王孫可の末裔が出仕もおぼつかぬろくでなしならそれでよし。このまま桃原のなかに囲って逢から遠ざけてしまえ。そう、なに憚ることなくいう者もちらほらいた。
 そんな風聞を耳にした王孫航は、膝を叩いて大笑いしたという。

 傍目には、彼の半生はひどく不遇に見えるかもしれない。
 だが当人は周囲の目を気にするふうもなく、車夫人の許で兄弟のように育った王淑公叔姚展が章弦君となって境丘の地に学派を立てれば、〝楽〟と〝書〟に限ってだが、そこで多くの学人と友誼を交わし、毎日を気随に送っている。
 そのような生き様だからこそ、彼はこの年齢(とし)まで生き永らえたのやもしれない。
 十数年まえ王淑公国に『斑洲(はんしゅう)の乱』が起こるや、彼の叔父である王孫昊・王孫薇の兄弟は乱に連座したとされ、拷問の果てに獄死している。体内に流れる王孫可の血が災いしたのは、誰の目にも明らかだった。
「同じ王孫可の末裔ながら、かたや政変に身を投じて惨死、かたや兄弟同然に育った公子章から決起の際に声もかけられぬ放蕩者ぶり。泉下( )で王孫可がさぞ嘆いていよう」
「されど、放蕩三昧もあれほど一貫しておれば憎めぬわ」
 桃原における王孫航の評価は、概ねこのようなものだった。
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