第48話

文字数 1,720文字


 ――よし。いまからが正念場だ。

 宰輔・(ツァィ)才俊(ツァィヂィン)の登場という望外の機会に、(ホー)(ジェ)は内心に高揚を感じていた。
 これまでの昌臣を相手の議論は境丘で得た知識を(ため)されただけのこと。()わば借りものの智を披瀝したまでのことである。
 ――ここからは正真正銘、何捷(じぶん)の言葉だ。
 何捷は、いま一度拱手をし、太傅・昌公緩を向いて言った。
「鷲申君に先だち、人材(ひと)を集めることが肝要と存じます」

 座に失笑が漏れた。……いうに事欠いて()()か、との憐憫が漏れて伝わってくる。
 が、蔡才俊の表情(かお)には、そのような落胆の色はなかった。何捷はそれに励まされ、あごを上げた。
 その様子に昌公が(面倒そうではあったが)質疑をした。
「我も食客を並べよと? 学舎を立て学派を養えということか?」
 昌公緩が反応してくれたことで、何捷はつぎの言葉を口にする拍子を得た。

「……いえ」
 蔡才俊が〝先を続けよ〟と肯くのを待って、何捷は続けた。
「――万巻の書から得た学識はいまさら不要と存じます。すでに賢者は野に居ります」
 傍聴の昌の首脳の顔色を窺うように、何捷は慎重に言葉を選び、〝謎かけ〟るようにして言を結んだ。
 すると座の雰囲気が変わった。
 何捷は、今度は先を促されるよりもまえに、自ら言を継ぐ。
「鷲申君の()う〝識者による識者のための政治〟……畿内諸侯がそのようなものを望まれるとも、王畿の外に在する幾百の賢者は、もはやそれを許しませぬ――」
 何捷は、先ず大間の昌臣に視線を巡らせ、最後に蔡才俊を正面にみた。
 このとき何捷は、じつは過激なことを言っている。
 この場の重役たちの中にも、内心で眉を寄せた者も居たろう。だが、蔡才俊の耳にこの言が届きさえすればそれでよいのである。彼ならば、自分の言わんとするところは正確に汲み取る。
「――たとえ畿内諸侯が連盟するに及ぼうとも、海内(かいだい)(=天下)に広く賢者を集めてこれにあたれば、(おの)ずと理は定まります」
 ……〝()()()()()()()〟などと結ばなかったのは、(ガオ)偉瀚(ウェイハン)から学んだ〝思慮〟が働いたからか。

 果たして、蔡才俊は苦笑を湛えた目で何捷を見返した。
「言うは易し、であるな」 今度ばかりは期待の目で何捷をみる。「――それで、()()には何から始めよう?」
 何捷は、自身の言を蔡才俊が汲んだことを知った。同時に、自分たちの目論見が成ったとの確信を得て応じた。
「されば――、先づは我が主人(あるじ)(リィゥ)次倩(ツーチィェン)より始められる〟がよいでしょう」

 その(ファン)(クゥァ)の言に、ほう、と蔡才俊は大きく肯いたが、重役たちは真意が読めずに怪訝となった。何捷は、それを見やった蔡才俊に〝説明してやってくれ〟というふうに促され、重役たちに向いた。
「ひとつ(たと)え話をいたしましょう――
 千里を駆けるよい馬を求める人がおり、侍人に金を与えて買いにやらせましたが、侍人が赴いたとき、その馬はすでに死んでおりました。すると侍人は、その死んだ馬の骨を金八〇( )(=五斤=一、二五〇グラム)で買い求めました。
 主人が怒ると、侍人はこう応えます。
〝死んだ馬さえ買うのです、まして生きている名馬ならなおさら高く買うと思うでしょう〟
 果たして、その後よい馬が三頭、手に入ったと云います」

 ここまでで、重役たちのうち〝話の筋(寓意)〟を解した者は、得心の目で范克を見やる。が、いまだ要領の得ない者も多かった。さて、と〝蛇足を加えるべきか〟と蔡才俊に目で問えば、才俊からは、話してやれとの目線が返ってきた。
 何捷は重役らの方を再び向いた。
「――主人(あるじ)は沿海の小邑『杞』の所縁(ゆかり)の者です。五富族に縁者を持ちませぬ。その主人が太傅の推挙で王府に召されれば、同じく沿海の処士( )(在野の士)賢者は、(こぞ)って太傅のもとに参じるでしょう。――()すれば、昌の後背( )(※)に憂慮は除かれるのです」(※ 沿海は昌国の〝南の海沿い〟をいう)

 ここまで説明されれば、さすがに理解の及ばぬ者は〝この場〟にはいない。
 沿海の処士・流次倩の若い侍人は〝王畿で力を(ふる)う〟に先立って、後背の諸邦を取り込むことを進言したのだ。この場合の力の揮いようは、武威に及ぶことをも排除してはいないだろう。

 重役たちの顔に理解の色が確実に広がったのを確認し、蔡才俊は威儀を正して太傅・昌公緩に拱手した――。
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