第39話

文字数 1,665文字


 そうして秋も深まっていった――。
 (シュイ)(ユィン)(ホー)(ジェ)のふたりが(ヂォン)氏の邸に通うようになって半月ほどが経っている。
 その頃、何捷は麗雯(リーウェン)のことを旧主の家の落胤と(うやま)うようになっていたが、それを表に出すことは控えている。麗雯から「崔氏(わたし)現状(いま)を逢の世の下に(さら)すのは嬴の宗廟に顔向けができない」と言われれば、忖度(そんたく)してみせる殊勝(しゅしょう)さはあるのだった。
 ともあれ鄭邸の中で何捷が大仰に揖礼をする(……それをやりかねない何捷がいたわけである……)ということなく、麗雯はこれまで通りに(ヂォン)(チォン)の後妻・(ツゥイ)雅雯(ィアウェン)の侍女ということで、彼女の(()()の意味で)秘められた出自を(その上辺だけだとしても)知るのは、いまのところ何捷と徐云のふたりだけである。

 この秋の徐云と何捷は充実していたかもしれない。
 境丘学派の長といえる(ガオ)偉瀚(ウェイハン)の門下として学びつつ、同じく境丘で重きを置かれる墨者・南宮(ナンゴン)(タン)の知己を得、その弟子筋に当たる(ホン)大慶(ダーチィ)(シャオ)尊寶(スンバォ)といった気鋭の士と交わる機会を得た。
 身分の違いはあったが立青(リィチン)という学友ができ、少々鼻にはつくが(ファ)子瀚(ヅゥハン)も良くしてくれている。さらには、尊貴な生まれの王孫(ワンスン)(ハン)とも繋がりができ、その覚えもどうやらめでたいようだ。
 なんだか出来すぎだ、などと徐云は心のうちで思っているが、同じ部屋に起居する相方は、そのようには思ってはいないのかもしれない。
 何捷という少年は、常に為すべきことに全力で取り組み、その結果は〝掴み取るもの〟であると考える、そういう人間だった。。

 そんな秋の終わりに、そろそろ少年期を終えようという()()()のその後に昏い翳を落とした、あの悲劇が起こったのだった――。


 その日は、毎年の立冬の祭祀で催される射礼(じゃらい)(儀式を兼ねた弓競技)に列する貢士(こうし)を選ぶ〝射会〟が王淑公の名で行われた日だった。
 射礼、または大射の制では、洛邑の天子( )(逢の王)が射をもって諸侯、郷太夫を試すのだが、諸侯は其の士を選んで天子に貢ぐのが慣わしである。八百諸侯は毎年、()りすぐりの能射を天子に(ささ)げる。士は天子への貢ぎ物であり、士が弓を引く目的は自分のためではなく天子や諸侯のためでもある。
 そういうわけで、この日の射会も王淑公上覧のうえ盛大に催された。
 冬がすぐそこまできているというのにすこし歩くだけで汗ばむような小春日和。桃原の都民や近郊に住まう者らが、半ばは王淑に(ほまれ)をもたらす射手の顔を一目見ようと、半ばは物見遊山とばかりに、知人縁者と連れ立って白河の畔に設えられた弓場に集まった。
 そんな中で弓を射る者は、王淑中から集まった猛者たちであるが、その中には境丘の学徒の姿もあった。
 射は六芸(りくげい)のひとつ、学者の中には能射もいる。
 例えば(ホン)大慶(ダーチィ)なども学派を代表して弓を引いており、身に纏った胡服がひときわに衆目を集めていた。

 そういう日の卿大夫の顔ぶれの中に逢の王孫がいた。先王( )(襄王)の実子・丹の一粒種・光銘(グゥァンミン)である。
 光銘という貴人は政治的にも人間的にも難しい人だった。
 政治的には、治天の君である十八代頃王・(シァォ)とは義理の従兄弟同士という貴種で、律儀な祖父・十七代襄王が自らの筋目を立て、かつて十七代の王位を自ら辞した王子淵との約束を守って淵の血筋に王統を戻すということをしなかったなら、十八代の王は彼の父であり、その太子の身位(しんい)には彼があった、という数奇な生い立ちを持つ。
 人間的には、そういう生まれの尊貴さが精神(たましい)に染み入ることのない人物であった。
 襄王の血を残す唯一の直系男子であることで〝腫れ物に触る〟かのような扱いを受けてきた光銘という人は、そのことに良くも悪くも慣れ切っており、出自で(もっ)て序列を示し、他者を貶めて礼を強要し、踏みにじるというところがあった。他者を畏れ敬う、あるいは慈しむ、といった(およ)そ富貴の人が備えるべき情操の欠落した人物で、ひとことで言えば〝傍若無人〟……。
 そのことを父・姚丹すら持て余し、ここ王淑に留学という体裁で送られてきていたのだ。


 この襄王の不肖の末葉( )(末孫。末裔。後裔)が、この日の白河の畔の射会に居合わせたことが悲劇であった…――。
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