第49話
文字数 1,651文字
昌公を向いた蔡才俊は、拱手したままに直奏した。
「――妙手と存じます」
となれば、昌公も鷹揚に肯いて返すのだった。
「では、さっそく主上に推挙せねば。明日にも参内しよう」
……さて、いきなり自分の名を持ち出された流次倩だったが、自分の侍人の演じた即興劇の筋立てに、内心でだけ喝采をあげていた。
若いに似ずやけに博識だと、白河の港邑・許で拾った青二才だったが、こうもうまく立ち回ってくれるとは……。
――おかげで段取りをいくつも〝すっ飛ばす〟ことが出来よった。
そんな内心をひた隠し、流次倩は、いかにも大夫の裔らしく涼しい表情のまま、昌公に対して揖の礼をしてみせた。
共に並んで礼をした蔡才俊、范克(何捷)のふたりよりも、大柄な次倩の背は頭一つ抜けており、その風采は堂々と映った。まさにどこから見ても大夫の礼であった。
その流次倩は、それから四日の後には王宮に召し出され、頃王にまみえることになる。
謁見の場において、堂々とした風采と愛嬌のある口上を甚く気に入られた次倩は、上卿に次ぐ〝亜卿〟の位を授けられると、公車司馬令(※)に任じられる。それは逢の廟議に参加することを許された、ということでもあった。
(※ 王城の南側、正門を守る護官。各地の官僚や民による上奏、あるいは四方からの献上、そして王じきじきの「お召し」といったものは、いずれもこの門へ集まることとされており、その集まった文書・文物・人物を管理する。)
そして范克こと何捷もこのときに官職を得る。天官の史生となって宰輔・蔡才俊の配下の書記官に収まったのだ。史生は天官府で発せられる文書を扱い、六官府の間を巡って必要な印章を得て回るという実務を担う。――つまり、弱冠(二十歳)を待たずに国政の中枢たる天官府の一員となったのだった。
何捷が〝范詳〟として官途に就いた頃、桃原の徐云にも、洛邑行きの話が持ち上がっていた。
頃王の十六年の冬――。
境丘学派の長、高偉瀚は、西方の巡察を終えた頃王と鷲申君が王都に帰城するのを待って、南宮唐と蕭尊寶をふたたび洛邑へと送り出すことにする。
洛邑では、頃王とともに帰城した鷲申君が、さっそく太傅・昌公緩一派への対抗策に奔走を始めていた。境丘学派の学匠とその高弟らも、鷲申君に招かれ、続々と洛邑へと入っている。だが、南宮唐と尊寶の入洛は、そういった流れからのものではない。
太師方と太傅方とに分かれて争う気色の濃厚な洛邑に入り、その実情を探ること。それがふたりに課せられた使命だった。
徐云は、そんなふたりに同道せよと、師である高偉瀚に告げられたのだった。
「洛邑に行ってみるのはどうか」
高偉瀚は徐云を自室に招くと、徐にそう切り出した。
徐云は、はっ、と顔を上げる。
立青があのようなこととなり、いくらもせぬうち、何捷も黙って高邸を去っていた。――…そのことは徐云をさらに打ちのめした……。
寂寥感を超えて、漂流感にも似た思いをひとり味わっていた徐云だったから、高偉瀚のこの指示には心惹かれるものがあった。
高偉瀚は、洛邑に南宮唐と蕭尊寶を送り出すことの仔細を語って聞かせると、最後に、こう言継いだのだった。
「洛邑では廖沈が数日おきに訪ねてくる。ふたりの所為について訊かれれば、〝ありのまま〟を答えるように」
これには徐云も愁眉となった。
廖沈の名は知っている。境丘学派の駿才で、若くして章弦君に見出されると都に上がって鷲申君の寵を受けた人物だ。そして、ふたりとは無論、南宮唐と蕭尊寶であろう。
しかし同じ境丘学派の廖沈が、なぜ南宮唐たちを警戒するようなことを……、いやそれよりも…――。
徐云は目線を上げて高偉瀚を見た。その高偉瀚の表情は、どこまでも韜晦している。徐云は少しの逡巡ののち、師の真意を質した。
「……わたしに諜者をせよ、と言うことでしょうか」
「〝ありのまま〟を答えればよい」
師は徐云の目を見ながら、ただそう言った。
「考えさせてください」
徐云は目線を下げると、いったん保留にしてその場を下がった。
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