第38話
文字数 1,644文字
徐云と明璇は、一通り〝型通りの〟やり取りを交わすと、どちらが先にというわけもなく目線を外して息を吐いた。それから面を上げ、改めて視線を交わす。
「章弦公主の侍女になると聞きました。それはもしや、公主さまに婚姻の話が持ち上がっているのでしょうか」
徐云は、先ほどまでと打って変わり、気が気でないという表情を隠さずに明璇に訊いた。
出し抜けに章弦公主・娥姚さまの婚姻話を振られた明璇の方は、きょとんとして訊き返した。
「ちょっと待って。どうしてこのたびの洛邑行きが、公主さまの婚姻話になってしまうの?」
「え……」
小首を傾げた明璇に毒気を抜かれたようになって、とたんに徐云はしどろもどろとなる。
「あの……だってそれは、章弦公主を主上が呼び戻すのなら、それは政略の一環で、何処の国主に公主を妻合すからじゃ…――」
そこまでを聞いて、
「何を言っているの、小云」 明璇は徐云を遮った。「公主さまはいまおいくつ?」
「たしか……十…――」 そこで徐云も、あ、と気付く。
明璇は続けた。
「――十三よ。そ、笄礼まえの身。結婚なんてまだまだ先の話だわ」
溜息交じりとなった明璇が、それでどうして娥姚さまの婚姻が気になるの、と目で訊くと、
「そう、か……」
徐云は、ばつの悪さで上気した顔に安堵の表情を浮かべ、我知らず呟いたのだった。
「――じゃ、璇璇が〝媵〟に選ばれたわけじゃないんだ」
明璇は徐云が何を気にしていたのか、ようやく合点がいった。
(媵とは正妻となる女に付き従って嫁ぎ先に入る同族の姉妹や従妹をいう。彼女らは正室となる女が子供を産めなかった場合に、その代理として子供を産む役目を負った。そうした場合、媵が産んだ子供は正室の子として扱われることになる。)
呆れた、というふうに表情を取り繕いながら、それでも徐云の本心を聞けて、明璇の心は浮き立った。徐云が簡の家のこと(自分のこと?)を第一に思ってくれていることはわかっていたけれど、こうまであからさまに心を乱すとは。
洛邑行きの話を聞かせたのは、相談のひとつも無しに境丘で学ぶことをひとりで決めてしまった徐云への(遅まきながらの)当て付けだった。章弦君が自身の名代に、養女・娥姚さまを送り出すということを聞きつけ、自ら陪従(お供)に手を挙げたのだ。
章弦君の父・先代王淑公は明璇の父・學文とは従兄弟同士であり、章弦君は明璇の再従兄で、その養女・娥姚は明璇にとって三従姪である。
他国の虜囚となった學文が不在の簡家を後見する立場でもある章弦君・姚展は、姚姓王淑氏に関わる子女の中では年齢の頃の近しいこともあってか、この陪従を許した――と、まあ、それだけの話だった。
この様子なら、花浩(子瀚)の言っていた妓女上がりの女との仲というのも、きっと花浩の独り合点だったのだと、明璇は、徐云の取り乱しぶりに内心で秘かに満足した。
が、同時に、徐云の心配する事態が、あながち的を外れたものでもないことに気付かされることともなった。
家長不在の簡氏の女である自分は、娥姚さま輿入れの際には、やはり媵に選ばれる一番手だろう。
――すると、早ければあと二年か。そんなに先じゃない……。
そのような日には、すべてを捨て去って、わたくしは王淑から逃げよう。そして徐云ただひとりを供に、あちこちを旅してまわるのだ。……そのようなこと、お父さまは許してくださるかしら。
そんな、おそらくは叶うはずのない楽しい夢想を胸に隠し、明璇は、つんと澄ました顔で徐云に向いた。
「……ともかく、そんな話はどこにもないの。そのようなことで邸に戻ってくるなんて、小云、本来ならすぐにさがらせるところよ」
ここぞとばかりに幼馴染をやり込めた明璇は、それからにっこりと笑顔になって続ける。「――でも、せっかく訪ねてきたのだから茶の一服を振舞うわ。――美味しいお菓子が届けられたの」
徐云は恐縮しきりといった態となって、女主の相伴に与ることになったのだった。
そのような微笑ましいことも、この秋にあった。
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