第51話
文字数 1,961文字
「――…やはりぼくが付い行かねばなりますまいか」
「おお、よかった。まだ下がってはおらなんだか。いやはや、久しぶりに
大仰な仕草で両手を広げたのは、
「詩楽の席?」 となにやら嬉し気に表情を輝かせた張暉少年い対し、
「いえ……」 徐云は畏まった礼容で応じた。「お気遣いにはおよびません」
王孫航は、とうぜん、張暉にはお構いなしに、徐云にそっと寄って言った。
「……今年は
「は、はあ……」
「もし万が一、女官や女嬬と悶着を起こしたなら、
「は、はい……」
つまりはそれが言いたかったのかと、徐云は軽い眩暈を覚えた。あきれたように、張暉少年がふたりに背を向ける。
「わ、わかりました。ありがとうございます」
徐云は、溜息が漏れるよりまえに一礼して、この
だが王孫航はさらに半歩ばかり身を進めてくると、きらりと切れ長の目を光らせて顔を寄せ、張暉に聞こえぬよう声音を低めた。
「――それと、これは忠告じゃ。そなた、
どういうことでしょうか、と上げられた目線には応えず、王孫航は言を進める。
「それといま一つ…――
え、と驚いて今度こそ訊き返しそうになった徐云を、王孫航はしっと息だけの声でたしなめた。
まさか王孫航の口から廖沈の名が出てこようとは。徐云は表情を強張らせる。
怪訝を通り越して警戒のいろの滲むようになった徐云に、王孫航は言った。
「あれは奸物じゃ。もしそれがしが
早口で一気にささやき、王孫航は冷たい光を湛えた目を小さくうなずかせた。
そこには、いつもの女たらしと評判の彼とは全く違う男がいた。
(――
徐云は背筋にふっと寒気を覚えた
桓王孫家を
遊びにはいつか飽きがくる。普通の人物なら、十数年にわたって
王孫可の変をかろうじて生き残った叔父たちはみな、その後、様々な口実をつけられ、処刑された。存命の桓王孫家の男子は、今や航ただ一人だ。少しでも権力に興味を示せば、すぐさまありもしない罪を咎められて殺される。それを避けるため、彼は市中で暗愚を装い、ひたすら世情をうかがって身を潜めているに違いない。
その沈黙を破ってまで、自分に忠告を与えた理由とは……。
徐云は、廖沈を直接知らない。いったいどのような確信をもって、王孫航は彼を奸物と云うのか……いや、そもそも、境丘学派の長・
それらの疑問を尋ねようと口を開くよりも早く、王孫航は先ほどまでの表情をつるりとかき消し、しまりのないいつもの薄ら笑いを片頬に浮かべた。
「さあて、これで別れも済んだ。では、それがしは、恋しい女の元に戻るとしようか」
声音を戻した王孫航のその声に、何も知らぬ態の張暉が振り返る。その張暉に聞かせるように王孫航は続ける。
「……ところで
にたりと笑う横顔に、先ほどまでの冷徹さは欠片も残っていない。言を真に受け、おっしゃる通り、としたり顔になった張暉を適当にあしらいつつ、ちらりと投げかけられた王孫航の視線に、徐云は硬く唇を引き結ぶとわずかにあごを引いた。
――王孫航の忠告に対する、返礼のつもりで。